マリナーズの殿堂入りを果たしたイチローさん(現在マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が独占インタビューに応じ、殿堂入りの裏側を語った。
イチローさんは、11月に高校野球女子選抜と2回目の試合を行うことが決定している草野球チーム・KOBE CHIBENの新メンバーに松坂大輔さん(41、元レッドソックスほか)を迎えることを明かし、驚きの起用法についても語った。

記者:
マリナーズの殿堂入りをどんな風に受け止めていますか?

イチローさん:
2000年にメジャーリーグに挑戦することが決まって、2001年からプレーしたんですけど、キャンプのスタート、スプリングトレーニングの試合が始まって、「日本帰れ」って・・・もう毎日言われましたよ。それをどうしても思い出すんですよね。

プロ野球・オリックス時代(1992~2000年)には、7年連続首位打者、MVP3回、最多安打5回など、数々のタイトルを獲得。それでもメディアはおろか、監督やチームメイトでさえも「アメリカでは通用しないだろう」とメジャー初の日本人野手に懐疑的な声を挙げていた。

その全てを、己の力で黙らせた。打っても守っても、メジャートップクラス。アメリカが「イチロー」を認めるのに、それほど時間は掛からなかった。

イチローさん:
日本で200本打ってる人間が、200本打てないなんてことはあってはいけない。それは、僕の中の基準ですよ。ゴールドグラブだって当然獲らなきゃいけないものだし、新人王も当然獲らなきゃいけない立場ですよね。なんとかそれを1年目でクリアできた。これは大きかったです。2022年の8月に(マリナーズの殿堂入りを)誰も想像していないですよ。そういう意味で気持ちの高ぶりはありますね。

2001年、メジャー1年目でいきなり日本人初のリーグMVP(アメリカン・リーグ)に輝いた。そのほかにも、首位打者(率.350)、最多安打(242)、盗塁王(56)、新人王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを獲得している。

2004年は262安打を放ち、84年ぶりにシーズン最多安打記録を更新。さらに、2010年まで、10年連続で200安打を達成した。
数々の偉業の裏には、こんな信念があった。

イチローさん:
自分がやってきたことへの自信、あとは示さなくてはいけない覚悟というかね。当時は日本の野手代表という気持ちが強かったので、それは大きな支えでしたね。

2019年3月21日、東京ドームで行われたマリナーズ対アスレチックスのメジャーリーグ開幕2戦目。超満員の東京ドームで、現役最後の打席に立った。
ファンの惜しみない拍手に、特別な感情が湧いたという。

イチローさん:
プロ野球選手になって、94年にレギュラーを獲って「360°から応援される選手になりたいな」って。でもそれ、時間が経てば経つほど「無理だな」って思うようになったんですよ。相手のファンもいるから。無理なんだけど、あの瞬間(最後の打席)はそうなったっていうね。「あの時に抱いた想いがこんな形で叶ったんだ」って。(涙を)どれだけ我慢したか。