「社会の論理」を持ち込む人々という記事。
「社会では通用しない」と言いたがる人の視野の狭さについての話だが、まったくその通りだよなあと思いつつも、これって他のところでもよくある話だよなあと思ったりもした。
で、表題にいきついたのだが、要するに人は自分のしてきた苦労をしなくてもいい人を見ると冷静になれないんじゃないか、と。
- 最近の言語を否定したがるCOBOLプログラマ
- 金持ちを問答無用で嫌う貧乏生まれ
- Excelのマクロで一瞬で仕事終らせると「心がこもってない」とか言いだすおっさん
- ネットで情報わんさか手に入れてる若いオタクを見ると「昔はこんな情報一つ手に入れるだけでも云々」とか言いだす老害オタク
- 才能に恵まれた人をひたすら妬む無能
- 失職して派遣村に入った人に説教したがる再就職で苦労したクチの人
- 在日外国人は簡単に生活保護もらえると聞いてキレる低所得者
- 職のある外国人労働者をヘイトするリストラ組
- 「最近の若い奴は」から始まるもののほぼすべて
などなどなどなどけっこう思いあたるフシが。自分が該当しなくても自分がその仲間だと認識してると同様にキレるというのもあるかもな、特に国籍あたりで。
俺は割と好きなことやってきたせいか、あんまり自分が苦労したという自覚はないのだが、それでも無邪気に「プログラム書けていいなー」とか言われるとむっと来ることもある。お前は俺と同じだけ本やらウェブやら英文マニュアルやら読みまくったのか、星の数ほどコードを書いては直しを繰りかえしたのかと、そんなことを言いたくなる。好きでやってきたことだし、それが楽しいからやってるだけなのではあるが、だからって何もせずに書けるようになったわけじゃない。
根っこは同じなんだろうね。
自分がそれなりに苦労した分、他人がその苦労をスキップしてる(ように見える)と、その事実を認めたくなくて冷静さを欠いてしまうのだろう。
俺は「苦労は報われる」とか「苦労はいいことだ」みたいな考え方が大っ嫌いで、その理由の一つはまさにこれだな、と思った。苦労すると他人が苦労してないのを許せなくなる。他人が苦労するように働きかける。みんなが苦労しなきゃいけなくなる。
つらい思いの拡大再生産はご勘弁願いたい。
苦労なんてしないですめばそれにこしたことはない。他人が苦労してないのが許せないなら、自分も苦労しないですむように働きかければいい。他人に苦労させる必要なんて無い。
過去の苦労が無駄になる? そんなことはない。あなたの苦労は今にちゃんと生きてるじゃないか。その苦労があるからあいつらは苦労しないで済んだんだ。堂々と「俺の苦労のおかげだ、ありがたく思え」と言えばいい。
同じ苦労など決してさせないことこそが、自分の苦労が生きる道だと、誇りに思って欲しい。