- 作者: 松濤弘道
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2008/11/05
- メディア: 新書
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祖母や父の葬儀の時には、兄が取り仕切り、私が喪主を務めた。世界からお坊さんが集まり、インドの形式で行った葬儀は参列者から「素晴らしかった」「こんなお葬式は初めて」「感動した!」などのお声を頂戴した。なぜなら、お経を上げるたびに、兄が解説をしたのだ。実の兄ながら私も素晴らしいと思った。
兄は「葬儀は、死者を弔うためのものではなく、生きているわれわれのためのものなのです。インドでは人が亡くなると聖なる川、ガンジス川に流します。なぜならガンジス川は地球上で唯一あの世につながっている川だからです。今から、○○というお経をあげます。このお経はどういう意味かというと〜〜。なぜこのお経を唱えるのかというと〜〜」というように、詳しく分かりやすい言葉で意味を伝えたのだ。
なぜ、兄がお坊さんになったのかというと、そもそも小野塚家では、父が信心深かったこともあり、小さい頃からお釈迦様の話は仏教についてはよく話してくれていたのでそのベースがあったのかもしれないのだが。
さて、そもそもお経とは、何なのだろう?と簡単なようでムズカシイ質問に答えたのがこの本。結論からいうと、今から2500年前にインドに生まれて、人間の真実の生き方を悟り、身をもって示した仏教の開祖・釈迦(ブッダ)の教えを示したものです。しかしながらわれわれは釈迦の言葉を直接聞いたわけではなく、当時、師に25年間付き添った弟子の阿難(アーナンダ)がその滅後、王舎城近くの七葉窟での結集で記憶した氏の教えを復唱し、再現したもの。そのエッセンスを紹介しよう。
・お経には、われわれのあるべき生き方をすべて網羅した8万4千の法門(教え)があるとされ、パーリ語の経典の「南伝大蔵経」と、中国からの「漢訳大蔵経」と合わせて、百科事典程度の暑さにして5百冊を下らないくらいの膨大な数にのぼります。そこで、とれもそれらを一人の人間が理解できないので、中国やわが国の代表的な僧侶や仏教学者たちは、その中から自分の選んだお経を信念のよりどころとし、その中から自分の選んだお経を信念のよりどころとし、そこから宗派や学派が生まれるようになったのです。
・すべてのモノは無情かつ無我で、不安定な状態で変化し続けているのであるから、それを固定化し、わがモノのように独り占めし、それにとらわれることをいましめています。ところが、残念なことに人間だけが自分の欲望を独り占めにしたいという自我の欲望(エゴ)をはたらかせ、その欲望がなかえられないと不満をつのらせて悩み苦しみ、われわれをとりこにしています。いわゆる「四苦八苦」の状態でがんじがらめになっているのです。
・わが国に伝わる大乗仏教の経典「漢訳大蔵経」は膨大な数に上り、そこには釈迦をはじめ数多くの「仏」がわれわれにはたらきかけています。それを要約すると
1 歴史的な人物である「釈迦」やその延長である「永遠の釈迦如来」
2 宇宙の摂理(本体)である「毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)=大日如来」
に大別できるでしょう。
・お経を読むとは、自己中心の世界に生きることに満足するのではなく、自分や周囲の人に基づいている自我意識(エゴ)の存在に気づき、その救い難い人間の業に対して懺悔し、祈る行為なのです。また一心に読経をしていると、そのことに没入して他のことを忘れてしまうようです。禅僧で作家の玄侑宗久さんが、「お経を丸暗記して唱えていると、感覚は鋭敏なのに知覚(表彰)されていない状態につれていってくれます。…そこでは好悪の感情も二元論的な判断も一切発動しない…そこには「私」がいないような気がしますし、丸暗記して暗唱している主体さえ「私」ではないと感じるのです」と語っています。
このハンドブックだけでも奥が深い!お盆も近いことだし、ちょっと勉強するのもいいかもね。(^u^)