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就活では「体育会はウケが良くなかったです(笑)」卒業後はコンサル業界へ…早大で箱根駅伝3度出走“一般入試の星”はなぜ実業団に進まなかった?
posted2025/02/23 11:02
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一般入試ながら3度の箱根路で好走した早大4年の菅野雄太。卒業後は大手コンサルタント会社に就職する一方、市民ランナーとして競技は続行するという
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和田悟志Satoshi Wada
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Satoshi Wada
一般入試を経て早稲田大学競走部に入った菅野雄太は、入学したばかりの頃はBチームの練習にさえ付いていけなかった。箱根駅伝を走ることを夢見ながらも、現実的な距離はかなり遠かったが、菅野の心が折れることはなかった。
「単純に同期と一緒に練習するのが自分の中で楽しみでした。精神的支柱になったのは同期の存在だったのかなと思っています」
同期には世代トップレベルの活躍を見せてきた伊藤大志と石塚陽士がいるが、一方で菅野と同じ“一般組”の選手も多く、彼らと共に箱根駅伝を目指した。
2年目には早くもインカレ代表に
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怪我なく練習を継続しめきめきと力を付けていくと、1年の終わりに日本学生ハーフマラソン選手権でまずまずの走りを見せた。そして、2年になり5月の関東インカレでは対校選手に選ばれ、ついにエンジの正ユニフォームに袖を通した。
「憧れのユニフォームだったので、シンプルにうれしかったです」
菅野は念願叶った喜びを噛み締めるのと同時に、伝統校を代表する重みも味わった。
「相楽さん(豊、当時の駅伝監督)に関東インカレの話を打診された際に『走ってみたいです』と僕は答えたんですけど、相楽さんからは『“走ってみたい”じゃなくて、選ばれたからには責任を持って走るんだ』と言われました」
エンジを背負う重みをしっかりと噛み締めてレースに挑んだ。
1時間4分54秒で19位に終わったものの、夢の箱根路に一歩近づいた。さらに現実味が帯びたのはその年の夏合宿にあった。菅野はAチームで主力選手と共に練習に励んだ。
「妙高での2次合宿で、前日に距離走、次の日に強度の高い練習というセット練習をこなすことができました。それをこなせたのは大志や石塚といった箱根経験者をはじめ、力のある選手が中心だったので、やっと箱根との距離が近づいてきたなって実感できました」