こんにちは、kobeniです。ブロガーで現役ワーキングマザーです。
さいきん私、心の中では割と激おこです。ぷんぷん丸です。でもなんか「ちょ、感情的にならないでくださいよー」とか言われるとさらにイラッとするので、真っ赤なネイルを塗って打鍵感のいいキーボードを叩くなどして気を鎮めています。
『「育休世代」のジレンマ』(中野円佳著 光文社新書)という本を読み、私や私の友達が悩み苦しんでいた、それが何なのか分からずモヤモヤしていた理由がサーーーーッと分かった感じがしました。そしてその次にやってきたのは、モーレツな怒りでした。ぷんぷん丸です。やっぱり、辛かったこととかを思い出すと、どうしても怒りがわいてきてしまうのですよね。問題がハッキリしたとは言え、問題のスケールがデカすぎてボーゼンとしているような、そんな感じです。
目次
■ 「シャア専用」と「量産型」を分かつものとは、何かしら?
前回、私はなんとなく「量産型ワーキングマザー」という言葉を使いました。思いのほかたくさんの方に共感いただき、スッキリしていただけたようで、私も大変嬉しいです。
量産型ワーキングマザーでいこう – リクナビNEXTジャーナル
その後、私はさらに考えました。「シャア専用」と「量産型」を分かつものとはいったい、何なのか? どうしてみんな、「量産型」の方に共感してくれたのかな? と。……それは、主に民間企業において「既存の男社会が作り上げたシステムに順応するワーキングマザー」か、「それに抗う・抗わざるを得ないワーキングマザー」か、の違いなのではないか。そう思いました。
実家力(この言葉もどうなのか)、専業の夫、ベビーシッター、3時間睡眠でやっていける超人的な体力などを駆使し、子育てや介護・家事などのいわゆる「ケア責任」を自分の手元から「無いこと」にする。その上で「自分は他の女(ここではワーキングマザー)とは違う。この立場に、特に不都合はない」「貴女は、なぜ私のようにできないの?」という風に振る舞う。そうすれば「自分が女である、かつて女であった」ことで感じた痛みすら、無かったことにできます(それとも、そういう痛みを一切感じたことがないんだろうか?)。そういう女性は、男社会にとって、経営者(90%以上男性でしょ?)にとって大変に「使いやすい」。これまでのシステムを変更する大きなコストと手間が省けるから。「俺たちの仲間に入れてやろう」というわけです。システム。壁と卵で言えば、壁の方。
だから、デカい企業からの推薦でメディアに出てくるワーキングマザーは、シャアばっかりなんじゃないでしょうか。キャッ! 言っちゃった。言えちゃうの。ただのブロガーだからね☆
でもね、ほとんどのワーキングマザーは今、子供を産んだ瞬間に「ケア責任」と「仕事の責任」、いわゆる「ダブルワーク」を背負った「量産型ワーキングマザー」にならざるを得ないんですよ(私、母が他界して、父も病気で、「実家力」がありません。それに、せっかく子どもを産んだので、夕方ぐらいには家に帰って、今日あったこととか、ゆっくり話をしたいんですよ)。そういうワーキングマザーって、これまで学校で男子と同等の成績を残し、大学で男子と互角にディベートし、会社で男子を上回る営業成績をあげていても!! 子供を産んだ瞬間に、全員ひっくるめて「企業で使いづらい人」扱いなのです。
「夫は家事育児を分担してくれないのか。そういう夫を選んだお前の自己責任だろ、家庭の問題を会社に持ち込むな」(時短取ってくれる夫がこの国にどのくらいいるのか、マジで教えてほしい……)
「母親であるあなたがそばにいないと子供が可哀想でしょう」「勤務時間が短いからって特別扱いはできない、目標はこれまで通り持たせる、残業してでも結果出せ」……。
はあ。こんな「非人道的」で「理不尽」な扱いを受けていたら、そら、ひっそりと一人で泣きながら辞めたくもなるわ、ザクは。法律はどこいったんだ法律は。コンプラ的な何かは。おい、えらい人。えらい人にはわからんのか。そうなのか。
■ ここで、わたしのはなしをします
さて、メタ視点はそろそろやめにして、自分語りをします。私もこういう、「理不尽だなー」っていう扱いを経験してきた、ザクのうちの一人なので。
* *
私は「育休世代」です。生まれ育ったのは地方中核都市で、小さな団地に住んでいました。両親は公務員です。小学生のころに、アニメ「魔女の宅急便」が公開されました。私はキキやジジが大好きで、よく絵を描いていました。女の子がひとりで旅に出て、自分の個性を活かした「天職」といえる仕事を見つけ、職能を磨いてしっかり生きていく。そういう話に憧れたんだと思います。
高校時代は雑誌『Olive』が大好きで、たまに特集されていた(と思う)「お仕事図鑑」的な企画に並んでいる横文字職業に憧れました。国語が好きだった私は「こういう雑誌を創りたい」「文章を扱う仕事がしたい」と思い、大学から、出版社が多数ある東京に出てきました。
就職活動をしたころは、まさに氷河期でした。今の会社を選んだのは、人事部で責任者として対応してくれた女性が、とても若かったからです。ああ、この会社は、若い女性にも責任ある仕事を任せてくれるんだ、と直感的に思ったのでしょう。面接で、上京する前から考えていて、大学時代を経ても変わることのなかった、自分のやりたいことを言うと、「いいよ」と言われたので入社しました。
氷河期だったので、大学の友達で正社員になれなかった子も、たくさんいます。彼女たちと私を分かつものに、さほど差があるとは思えません。大学での成績は、彼女たちの方が優秀だったからです。私は確かに「経済的に自立したい。自立して自由に生きたい」という思いで努力はしてきましたが、それは彼女たちだって、同じだったはすです。
会社は男女をフェアに扱ってくれたので、仕事の場数をたくさん踏むことができました。よい成績をあげられれば嬉しかったし、お客さんに喜んでもらえたら嬉しかった。ただ、部署内の競争も激しかったので、心身のバランスを崩すこともありました。
出産については、かなり慎重に検討したつもりでした。ちゃんと結果を残し、復職後にどう働きたいかも会社側に伝えました。それでも、育休後に復職したら、これまでとまったく違う仕事に配属になりました。
上京する前から描いていた夢も、会社に入ってから生まれた夢も、ぜんぶ消えた……と思いました。それまでは私という「個」として扱われて、活躍できたと思っていたのに、とつぜん「母親になって自分から時短勤務を選んだ、使いづらい女」としてざっくり扱われた。そう思いました。
しかも、この私の悔しさを、誰も分かってくれませんでした。夫に比べて、私の方がたまたま、制度が整った会社にいるという理由で、私が大きく生活を変えなければならなかった。子育ても家事も、平等に分担したい。けれど夫は「帰れない」と言う。上司からの圧力がすごいから、と。同僚には「それ(職種転換)って会社の『配慮』なんじゃない? 私だったら嬉しいかも」と言われました。Twitterで「自分で選んだわけでもない『性別』で、選択の機会を奪われるのはおかしい」と言えば「子供を産まないという選択もあったのに、それをしなかったあなたが贅沢なんじゃないですか?」と言われました。
それまでに培ってきた仕事への自信も、プライドも、もちろんやる気も、ごっそり奪われました。当時、世の中では、リーマンショックとやらを理由に、育休切りが横行していました。クビにならなかった私がここまで辛いのだから、育休切りにあったママたちはどれほどだろう。派遣先で妊娠し、雇い止めになった元後輩の顔が浮かびました。しかも、私自身がはじきだされそうになった理由が、自分が単に仕事が好きで、これまで「長時間労働をしてきた、そのこと自体」にあるような気がして、愕然としました。
私は、私の両親のように、愛情に基づいてお互いの夢や志を尊重して支え合いたかった。そして「子供を産んで育てる」という、二人にとってのもう一つの夢も叶え、そこには欠かすことのできない「お金」を稼ぐことも分担しリスクヘッジする。そういう、自分にとっての「ふつう」を実現したいだけだった。私は、これが「残念! 贅沢でした」と言われる世の中は、おかしいと思いました。うちの両親は貴族でもなんでもない、庶民でしたが、共働きを実現していたんですから。もしこれが贅沢ならば、「仕事」や「経済力」が女性の人生においてどれだけの意味を持つのか考え、必死に道を切り開いてきた私の母の志まで否定することになる。そう思いました。なので、コツコツとブログなどで発信してきました。
そこから5年くらい経って、イマココです。これが、わたしのはなしです。
■ 誰も「ごめんなさい」してくれない
最近、「女性が輝く日本へ」とか言って、子育てしながら働く女性がある日とつぜん竹から生まれてきたのです!みたいな、そして「活用」してあげようではありませんか的なムードですが、あのねえ、仕事を持ち続けたい女性は昔からいましたよ。うちの母の時代からね。もっと遡れば、うちの母が愛読していた清少納言や紫式部の時代からじゃん?
どういう事情があったのか知らないけど、企業経営と、家父長制に基づいた性別役割分担意識をガッチリ結びつけて、「男性」の生き方も「女性」の生き方も、「家族」の在り方も、たった一通りしか許さない「世間」をつくりあげたのは、あなた方じゃなかったか。それ自体を温存して、変える努力をまったく見せず、でも「(労働力としては)女性を活用する」っていったい、どういう状態のことを指しているのか。さっぱりわからん。もうオレは月に帰るぞ。
非正規社員の男性が、「正社員の強者女性が増えるとオレらが不都合だ」みたいなことを言うのを聞いたことがありますが、よく考えてみてほしいのです。非正規社員というのは、もともとは女性が「パート」として担ってきたんです。それを、職能の育成を考えることなく「たいして使えない社員」に堕として使い捨てにしてきた(そして今も使い捨てのままな)のは、いったい何なのかということを。
「家庭」「家族」は、うまく機能しているうちはいい。でも、ややもすれば、外からは実態がよく見えない「檻」になることもありますよね。夫が優しくて、専業主婦の妻への理解もあり、稼ぎも年功序列で安泰だ。子供たちも健やかだ。そういうレールの上でうまくいった家庭はいいが、そればかりではないでしょう?
「母が重い」問題も、熟年離婚も、定年後に生き甲斐を無くしてボーゼンとしている男性が多いのも、シングルマザーやファーザーや他のいろんなマイノリティが生きづらいのも、根っこはぜんぶ同じじゃないんでしょうか? いま、郊外にあるかつての「マイホーム」がどうなっているか。子供たちは独立し家を出て、共働きを希望している。都心から遠くて不便な実家に、今さら戻ることはない。近くに大きな病院などもなく、老いた夫婦の身には不便すぎると、ほとんど空き家になってしまってるらしいですよ。
誰も責任を取ってくれないし、誰も謝ってくれないんですよ。
こういうノリで、もし私の息子たちが戦争に取られても、たぶん誰も謝ってくれない。
私はホント、自分が悔しかったことに対して「ごめんなさいしなさい!」って言いたいんだけど、今んとこ、誰も謝ってくれないんです。
■ 仕事の意味は、お金だけじゃない。「夢」や「志」、「人とのつながり」でもある
『「育休世代」のジレンマ』で、仕事を続けたい、キャリア継続を考えたいと訴える妻に「じゃあお前、俺と同じだけ稼げんの? 稼げないでしょう」と妻を黙らせる夫が出てきます。私にとって、私たちにとって、仕事は「お金」だけを意味しない。それは「夢」であり「志」であり、会社に入ることはそれを叶えるためのひとつの「手段」「修行の場」です。そして、組織という共同体の中で、人とのつながりを得る喜び。仕事を通して、世の中を良くする喜び。お客さんの笑顔が見られて嬉しい、そういう喜びの源なんです。
単純に「お金だけに換算」しないでほしい。それは今、多くの経営者が、「使える社員」「使えない社員」と、生きた人間を強引にお金に換算しようとしているのと、まったく同じことをしているんじゃないんでしょうか?
「風立ちぬ」観ましたか? ニッポンの少年よ、「夢を叶えるってすばらしい!」そう思いましたか? 私はかつてオリーブ「少女」でしたが、私にも夢があるんです。そして、それは、子供を飛行機に乗せて戦争に行かせて全員殺すような、そういう夢じゃない。キキみたいに、自分が親からもらった「飛ぶ力」を磨いて、荷物を運んだ先のお客さんに笑顔になってもらう。そして、そのことが自分も嬉しい。私って、こんなことが好きだったんだ。得意だったんだ。お母さんはこういう仕事してるんだよ、と子供にたくさん話したい。そういうのが私の夢です。
キキみたいな夢を望む人なら、すべてその道を選択できる世界って、具体的にどういう世界なのかは分からない。でも、少なくとも私はそういう世界を望んでいるんです。
■ 子供のため自分達のため「共働き」を選んだのは、夫婦です
量産型ワーキングマザーのみんなたちには、まず自分に誇りを持って、志を高く持ってもらいたいです。みんなたちは、とっても賢いし、とっても努力してきたはず。そうじゃないと、今そこに居ませんから。そして、わざわざ共働きを選んだ理由がなんだったのか、いま一度思い出してほしいです。
「自分の夢を叶えながら(夢の在り方は、途中で変わったりも、もちろんしますが)、愛情を十分にかけて子育てをする。そして、子供たちが『自身が選択できない理由』で差別やハラスメントを受けることなく、多くの選択肢から自分らしい生き方を探し、研鑽できる。彼らが夢や希望を持ち続け、生きる喜びを感じられる社会を、私たちが創るんだ」
このぐらいに、胸を張って生きたらいいと思うんです。一人ひとりはバラバラなところにいるけれど、私たちはたくさんいる。なにせ量産型だから。さみしくない。置かれた場所で咲く感じでいい。困ったら会社の中でも外でも、分かってくれる人に相談すればいい。ひとりで悩んだまま、そっと辞めたりしないでほしい。根っこではつながってるんだから。
貴女が持った「夢」や「志」をどうしても尊重できない企業とは、もう円満に別れればいい。時代の流れも見ず金儲けだけに走り、アンフェアや矛盾を放置する企業は、女性だけでなくどんな立場の人にも刃を剥きかねないと、私は思います。もうひとつ、家庭内で自ら進んでケア責任を引き受けすぎていませんか。「母親の私が」を強化する考え方は、「父親の俺が」も強化していきかねません。共働きを選んだのは、あなただけじゃない。夫婦です。夫にも、あなたと同様に、家事や育児の責任があります。話し合ってください。人間は話ができる生き物です。
そして、夫の人よ。たぶん貴方は、妻ほど慎重に戦略的に「共働きを選んだ」わけではないでしょう。ほとんどの人が「流されイクメン(命名byうちの夫)」だと思う。でも、しょうがない。多くの男性にとって、働き続けるなんて自明のことだから。そこに何の疑いも、別の選択肢も、考える余地を与えられてこなかったですもんね。
けれどそもそも、夫婦の関係とは対等なものです。そして共働きというのは、「仕事・キャリアの築き方」と「家事・育児」において、「理想はイーブン」という、ひとつの思想ではないでしょうか。夫の人よ、まず彼女の話に耳を傾けてほしい。「で? 結論から言え」というような、兵隊みたいなコミュニケーションをやめてほしい。そこにいるのは人間です。妻というひとりの、人間ですから。人間は本来、「分かる、分かるよ。辛かったね」という、共感のあるコミュニケーションと、他者に対する想像力を持ちうる生き物であるはずです。うちの6歳児は、もうそれができます。妻や子供に対して、そういうコミュニケーションを取ってほしいのです。
それから、「もっと進んだ夫の人」よ。いつもありがとう。貴方は、奥さんの夢とか、やりたいことにキチンと耳を傾けてくれている。収入から考えたら、妻が辞める方が「合理的」……で思考停止するような、薄っぺらい考え方もせず、妻を尊重してくれている。レールから外れたら「男じゃない!」と批難されるような息苦しい会社・社会の中で、空気を破らなければならない辛さをくぐり抜け、同じ方向を向いて一歩踏み出してくれている。子どもたちのこと、お互いのキャリアのこと、それから、子どもたちが生きていく未来のこと。長い目で見て、今できることを一緒に考えてくれている。そういう人たちがいること、分かっています。ありがとう。いっしょに、変えていきましょう。
■ 「女性」で居続けよう、まだしばらくは
女性の問題は、結局どの道を選んでも同じようにジェンダー秩序に巻き込まれるという共通性にこそ、希望があるとも捉えられる。
『「育休世代」のジレンマ』に、そう書いてありました。
私は、女でよかったと思っています。生まれながらにして抑圧を避けられない存在であることで、他のマイノリティや、社会的弱者の「痛み」を想像できるから。自分が女性であることを忘れずに、世界へ眼差しを向ける。それを企業の中で「強み」に変えるのは、私は何ら問題ないことだと思います。それが世の中を良くするなら。私たちにしか見えない世界があるんじゃないでしょうか? そして、そういう世界を望んでいる男性もまた、たくさんいるような気がしているのです。
そしていつか、私たちが「女性」であることが、何の強みとしても機能しなくなった時。それは、性別や人種などで差別や偏見に合うことなく、「ありのままの自分」で生き、「個として輝いて」いける世界なのだから。
むしろ、そっちの方がいいですよね。
* *
ちなみに、私のはなしに戻りますが……。
その後、紆余曲折かくかくしかじかあって、私は今の生活に大変満足しています。私が女性であることは、「私」という個人とは今さら、切り離すことができない。私はそういう時代を生きてきた。そしてそういう時代は、まだしばらく続くだろう。だから今、女性らしさ&自分らしさを活かして働けることが、ほんとうに幸せです。
私は「キャリアダウンした」のではない。新しい時代、新しい社会、新しい働き方・家族の在り方のひとつを創っているのだ。今はそう思っています。信頼できる同僚や上司がいて、キチンとチームワークが機能し、お互いを尊重し切磋琢磨できる、志の高い職場にいます。この5年間の経験と、今の職場のおかげで、私の夢の在り方も変わってきました。子供たちは、夫のことも私のことも大好きでいてくれます。彼らを真ん中に挟んで、手をつないで歩くと、私がいつか両親に挟まれて、いちょう並木の下を歩いた、あの日を思い出したりします。落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。
著者:kobeni (id:kobeni_08)
5歳と1歳の男児を子育て中の母親です。はてなで「kobeniの日記」というブログを書いています。仕事は広告系です。公国じゃないです。最近はECサイトの運営に携わっています。