全国で国宝に指定されてされている、5つの天守の一つです。
大手門に続く京橋。
その前には、江戸時代の建築を再現したお店が並ぶ、夢京橋キャッスルロードが続きます。
こちらは、石田三成の佐和山城大手門を移築したと伝えられる、宗安寺の赤門。
外交使節団であった朝鮮通信使の宿泊所としても使われたようです。
その向かいにあるのが、青と黄の国旗を掲げたウクライナ料理店「ファイナ」。
城下町ではありますが、なかなか国際色が豊かです。
こちらは、ウクライナ避難民のご家族が開いておられるお店。
お父さんは、まだ向こうに留まっておられるらしい。
ケーキのショーケース上には、ひまわりを飾ったウクライナカラーの花籠。
ウクライナの地にひまわり畑が延々と続く、もの悲しくも懐かしい映画のシーンが思い出されます。
ランチョンマットに描かれているのは、今大変な状態にある国土。
せっかくなので、少しずつ様々な料理を楽しめるファイナ・セットを注文。
ビーツの赤い色に染まるボルシチ、チキンの挽肉を厚めの春巻きのように巻いたムレンツィ、サーモンとビーツのサラダなどが付いてきます。
ボルシチは予想よりも少し甘めでしたが、どれも優しい味付けで、美味しくいただきました。
食後には、蜂蜜たっぷりのレモンケーキ。
日本語の上手な娘さんによると、ウクライナ料理は、ヨーロッパの中でも一番くらいに蜂蜜をたくさん使うとのこと。
ボルシチが少し甘めだったのも、これかな?
飾られていた写真がどこの都市か尋ねると、ご家族の出身地である北東部のハルキウだとのこと。
後方の白く見える教会と市役所は無事なようですが、手前の黒っぽい建物はダメだと思うと悲しそうな表情をされていました。
戦火が一日も早く途絶えんことを、祈るばかりです。
お店を出て外堀沿いに西へ少し歩くと、前方にちょっと不思議な建築。
一見お寺のようですが、ちょっと違う感じ。
こちらは、スミス記念堂と呼ばれる建物でした。
1931(昭和6)年に、アメリカ人牧師で彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)の英語教員でもあったパーシー・アルメリン・スミス氏が、両親を記念して建てた礼拝堂で、施工は宮大工さんだそうです。
お寺のような火灯窓や、端が反り上った高欄など、かなり和調。
でも、唐破風上の鬼瓦には十字架。
破風を飾る懸魚にも、十字架とキリストを表す葡萄。
蟇股にも十字架があり、梁には鳩と葡萄。
随所に洋風の意匠が施されています。
観音開きの扉には、松・竹・梅・菊とともに、葡萄が絡まる十字架が彫られています。
これは珍しい。
礼拝堂の前には、十字架が彫られた手水鉢。
キリスト教建築で、初めて手水鉢を見ました。
ここまで和調の礼拝堂を見たのも、初めてです。
礼拝堂は、天守と向かい合うように建てられています。
スミス氏は、明らかにお城を強く意識していますよね。
火灯窓が並んでいるのは、お寺ではなく、彦根城の天守がモチーフだったためなのかな。
もう少し西の外堀沿いには、滋賀大学の彦根キャンパスがあります。
ここは、スミス氏も勤務していた戦前の彦根高等商業学校。
門を入るとすぐに、1924(大正13)年竣工のレトロな講堂が残ります。
屋根の中央には、可愛らしい塔に半円のドーマー窓が3つ。
文部省建築課の設計です。
現在も、大学の講堂として使用されているようでした。
その奥には、瀟洒な二階建ての建築があります。
登録有形文化財にも指定されている、陵水会館。
彦根高等商業学校の同窓会館として、1938(昭和13)年に建てられています。
設計は、キリスト教の伝導のためにアメリカから来日したW.M.ヴォーリズ。
クリーム色の外壁に赤い瓦と、軽快で明るいスパニッシュ様式です。
入口の周囲は、オレンジ色のタイルで網代格子状に縁取られています。
階段の蹴上部分にも、何ときれいなタイルが張られていること。
これらは、ヴォーリズお気に入りの、京都で作られた泰山タイルのようです。
階段手すりの、味のあるアール。
ドア上の窓には、六芒星のデザイン。
どこを採っても、ヴォーリズらしさに溢れていました。
キャンパスを出て内堀の方へ少しだけ歩くと、もう一つのヴォーリズ建築があります。
こちらは、陵水会館と同じ年に建てられた、外国人教師用の住宅。
ヴォーリズ建築らしい煙突や、木の柱を外に見せるハーフティンバー風の外観が残ります。
ただ、残念ながら痛みが目立ちます。
大切に保存されると良いのですが。
少し離れて眺めると、ああ、これも天守のすぐ下に建っていたのですね。
国宝の古城と、ヴォーリズ建築が一つの画角に収まることに、ちょっと驚きました。
今回は、和洋の建築様式が混在する城下町・彦根で、ウクライナ料理をいただく小さな旅。
様々な文化が調和しながら共存する街での、美味しい街歩きが楽しめました。