Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
経営ハッカー | 「経営 × テクノロジー」の最先端を切り拓くメディア

最適な撤退はどう見極め、どう進めるべきか 撤退と殿戦(しんがりせん)の研究

経営ハッカー編集部

最適な撤退はどう見極め、どう進めるべきか 撤退と殿戦(しんがりせん)の研究

ビジネスはよく戦略にたとえられます。戦略のない経営や事業は見えない敵に丸腰で向かっていくようなもの。書店を覗けば、戦略に関する書籍が山積みとなっています。その戦略内容も部門別、事業別、経営、市場別など、レベルやフェーズ、規模によって分化しています。これほどまで戦略が一般化しているにも関わらず、意外にも重要なポイントが十分語られていないようです。それは「撤退」です。

"

◆ 戦略の要は撤退にあり

実は戦いにおいて最も難しいのが撤退の見極めとその決断だと言われています。経営環境が目まぐるしく変化する現代においては、この撤退の峻別眼を持つことは、大きな武器となるはず。適切な撤退判断でその後の成長に繋がったケースも少なくありません。
最近は優れた撤退事例が増えたこともあってか、全体的に事業撤退の決断は早まっているようです。とりわけネットビジネスでは事業の身軽さもあってか、撤退判断の速さが目につきます。

直近では鳴り物入りで導入した「ZOZO TOWN」のZOZOSUITの撤退や、「メルカリ」の英国事業の撤退などが話題となりました。また完全撤退ではないものの、米国に進出したばかりの「いきなりステーキ」が11店舗中7店舗の閉鎖を発表し、メディアの注目を集めています。いずれも2~3年程度での撤退判断で、投資家のなかにはそのスピード感を評価する人も少なくありません。

もともと動物は本能的に戦うべき相手を読み取り、無駄な戦いをしませんでした。相手が手ごわいと認めたら、まず引き下がって自己の生命を守り、捲土重来を期します。
それは動物に限ったことではありません。歴史上の名知将や参謀と呼ばれる人々の多くは、無駄な戦いを避け、適切な撤退を実践してきました。その意味では素早い撤退は理にかなったことでもあるわけです。

◆ダイエーはなぜ消滅したのか

事業撤退のタイミングを逸するとどうなるのか……。それは事業どころか会社の消滅です。撤退のタイミングを逸して消滅した会社にダイエーがあります。日本にGMS、総合スーパーという形態を定着させ、流通業界のカリスマ中内功さんが率いた、あのダイエーです。

ダイエーは戦後の昭和を象徴する企業でした。ダイエーの基本戦略は手頃な場所を見つけてその土地を買って出店するものでした。戦後の日本は国中が成長マインドであったために、どの土地も値上がりしていました。だから土地を買うことはその価格以上の含み益をもたらすもので、その土地価格がまた次の投資の源泉となったのです。ダイエーだけでありません。日本の多くの企業は不動産価格の高騰に幻惑されて、不動産に資金を注ぎ込みました。「不動産価格は下落しない」という土地神話を信じたのです。

「本業の業績が悪くなったら、不動産を売却すればいい」――そんな慢心が多くの経営者の心に巣食っていったのでした。

しかしダイエーのライバルであったイトーヨーカ堂は、この土地神話に踊りませんでした。土地を所有せず利用するという姿勢が一貫していました。たとえば1996年から2007年までの両社の固定比率を比較すると、健全とされる100%以下の目安に対してイトーヨーカ堂が81〜109%で推移しているのに対して、ダイエーは246〜649%とレッドゾーンで事業展開してきたことがわかります。

また同時期の自己資本比率をみても、イトーヨーカ堂が67.75〜90.50%と70%前後を維持しているのに対して、ダイエーは7.48〜27.08%とかなり低い水準で推移しているのです。
投資家目線からすれば、今の時代、自己資本比率が高いことは資源を有効活用していないとしてあまり高評価を受けない風潮がありますが、自己資本比率が高ければ、投資家や金融機関の意見に左右されずに自社のなすべき戦略を打つことができます。

ダイエーはどこで事業撤退の判断をすべきだったのでしょうか。

『撤退の本質』の著者である日本ナレッジ・マネジメント学会理事長の森田松太郎さんによれば、自己資本比率が下がり始めた1995年頃だと指摘しています。この年のダイエー売上高は2兆4698億円とピークを示しています。すでにバブルは崩壊して土地価格は下落の一途を辿っていた時期です。

しかし中内さんは決断できませんでした。一度こびりついてしまった「勝ちパターン」を崩すことは、なまじ大きな成長を遂げた者ほど難しいものです。
とくに戦前からの経営者には「社員は家族」という考えを持つ人が多く、中内さんもその傾向がありました。苦楽をともにしてきた家族を切り離すなど耐え難いことだったのかもしれません。

ノンフィクション作家の佐野眞一さんの作品に『カリスマ』という中内さんを描いたノンフィクションがあります。この中で佐野さんは、なぜダイエーが消滅したのかという疑問に、中内さんが抱いていた「豊かさ」を消費者の「豊かさ」が追い越したことを挙げています。
太平洋戦争で出征し、九死に一生を得て復員した中内さんにとって豊かさとは、“家族が揃って家ですき焼きを囲むこと”でした。しかしその豊かさを戦後の世間の人々はあっという間に越えていきました。

ダイエーにとっての撤退のタイミングは、中内さんがその豊かさのズレを認識した時であり、撤退の対象は事業ではなく、中内さん本人だったのかもしれません。

◆戦略的撤退を実践し、業績を飛躍させたキヤノン

上述のメルカリやいきなりステーキの撤退は、明らかに数字が落ちていることが判断基準でした。ただどこを判断基準とするかは、経営者によって違ってきます。マーケティングが十分でなかったのか。プロモーションが不十分だったのか、価格帯や立地、ターゲットがずれていたのか……だとすれば、ここで撤退せず、プロモーションをテコ入れすればいいのではないか、まだやりきってないことがあるのではないか……さまざまなアイデアも出てくるでしょう。数字が落ちたからそこで撤退するというのは、まさに「言うは易く、行うは難し」なのです。

最も難しい撤退の判断は、事業自体が黒字で、しかも成長性が望めながら撤退することです。これを「戦略的撤退」と呼びます。

この戦略的撤退の見事さでは、キヤノンが有名です。元経団連会長を務めた御手洗富士夫さんが社長就任後間もなく、当時の事業の柱であり、IT社会の担い手になるパソコン事業からの撤退をいきなり表明したのでした。

すでにキヤノンのパソコン事業は20年にわたる実績があり、社内からの反発はすさまじいものがあったといわれています。幹部や技術者のなかには、「命をかけてやってきた」と涙ながらに訴える者もいたといいます。

御手洗さんが撤退を決めた当時のキヤノンはイケイケでした。

ゼロックスの特許で付け入る隙のないほど抑えられていたコピー事業に参入し、ゼロックスの特許に抵触しない独自技術でコピー市場を制覇した矢先でした。社員の誰もが自社の独自技術に酔っていた頃でしたから、その判断に多くの社員が抵抗したのも無理からぬことでした。

しかし御手洗さんは、ITが進化発展することは重々承知の上で、いずれパソコンは単なる箱となり、コンテンツや通信が主戦場となるだろうと踏んでいたのです。米国生活の長い御手洗さんならではの高い先見性による判断だと言えばそれまでですが、こうした撤退判断はグローバル企業に限らず、これからの中小企業にも当然求められています。

◆ジャック・ウエルチは、「選択と集中」ではなく「峻別と撤退」を行った

近年経営戦略については、資本を集中させるべき事業と、そうでない事業を分ける「選択と集中」という考え方が浸透しています。選択と集中は、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)のCEOだったジャック・ウエルチの取った策が有名です。発明王エジソンを創業者に持つGEは、1世紀以上もの歴史のなかで、事業を拡大し続け、家電から原子力、金融まであらゆる事業を展開する巨大コングロマリットになりましたが、高い収益を上げている事業は少なく、無駄が蔓延していました。

ウエルチが示した選択基準は明快でした。その市場において1位か2位でなければ、その事業を撤退させるというものです。この基準で彼は100以上の不採算部門を撤退させています。一般的に選択と集中という呼び方をしていますが、これはまさにトップが合理的に事業を峻別して撤退を判断したのです。

その破壊力の凄まじさを、世間では中性子爆弾に喩え「ニュートロンジャック」と呼んだほどでした。なにせ撤退の対象となったのはGEの祖業である家電部門も入っていたのですから。

ウエルチは1981年から2001年までの20年間に売上を5倍にし、純利益率を8倍以上に高め、20世紀屈指の経営者と称賛されます。
この撤退の基準を指南したのが経営学の神様ピーター・ドラッカーでした。ただドラッカーは、「1位、2位以外は撤退せよ」という言い方はしていませんでした。

もともとドラッカーを信奉していたウエルチは、CEOに就任するとすぐドラッカーのもとを訪ねています。ドラッカーはウエルチにこう質問したといいます。

「いまの仕事は、すべてワクワク、ドキドキしてやっている仕事ばかりか?」
その問いに答える形でウエルチが整理したのがこの「ナンバー1、ナンバー2」戦略だったのです。

自分がワクワク、ドキドキする仕事だと思っていても、他の社員がどう思うかはわかりません。だから誰もが納得できる「ナンバー1、ナンバー2」にこだわったのです。市場でナンバー1か2であれば、たとえその仕事が辛いと思っていても、自分たちがこの市場を牽引しているのだという自負が生まれ、乗り越えられるでしょうし、ワクワク、ドキドキが続くというわけです。

もちろん事業の撤退はファミコンのゲームとは違い、生身の人間の処遇に関わってきます。もともと米国は労働流動性が高く、またそのインフラも整備されています。日本ではアメリカのようなレイオフは簡単にできません。ウエルチの方法を日本でそのまま導入することは難しいでしょう。しかし、誰もがわかりやすい撤退基準を設けることで、その実現性は高まり、収益回復の足がかりなるはずです。

◆なぜ事業からの撤退が難しいのか?

撤退はなぜ難しいのでしょうか。なぜわかっていてもできないのでしょうか。
1つは、事業計画そのものに撤退とその基準を明記していないことです。それは無理からぬことでもありました。日本ではそもそも撤退を考える必要がなかったからです。
戦後の日本は黙っていても市場がそのまま成長し続けていきました。市場参入してよほど誤った戦略さえとらなければ、売上は拡大していったのです。

しかし、日本はすでに人口減少社会に入り、国内市場だけではパイは広がっていきません。日本全体の国際競争力も下がっています。消費者のライフスタイルも大きく変わっていきました。

ゆえにこれからの時代は、事業計画には撤退基準を明確に設けるべきなのです。

2つ目は、サンクコストにこだわりすぎることです。サンクコストとは埋もれたコストのことで、それまでに投資してきた金額の総額です。つまりつぎ込んだ資金が巨額であればあるほど、撤退の判断が難しくなるということです。典型的な事例は、民営化(JR)前の国鉄です。国が国鉄を民営化し、黒字化の見込みがない路線を廃線とするという方針を出した時に、各地方から批判が吹き出しました。鉄道は代表的公共交通です。それがなくなることは、住民の足が奪われることに等しいこと。

もちろんこうした場合は代替交通機関としてバスなどが提示されましたが、とくに建設途中の自治体から猛反発を受けました。「せっかく金を出して建設してきたのだから、もったいない」と。

しかし大事なことは流れ出る血を止めることで、流れ出てしまった血をもったないと嘆いてもしょうがないのです。むしろ残っている大切な血を温存し、体力維持、再生に使うべきなのです。

3つめは、メンツ、あるいは世間体です。とくに日本では撤退=敗者という意識が強く、立場が強かったり、言い出しっぺであったりするとその人の評価を下げることになるので、撤退は言い出しにくくなります。また前任者が有力者であったり、自分を引き上げてくれた人であったりすると、その人の顔を潰すことになるため、なおさら口にしづらい状況となりがちです。撤退は決して恥ずべきことではなく、長期の視点に立てば「栄誉ある前進」なのです。

4つ目は、撤退後の世界が見えないことです。これは1つ目と重なりますが、撤退を想定していなければそもそも撤退後の世界は描けません。一気に撤退するのは、手法としては鮮やかで傍からみても潔いのですが、撤退後のインパクトを想定できない場合は、徐々に撤退していくことも考慮すべきです。たとえば仮に利益が出ない店舗であっても、その地域にとって利益以上の価値を提供しているのであれば(地域のインフラ、防災拠点、コミュニティスペースなど)、その価値を勘案し、次善策を協議しながら再生の道を探ってもいいでしょう。

◆事業環境が変わる前提で取りうる選択肢とは?

撤退に詳しい経営コンサルタントの日沖健さんは、その著『戦略的事業撤退』のなかで「企業が発展していくためには、撤退は避けられない」と言い切ります。
理由は「多くの企業では事業を始めて何年、何十年と経つうちに事業環境が変わるから」。
当然のことです。

いかに優れた企業でも、基盤となる技術が陳腐化したり、顧客の嗜好が変わったり、あるいは法律や業界のルールが変わったり、強力なライバルが現れるなどして環境が変われば、顧客が離れ、会社を設立した目的や事業使命はいつしか色あせてしまいます。ダイエーの例が証明しています。

日沖さんは、この際に企業が取る選択肢は2つあるといいます。1つは企業を解散させること。もう1つは新たな事業分野を見つけ出して、新たな目的、使命を掲げて事業を続けることです。現実的には、1つの事業が立ちいかなくなったからといって企業を解散させることは、そうそうあり得ません。多くの企業は後者を選択することになりますが、解散するにせよ、新たな事業分野を見つけるにせよ、既存事業の撤退は避けて通れません。

日沖さんの考えに加えるとすれば、いまは事業の譲渡やM&Aという手段もあります。また担当者が頑なに撤退を拒否するのであれば、その人にカーブアウトという形で事業を引き取ってもらうこともできるでしょう。

◆最適な撤退を実現するプロセスポイント

企業の将来は、誰も見極めることはできません。でも未来を推し量ることで撤退を判断する手法はあります。たとえば日沖さんはおよそ次のようなプロセスを挙げています。

事業評価……自社の経営資源、ライバルの動向を現状評価し、何もなかった場合自社の事業がどうなるかを予測する。

企業理念・経営ビジョンの策定・見直し……事業評価に基づいて、自社の企業理念・経営ビジョンを見直す。

定性的な選別=事業ドメインの仮説構築……①と②に基づいて事業ドメインを仮説構築し、事業ドメインに入る事業と外れる事業を選別する。
a)企業理念・経営ビジョンによる選別……目標とする企業理念・企業ビジョンと合う企業、合わない企業を選別する。
b)ケイパビリティ(競争力のある組織能力)による選別。
c)シナジーによる選別…… 事業ドメイン全体のまとまり、事業間のシナジーという観点から、事業ドメインに合う事業と合わない事業とを選別する。

定量的な選別=コストベネフィット分析……撤退に伴うキャッシュフローの変化を定量的に推計し、事業ドメインの仮説を検証する。キャッシュフローを最大化するよう選別する。

撤退事業の決定……①~④の整合性を検証して、撤退する事業と残して育てる事業を決定する。

ちょっと概念的で難しい感じがしますが、ポイントは手をこまねいたままだったらどうなるかということを可能な限り予測することです。仮説力が問われるところです。
その上で撤退した場合と撤退しなかった場合の、市場や自社の財務、社員のモチベーション、技術資産などを細かく比較検討することです。

◆撤退のカギを握る殿戦

撤退を決断したら、できるだけ速やかにかつ余力をもって行うことです。
撤退時には、そのタイミングもさることながら、どのように撤退するかもポイントになります。

昔から戦においては、殿戦と呼ばれる撤退時の戦いがありました。殿戦とは撤退時に主君と仲間を先に逃がしながら、自らは部隊の最後に位置して迫りくる追っ手と戦いながら逃げる過酷な戦です。劣勢のなかでいかに相手を食い止め、自軍の犠牲を少なくする知恵と度胸が試されるため、殿を務める将は相当の実力者でなければ務まらないとされています。戦国時代においては織田信長に仕えた豊臣秀吉や徳川家康がそうでした。彼らは殿を務めることでその実力を伸ばしていったとされています。

有名な殿戦は、信長が北陸の朝倉義景を金ヶ崎城に討ちに行った際、人質を交換していた浅井長政に謀反され、兵站線を閉ざされてしまった時の撤退です。これは信長にとって最大のピンチであったのですが、秀吉(当時は木下藤吉郎)が殿を務め、無事信長軍は安全地帯である京までたどり着くことができました。

この時藤吉郎は手勢1200名ほどを率いて、織田の本陣がそこに残っているように見せかけるために、信長の馬票や旗指物など数百旈を林立させて、約200挺の鉄砲で威嚇し、5時間を稼いだのでした。藤吉郎はこの時、主力が十分に撤退できるためには4時間が必要だと考えていましたから、5時間は十分な時間だったのです。

当時6、7000名を擁していた朝倉軍は約1200名の藤吉郎軍に手が出せず、そこから動けませんでした。そして一定時間稼いだと判断した藤吉郎は撤退を指令、追う朝倉軍に50挺ごとに交互に射撃を行って、安全地帯に部隊を戻したのでした。さすがに無傷というわけにはいかず、途中半数の600名ほどが命を落としています。それでも奇跡に近い成果でした。

戦国時代は逃げ延びるためには、他の領国を通過しなければなりません。その軍勢が弱ければ、一気にたたみかけてくる可能性もあります。しかし幸いにも撤退時の領土を持つ朽木信濃守元綱が協力的で、京までの道案内を買ってまでしてくれたのです。
信長はその後捲土重来を期し、3年余りを月日をかけて朝倉、浅井を討ち、天下統一に大きく近付いたのでした。

信長は桶狭間や長篠の戦いなど数々の名勝負をものにしてきた武将ですが、敵が敗走しても深追いはしなかったと言われています。これは信長が常に「天下布武」すなわち、天下統一という大目標を持っていたため、大局的見地から戦いをデザインしていったからと考えられています。

個別の戦いで時間を取られるより、戦況が変わったら的確に撤退して、捲土重来を期し、より有効な戦略と戦術で敵に向かうほうが、大目標に近づくことを本能として知っていたのでしょう。さらに信長はその戦略的重心を京においていたとされています。撤退先を京にしていたのは、そのあたりを知っていたからではとも言われています。現代の経営戦略で言えば、事業ドメインの核に当たる部分でしょうか。

◆通常の仕事でも殿戦の発想は活かせる!

撤退は決して敗戦処理ではありません。トップが経営ビジョンの実現のために新規事業戦略と同様に陣頭に立ち、責任を持ってこれに当たるべきことがらなのです。そしてその実務のトップは社内でもエース級を据えるべきでしょう。
 
造船技術を生かしながらユニークな技術で建築界のさまざまな賞を受賞している宮城県の工務店、㈱高橋工業の高橋和志さんは、殿戦を重視した経営をしている一人です。高橋さんのいう殿戦は、「手間がかかり、単価の低い、あまりモチベーションの上がらない仕事」です。通常こういった仕事には、新人やまだ技術が十分でない人間をつけがちですが、そうではないというのです。高橋工業では、こういった殿戦には社内でも仕事ができる人間をつけるのだそうです。「そういう仕事こそ早く終えて、「大事な時間をかけるべき重要な仕事に向かうことが必要なのだ」と。

素早い撤退から、新たな事業展開までの時間はできるだけ短いほうがいい。そしてしっかりしたビジョンとグランドデザインと布陣で新たな事業に取り組む−−。
みなさんの事業の戦略には撤退は組み込まれていますか? また殿戦の戦術は十分でしょうか?

"
2

ガンダム世界の経済・企業・戦争 ジオン軍の財務力を探る!

廣川航さんに聞く!国内VCファンドの最新事情

1{selected.articleTitle}

上場IT企業で取締役を経験した2人がGPであるXTech Venturesとは?

2{selected.articleTitle}

VCとは?