ファミマのDQN事件を見て思ったこと
今日ネットで話題になっていたのがこちらのニュース。
【胸糞注意】DQNにキレたファミマの店員、ネットにムービーをうpされ土下座 : よもやま速報
大変胸糞悪い事件である。この事件を通じて思ったことが何個かあったので短めに書いてみる。
1.正論は危機回避かやり返しくらいでしか役に立たない。
この件で悪いのは客で、被害者は店員なのは間違いない。でも、店員は注意する前にさっさと警察を呼んでしまえばよかったんじゃないかと思う。実際、店側は窃盗まがいのことをされているみたいだし。
基本的に正論だけでは暴力には敵わない。正論が役に立つのは危機回避(この場合は警察を呼ぶための口述)か事後処理(犯人を事件後に通報、そのあと裁判で使う)の時にしかない。どんなに正論を並べててもパンチ一発でKO。じゃあこちらも暴力を使えばいいかといえばそんなことはない。店側が暴力を使ったらそれはそれで問題である。
倫理とか知性ってのはフィジカルに弱い。だから弱点を晒すような状況にならないように立ち回らないといけないと思った。
店側が土下座したことに対して疑問の声があがっているけれど、僕はこれでいいと思う。これ以上現場で何かされる可能性もあるから、謝り続けて相手が返った後にしっかり警察を呼ぶべき。ただ、こうしたからには絶対に警察を呼ばないと意味がない。
店側は何にも悪くないし、店員はかわいそう。犯人は罰をしっかり受けてほしい。
2.不良社会の特殊さ
明らかに自分が叩かれるどころか逮捕される可能性のある動画をYoutubeにあげちゃうこと。ツイキャスで放送すること。そしてそのコメントの3つに驚いた。
この犯人が馬鹿だから。で済ませてしまうこともできるけれど、こうした行動の背景には不良社会の特殊性が関係していると思う。
不良社会ってのはとことん狭い身内だけの世界だ。友人が~とか、あいつの親が~だけで回っているといっても過言ではない。だから内輪の外にいる人間はいないも同然であり、気遣う必要もない。だから平気で人に迷惑をかけられる。
犯人は社会というものを身内だけの世界として捉えている。だから平気でネットに動画をあげることができる。本当は社会が自分の知らない様々なひとによって形成されていることに気付いておらず、ネットにもそれを適用してしまう。きっと口では「社会は色々な人がいる」といえるのだろうが、脳内でそれを信じられないし、信じられるような環境にいないのだろう。
ツイキャスのコメントもすごい。もっとタバコを貰えとか自分にも分け前をくれというコメントばかりで、犯人の行為が正しい(そしてオイシイ)ことが前提になっている。
彼らには第三者がいるということが想定できないから、身内の行動に通常の善悪は適応されない。不良社会にとって善悪の判断基準は自分たちにとってウザイかウザくないかだけである。
彼らは警察に逮捕されてウザイから警察署に火をつけたり、歩きたばこを注意した人がウザイから殴ったり、ファミマの店員がウザイから土下座をさせることができるのである。これらは彼らにとって悪いことではない。むしろウザイ奴を排除できたのだから善なのである。
しかし、我々の社会ではそれでは通らない。そして不良社会は我々の大きな社会に内包されている。だからかれらはきっちりと罰を受けなきゃいけないし、できるなら反省して欲しい。世の中には身内以外の人の方が多いということも知ってほしい。
もうひとつ、これだけ違う文化を持つ人たちと僕たちは共存している。だからもし、遭遇するようなことがあったら一目散に逃げ出そう。その前にできるだけ遭遇しないように心がけよう。
別に不良を差別するわけではない。迷惑をかけてくるのだから、被らないように努力するだけだ。