中島さんが"Life is beautiful マザーズへの提言"というエントリーで、下記のことを書かれているが、少し釣りすぎ、煽りすぎで正直あまり感心できない。
まずは、京都大学のコミュニティサイトのこの書き込みを見ていただきたい(日付に注目)。
1. あ 2006/02/05(日) 22:02:43
2/9に東証マザーズに上場するドリコム、社長が京大卒。
売り上げ2億なのに、公募段階で時価総額150億。
1年前に1500円でばら撒いた株券を76万に設定。
そのばら撒いた相手が売り上げの過半数を占めるという不気味な関係。
社長は1万株ホルダー、時価100億円。
どう見ても売り抜け目的の上場。
大問題になると思われるので監視を。
【kyoto-u.com > 談話室 > 議論 > 疑惑のドリコムより引用】このままでは信憑性の薄い「怪情報」でしかないが、もしこれが真実であるならば、違法な「売り上げの捏造」である可能性すらある(証券取引等監視委員会は、今後のためにもしっかりと調査をする必要があるだろう)。
まず、ご自身で「怪情報」と言いながら、それを「証券取引等監視委員会は調査すべき」と言われている点に賛同しかねる。コミュニティサイトに書き込まれた「怪情報」をつぶさに調査するほど証券取引等監視委員会も暇ではないだろう。
なお、開示されている情報を元に事実確認をすれば、下記が株式公開時の主要株主であり、
出典
下記が平成16年の主要な株主であるテレウェイヴ、GMO、サイバーエージェントへの売上。
出典
よって、平成16年については、売上の殆どは出資をしている会社による売上と言える。一方で、平成17年については具体的な売上は不明だが、3社への売上高は全体の30%には達していないことは明白な事実。仮に前年並みとすると20%くらいだが、主力製品の特性を考えると合計しても10%には到達していないと推察できる。
上記の事実や推察をどうとらえるかは投資家個人の判断だが、重要なのは上場時に公開されている情報の範囲で、それなりの事実確認はできる、ということだ。「公開されている財務諸表や各種の情報をきちんと見ることでその企業の実態をそれなりに把握できる」という理解をまずもつことは投資家の最低限のリテラシーと私は考える。
また、「売り上げの捏造である可能性すらある」と書かれているが、これは流石に言いすぎだ。どういうポイントで捏造と書かれたのかは不明だが、仮に主要顧客が株主であることをして「売上の捏造」と考えているのであれば、全くの間違いだ。主要顧客が10%程度の株式を持つことは、創業時のベンチャー企業にとってイレギュラーなことではない。
もしくは、ドリコムのIPOによるキャピタルゲインを得るだけのために、テレウェイヴ、GMO、サイバーエージェントがドリコムの製品・サービスを購入したかのように見せかけていると勘ぐっておられるのだろうか。3社がドリコムのソフトウェアを平成16年に購入した後、一切、もしくは殆ど使っていないという事実があれば売上捏造の可能性は高くなるが、このペシミスティックな勘ぐりは、数少ない日本の若手起業家、及びドリコム開発陣に対してあまりに冷たい。
ライブドア事件やSOX法の施行以降、私の会社の中でも「売上の捏造」、「売上の二重計上」などあまり意味を深く考えずに口からだす人がすごく多くなり、これらの言葉は新たな思考停止キーワードになりつつあるように思う。週刊誌・ワイドショー的にぽっと「売上の捏造」という言葉を使うのではなく、より具体的にどのような取引がなされたのかを想定するところまで考えるのも投資家のリテラシーだろう。
この手の事件が起こると、「欲の皮が突っ張った投機家が損しただけだ」という言葉を良く聞く。確かにそれにも一理あるが、こんな状況を放置していては、日本の株式市場は投機家とデイトレーダーの「ババ抜きゲーム場」以上のものにはなりえない。一般投資家が安心して株式に投資できる環境を整えることが日本の経済を本当の意味で復活させるためには必須だと私には思えるのだが、どうなのだろう。
一般の投資家にも広くわかりやすい形で企業の情報が整備されるべきという点にはもちろん賛成なのだが、同様に一般の投資家が「それなりに安心して株式に投資できる」リテラシーを持つことも同様に重要に思う。ドリコムの株式公開時にその株式を購入した投資家の中で、
- 開示されている財務諸表を見た投資家がどれほどいたのだろうか?
- 具体的に年率でどれくらいの成長を実現すれば、株価に妥当性があるか考えた投資家がどれほどいたのだろうか?
- その成長率とドリコムの成長戦略をてらしあわせて投資を判断した投資家がどれほどいたのだろうか?
ドリコムのIPO時には、誰にでもわかるPERという指標が、誰にでもわかる形で割高感を示していたので、ドリコム株を買うことのリスクは誰の目にも明らかだったように思う。あの割高感の中で投資をするためには、投資家の中にも具体的な成長のストーリーが描かれてなければならない。自身のストーリーがあたっていればリターンをえるし、外れてしまえば自己責任で損をこうむる、そういう「投資は自己責任」という割り切りも投資家のリテラシーのように思う。