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田中耕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中耕

田中 耕(たなか こう、1897年明治30年)7月6日[1] - 1969年昭和44年)9月22日[2])は、日本政治家薬剤師衆議院議員(2期)。右翼活動家。

経歴

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長野県北安曇郡会染村(現・池田町)生まれ。長野県師範学校第三種講習を経て、1917年大正6年)明治薬学校(現・明治薬科大学)卒。薬剤師を経て、長野県豊科町(現・安曇野市)で薬局を開設。また、長野県豊科町商工会議員も務め、1936年(昭和11年)第19回衆議院議員総選挙立憲養正会の公認で出馬し、落選するも、その後繰り上げ当選。院内では興亜議員同盟に所属した。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で再選。1940年(昭和15年)、大政翼賛会が結成されるも、立憲養正会はかねてより新体制運動を批判しており、大政翼賛会には合流しなかった。その後も批判を続けたため1942年(昭和17年)に立憲養正会は結社禁止となり解散となった。田中は無所属議員となり、第21回衆議院議員総選挙には無所属で立候補したものの落選した。戦後、公職追放となり[3]1951年追放解除[4])、追放解除後は国政選挙には立候補せず、戦後再建された立憲養正会の最高顧問や豊科町長などを務めた。

著作

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  • 述『重大時局に際して為政者の根本的反省を促す』〈立憲養正会宣伝パンフレット9〉養正時評社出版部、1941年。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、18頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』357頁。
  3. ^ 公職追放の該当事項は「著者」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、650頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 『毎日新聞』1951年8月7日朝刊1面

参考文献

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  • 歴代國会議員名鑑編纂委員会編『歴代國会議員名鑑』議員制度研究会、1995年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。

外部リンク

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