三田紀房先生に残業代を請求したことについて
私は大学卒業後、マンガ家の三田紀房先生のもとでアシスタントをしていました。
記録によると平成17年9月5日から平成29年4月27日まで、11年と7カ月です。
かなり長いこと働いていました。
その間、楽しいこともあったし、いやなことも少しはあったような気がしますが、だいたい平和な11年7カ月であったと思います。
それは職場の人間関係が落ち着いていたことに加えて、業界の水準に比べても三田先生の職場が時間にきっちりしていたことが大きいと思います。
完成するまでとにかく徹夜と残業で乗り切るといったようなマンガ家の職場としてよくあるようなルーズさはありませんでした。だからこそ11年7カ月の間、落ち着いて仕事を続けられたのだと思いますし、業界の良くない慣習に流されずそうした職場をつくったことは三田先生の手腕だと思います。
しかし、です。
業界の水準よりはずっとましではあるものの、完全にホワイトかと言われるとそうではありませんでした。労働基準法にきちんと則った職場であったかというと、そうは言えないでしょう。
上の記事に、「現在、三田のアシスタントが働くのは9時30分から18時30分まで。休憩は自由にとることができるが、残業は禁止されている。」とありますが、これはちょっと嘘じゃないですか?
残業は今までさんざんしましたよね?
徹夜は11年7カ月の間、1日たりともなかったです。でも、業界の水準に比べたらずっとましとはいえ、残業は毎週していたじゃないですか。私が退職した後、さらに業務改善されて残業ゼロになったのでしょうか?だったら、そのように書いてほしいものです。まるで昔からなかったかのように読めてしまいます。
あと、自由に休みをとって良いというのも、言葉からイメージされることと実際はずいぶん違いますけど。休憩はあったじゃないですか。15時00分から15時15分くらいまでの10~15分間だけ。そこで簡単な昼食を各自とって、また描き始めるわけです。休憩を自由にとることができるというのは、トイレに行ったりコーヒーをいれに行ったりすることのことですか?それも休憩と言えば休憩かもしれませんが、ものの数分ですよね。喫煙者の先輩は15時からの15分休憩以外にも日に1回、タバコを10分ほど吸いにいっていましたが、せいぜいそのくらいであって。基本的にずっと描いてましたよ、我々は。労働基準法から言えばこの休憩時間の設定は違法ですが、別にそれがきつかったわけではなく、慣れればどうってことなかったとはいえ(さすがに週の4日目、木曜にもなると疲れがたまっては来ます)、なぜ実際と違うことを書くんでしょうか。
で、週4日勤務のうち、月曜から水曜は記事のとおり9時30分から18時30分できっちりしていましたが、木曜はほぼ毎週残業していましたよね。木曜は18時で一度20~30分ほどの夕食休憩をとり、その後22時、23時まで我々アシスタントは残業するのが常だったじゃないですか。24時過ぎたことだってありましたよ。25時までやったことだってありました。
そしてその残業代は全く支払われていませんよね。11年7カ月の間、一度たりとも。
私はそのことに納得はしていません。なので、思い切って残業代を請求することにしました。残業代の請求に関しては、この記事を読む前からずっと考えていたことです。
どうすればマンガ家のアシスタントがもっと働きやすくなるのか?
長時間労働を是正することができるのか?
そういうことを考えた時に思いついたことの一つが、マンガ家に対して残業代を請求してそれをネットに書くということです。幸い、三田先生の職場はタイムカードを導入していたので、出勤・退勤時刻は正確に記録が残っています。改ざん一切なしの記録があるのだから使わない手はありません。このことがどの程度、今後の業界に影響するかはわかりませんが、やらないよりはましです。
それと、残業代とは別のことで納得いってないことがあります。
それは記事の中にも出てくる作画を外注するデザイン会社とも関係することです。その会社を仮にA社とすれば、A社とは『インベスターZ』での作画をお願いしていた会社ですよね。
私はA社に対して悪い印象はありません。マンガ家から作画を請け負って描くということをやっている会社はそうないでしょうから、頑張ってもっと業界内で有名な存在になってほしいと思っています。マンガ家とアシスタント(的な存在)の関係性において選択肢が増えるのは良いことだと思いますので。
でも正直言ってA社の技術だと描けない部分もそれなりにあり、『インベスターZ』の作画でポイントとなる大きなコマは我々アシスタントが描いたりすることが多かったですよね。
〈Ⓒ三田紀房『インベスターZ』13巻/講談社(モーニング)〉
上の絵などは私が資料画像を検索して集めて、下描きをし、ペン入れしたものをA社がトーン処理したわけです。
〈Ⓒ三田紀房『インベスターZ』16巻/講談社(モーニング)〉
この絵も真ん中のチャンピオンベルトの男の顔は先生がペンを入れてますが、首から下は私が下描きしてペン入れしたものです。後ろの人物も私が顔も含め皆描きました。A社はトロフィーとチャンピオンベルト、Kenのロゴ、日の丸、足下の影の線、背後に少し見えるリングのロープ、あとはトーン処理です。靴のデザインもA社かもしれません。
我々アシスタントはヤングマガジンで連載していた『砂の栄冠』を描く仕事がありますから、それをいったん止めて、『インベスターZ』の絵を描くわけです。大抵は私、O先輩、H先輩で描いていました。それなりの時間をとられます。遅れた分は前述のとおり木曜に残業です。でも残業代は出ません。
で、三田先生は言っていましたよね。A社には作品がヒットした時はそれに応じてインセンティブを渡す契約をしている、だから作品がヒットするとA社にとっても大きいんだと。それに、今のところアシスタントを雇うより外注先に支払う額の方が高い、とも。
我々は一度もヒットに応じたインセンティブなどもらったことはありません。
『ドラゴン桜』の頃も年二回の賞与が特別多かったという記憶はありません。
なぜA社にはそうした報酬を渡せて、我々アシスタントにはなかったのですか?A社と我々アシスタントでは技術的には我々が上でした。だからこそ上の絵のように全てA社に任せるのではなく我々が受け持つ部分もあったのでしょう。なぜ技術的に上である我々アシスタントの報酬がA社より下なのですか?
結局のところ、立場が強いのはマンガ家の方なんだからアシスタントがインセンティブをよこせと言ってくるはずがない、言ってきたとしてもどうとでも言いくるめられる、というのが理由ではないでしょうか。それ以外に正当な理由があるのならぜひとも教えていただきたいものです。払いたくないから払わなかった以外の理由があるのなら。ないでしょうけど。
そういう意味でも私は残業禁止だとかメディア上で発言することはいかがなものかと思います。
私たちはあなたのマンガのために働いてきました。残業もさんざんしました。その働きを最初からなかったかのように吹聴するのは一体どういうことなのでしょうか。
mitanorifusa.com
こちらの記事ではマンガ家の公務員化などと言っていますが、公務員と言っても業界の水準よりは時間に正確というだけですよね。
平成17年に三田先生のもとで働き始めた時は、私の記憶が確かなら月給13万円からのスタートだったはずです。11年7カ月で10万円ほどアップし、最終的な私の月収は23万円でした。賞与も含めたらどうにか300万円超えるといったところでしょうか。公務員とは程遠い収入です。売れてるマンガ家のもとで働いてもこのくらいの給与ではアシスタントは希望や自信が持ちにくい職業だと思います。マンガ家として独り立ちするというだけでなくアシスタントの技術をきちんとプロの技術と認めて、アシスタントとして稼ぐという道をもっとつくらないことにはマンガ業界の長時間労働は是正されて行かないと私は思っています。
そのために私が今できることの一つがマンガ家に残業代を請求し、それをこうしてネットに書くことです。
昨今、SNS上で出版社のやり方を批判するマンガ家は多いですし、その批判には納得できるものも多いです。しかしマンガ家もアシスタントに対して改めなければいけない部分が山のようにあるのではないですか?なぜマンガ家はアシスタントにさんざん徹夜や残業をさせても手当を支払わなくていいような慣習が未だにあるのですか?おかしいでしょう。そういうおかしなことは徹底的に批判して改善していくべきだと思います。残業代もその一つです。
業界でもマシな方の三田先生のところで残業代を請求するなら、もっとひどいウチで請求してみたってバチは当たらないよなと行動に出るアシスタントが少しでもいたらいいなと思っています。ただ、他の職場でタイムカードを導入してることは少ないでしょうし、そもそもマンガ家とアシスタントの間には圧倒的な立場の差があります。実際に残業代を請求しようとする人はまれでしょう。ただ、出勤・退勤時刻と休憩時間をメモして証拠を一応残しておいてもいいと思いますし、試しに先月の残業代をざっくりと計算してみるのもいいと思います。そうやって自分は本来これくらいもらってもいいはずなのかとか、残業代って請求してもいいんだとか、少しでもマンガ制作に携わる人の意識が変わっていってくれたらなと思ってこういうことをしています。マンガ家の先輩方からしたら余計なこと言ってんじゃねえって感じでしょうけど知りません。それと、私は立場の弱いアシスタントではなく使用者として強い立場にいるマンガ家の方が本来は積極的に意識を変えていくべきだと思います。
三田先生、残業代を支払っていただけませんか?
記事の中でご自分のされていることを「一種の社会貢献」とおっしゃっていますよね。アシスタントの労働力をさんざん搾取してきたマンガ家が、アシスタントに残業代を請求されてきちんと支払うというのも一種の社会貢献ではないですか?「若い人たちに見せて」いくべきことではありませんか?
ぜひとも支払っていただきたいです。よろしくお願いいたします。