今日もまた、自分への強い戒めとして記事を書こうと思う。今回改めて肝に銘じたいのは、「不安を消すのは行動であって、思考ではない」ということだ。
白状すれば、今は仕事がいくつか手つかずのままになっており、黄信号になりかけている。これらは2~3日前から「やらなければならない」と認識してはいたのだが・・。
しかし、この2~3日間で何をしていたかというと、実際に手を動かすのではなく、それらをどう処理するかを考えていただけだった。
必死で紙に書き殴り、額を押さえながら考え続け、ChatGPTにも何度も相談し、そして具体的な手を考えて、それをまたリストに打ち込む、と。
つまり、対策はしっかりと考えたが、ただそれだけであり、肝心の実行フェーズがまだ、という状態なのだ。これは僕自身がずっと自覚している弱点でもあるのだが・・。
と同時に、思考を進めた手前、現状から前進はしていると言ってもいいはずだ。しかし、そのはずなのに、僕の頭に霧のごとく生じた不安は、全く晴れてこない。
そしてそのメカニズムを考えていった先に、タイトル通りの気づきに至った、という感じなのだ。以下、そんなことをつらつらと書いていこう。
考えただけ。それだけ。つまり動いてない。そんなこと、俺はわかってるからね。
不安が消えない理由は至極単純で、結局は潜在意識が「現状が何も変わっていない」ことをしっかり認識しているからだと思っている。
これはつまり、「前進していない」ことを、他ならぬ僕自身が実ははっきりと認知していることでもある。今になって、己の浅はかさに恥ずかしさがこみあげてくる。
もちろん、考え事自体はかなり進んだ。プロの棋士が対局前に相手の作戦を練るように、徹底的にシミュレーションを繰り返し、自分がすべきことも明確になった。
しかし、明確になっただけで実行していない。この点については、主客転倒も甚だしいなと、強く反省している。(と同時に、マジで気づけないんだと驚いている)
結局のところ、行動しなければ不安は消えない。そんなことは当然のことだ。どんな本にもブログにも書いてある、手垢だらけのアドバイスである。
だが今回のように、「シミュレーションを進めること」が、一見すると行動のように見えてしまうということも、構図としてとても厄介だといえる。
自分の中で、「確かに仕事を進めている。つまり、これは行動なのだ」と思い込んでしまう。しかし、実際にはただ考えていただけで、行動は何一つ起こせていない。
だからこそ、不安も消えなかったのだと、改めて納得している。やはり、手を考えることと、手を打つことはまったくの別物だ。
そんなことは知識として持っていても、この二つは非常によく似ているため、特に混同しやすいのだと最近になって気がついた。
自分という「乗り物」をより上手に操るためにも、今やっていることが「行動」なのか、それとも単なる「シミュレーション」なのかを、常に自問自答する必要がある。
そうしなければ、何も手を打たずにズルズルと時間が過ぎ、結局苦しい思いをすることになる。そして、そうやって自分を追い詰める構図が延々と続いてしまうのだろう。
つくづく、自分の感情的な部分ってやつは、いい加減なことを考えては僕の理性に吹き込んでくる。本当にそう思う。
では、今日はこの辺で。