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読まれるテキストは読者へのおもてなしの構造を持っている

大学生だった当時、梅田望夫の本を読んではてなにやってきた僕は、ブログ論壇への憧れだけがあって、技術者にもなれず、時流のテーマに対して書くべきテーマを持たず、ただ実家の宗教に対する恨みだけを書き綴っていた。

もちろん、そんなものを好きこのんで読む人はいなくて、ただ虚無へとテキストを放り込んでいたのだけだど、いつからか、ある程度パターンを獲得して、その真似をするようになって、成功失敗を繰り返して、それなりにPDCAを回してきたと思う。思えば、その過程でいろんな人のヘイトを買った気がする。

人間のテキストの読み方、その反応、というのはパターンを、いくつか書き起こしてみる。

読者は、ファーストビューのレイアウトで、読む読まないを決める

  • タイトルは記事の印象の5割
  • 章タイトルが残りの半分
  • 本文はほとんど読み飛ばされる
    • 書き手としては単語の印象の連なりでイメージを形成することになる
  • 段落が均等に分割されていると、テンポがいいと認識される
    • スクロールせずに次の段落の見出しが覗いてると尚良い
  • 中身の濃さに関わらず、スクロールバーの威圧感で「読み応えがある」と判断される

読者が求めているのは、そのリンクを開いたことに対する納得感である

  • 「釣る」ならどれだけ納得させるかが勝負になる
  • 結果として、強い主張 => それに対する想定反論へのエクスキューズ、という反復構造になる
  • 脳内に想定読者をエミュレートする。それは訓練で得られる。はてブユーザーはそのイメージを既に持ってるだろう。
  • たとえば、この記事につくであろう反論は「あいつまた中身がない記事を書いてる」「使い古された文章論/ソーシャルマーケティング論」「技術以外のことに言及すると残念」「瞑想と野菜が足りない」などである
  • それに対する反論として、僕は自分自身の納得感のためにブログを書いている、上からコメントすることで気持ちよくなれるなら勝手にどうぞ、僕は気にしないけど、といったスタンスであることを表明しておく。別に言う必要もないのだが
  • 同意を取りたい人に訴求して、叩きたい人には気持ちよく叩かせて、シェアしたい人にはその人のTLを彩るオシャレタイトルを提供する、のが書き手の役割

テキストの質は、読まれるかどうかに影響しない

  • 複雑な暗喩や係り受けの構造、レトリックが含まれるかは、それが読まれるかにほとんど関係ない
    • 書き手の自己満足といってもいい
  • 先に述べた段落構造のテンポ感だけで判断されがち

説明してもしすぎるということはない

  • 同じことを何度も書いて嫌がる人は少ない。なぜならほとんどの読者は読んでいないから
  • 読者は余計なメタ構造を求めない。記事単独で主張が簡潔するのが望ましい。
  • 引用先は読まれない。引用するとしたら読者がその記事を読んでいることを前提に記事タイトルを作る

強い言葉、エモさの役割

  • 人が記事を開いてるのは、何かを言いたいからであり、同意の対象、批判の対象を探していて、その端的なターゲット、「的」として引用したくなる「強い言葉」を散りばめておくと、その記事の反応を見る時にメタ構造がはっきりしやすい
  • ただし、強い言葉は、書き手の認知をも歪める。読者に訴求したいがためのエモいフレーズに引っ張られてて、本来言いたかったことと違うゴールに着地してることもある
  • それはそれで酔狂だと思っていて、自分はあえてそのままにしている

闇に飲まれるな

  • 批判を受けて暗黒面に落ちていった人は多い
  • 心を折らないために、無言の言及/シェアは全て自分への賛同だと思い込む。それぐらいじゃないと釣り合いが取れない。
  • 強い言葉による批判は、センセーショナルで、目につきやすい
  • というメタ構造を知ることで自分へ向けられた敵意を相対化する必要がある
  • 人格批判されるのは辛いけど、人格批判した側の方が品性を疑われてるはずと開き直る

言いたかったこと

俺は絶対に暗黒面に落ちないからな

というのを僕が尊敬する技術者でありブロガーである rui314 さんのツイートを見て思った次第です。