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(スポーツライター:酒井 政人)
石田と梅崎の4年生エースが故障
今年の箱根駅伝で継続中としては最多となる“20年連続シード”を成し遂げたのが東洋大だ。4校によるアンカー決戦に競り勝ち、総合9位でフィニッシュ。重圧のなかで10区を務めた薄根大河(2年)はゴール後、涙が止まらなかった。
今季は11月の全日本大学駅伝で13位と惨敗。12月にふたりの4年生エースが戦線離脱する。そして本番では最多6人の選手を入れ替えた。厳しい状況のなかで東洋大はいかに連続シードを死守したのか。酒井俊幸監督が苦しんだ第101回箱根駅伝を総括した。
まずは4年生エースの状態だ。5月の関東インカレ1部10000mで28分08秒29の自己ベストで6位に食い込んだ石田洸介(4年)は12月に入ってから継続したトレーニングが難しくなり、「12月18日頃に本人と話し合い、『出場は厳しい』という結論に至りました」と酒井監督はいう。
さらに梅崎蓮(4年)は12月30日に以前から気になっていたという左アキレス腱に痛みが発生。本人から「足が痛くて、走るのは難しい」という“告白”を受けて、酒井監督は主将を外す決断を下した。
「石田は感覚の良い選手なので当日まで起用の可能性を残すため1区に登録しましたが、起用する予定はありませんでした。梅崎は過去3年間の活躍を見ても、2区で大きな期待を寄せていました。そのなかで本人が言いにくい言葉を絞り出して、自分の状態を伝えてくれました。梅崎の日誌を見ても、自分への憤りがあり、悔し涙を流したそうです。20年連続シードがかかっているなかで、ふたりとも起用できないことは想定しておらず、それが大きなプレッシャーとなっているのも感じました」
石田に続いて梅崎の起用を見送ることになり、予定していたオーダーを大きく動かすことになる。当初は緒方澪那斗(3年)が1区、小林亮太(4年)が3区、迎暖人(1年)は7区を予定していたが、小林を1区にまわして、緒方を花の2区に、迎を3区に抜擢するかたちになった。
「正直、チームに動揺はありました。でも急遽、区間変更をした選手たちは、『どこでも行きます』と言ってくれたんです。石田と梅崎の気持ちを全員で受け継いでいこうという雰囲気がありました。小林も故障からの復帰途上で不安はありましたが、往路の選手たちは落ち着いて臨んでくれたと思います」
1区は中大・吉居駿恭(3年)が抜け出すと、小林が大集団を積極的に引っ張った。11位での中継になったが、2位の駒大と13秒差というまずまずのスタートになった。しかし、エース区間を託された緒方は厳しい戦いが待っていた。花の2区は超ハイレベルとなり、緒方は1時間08分50秒でまとめるも区間20位。19位まで順位を落としたのだ。
ここから鉄紺が意地を見せる。まずは3区の迎が区間8位と好走。続いて、前回10区区間賞の岸本遼太郎(3年)が4区を区間3位と快走して、16位から9位まで順位を押し上げたのだ。5区の宮崎優(1年)も踏ん張り、往路を9位でフィニッシュ。シード圏内で折り返した。
「小林は第2集団を引っ張って、自分の走りやすいペースを作っていきました。1区の展開をうまく考えて走ってくれたと思います。2区は出場メンバーのレベルが非常に高く、区間記録を見て驚きました。緒方は結果的に区間20位でしたが、8分台で収めており、彼にとって良い経験になったと思います。3区の迎は、『もう行くしかない』と覚悟を決めて、10kmを28分30秒ほどで通過して、前回の小林と遜色ない入りを見せました。後半の粘りは改善の余地がありますが、この経験が彼にとって大きな成長になるでしょう。4区の岸本は『見える選手はすべて抜く』という気持ちで走り、しっかりと巻き返してくれました。5区はU20世界選手権後にヘルニアの手術を受けた松井海斗(1年)の起用も考えていましたが、1月2日の朝に変更を決めました。宮崎は途中でケイレンが起きたこともあり、ラップに浮き沈みがあったものの、元箱根から芦ノ湖までは区間2位のタイムを記録しました。1年生ながら最後までよく頑張ってくれたと思います」