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日本はよく神仏の二つを信仰していると言われますが、道教・儒教・ヒンドゥー教も古来からの信仰に根強くあるのになぜ取り上げられないのでしょうか?

A 回答 (9件)

マニアックだからでは



ちなみに日本には拝金主義者が崇拝するザイム真理教も存在する

官僚とかいう根っからの屑思考のロボット共
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日本では、外国の様のキリスト教とかイスラム教とかの様な、カリスマ的な人が広めた一つの教えを信じるという様な考え方はなじみません。

かと言って、日本人は無神論者なんて事を言う勘違い野郎もいますがそれも違います。
日本は、古来から神道が根付いていて、自然界の全てものに神が宿ると考えられて来ました。だから、何に対しても粗末に扱ったり汚してはならないと。だから、日本の街がゴミが少なくてきれいなのもそういう考え方が根本にあります。
例えば、御神体が山なんて神社もたくさんあります。特に、日本は農耕民族だったので、天災は神の怒りだと恐れて、どこに神が宿っておられるかわからないのでそういう考え方になったのかもしれません。
また、他の国の宗教と根本的に違うのは、日本は多神教とも言えます。神は一つではないと。例えば、神社によって御祭神が違うのもそうです。だから、仏教もキリスト教もその中の一つとして日本人は受け入れました。
つまり、日本は信仰の自由が認められているのです。例えば、外国の一神教の国がやっている悪い例は、異教徒同士の戦争です。
中東でやっている戦争がその例です。
あれは、他の宗教を認めないという考え方が根本にあって、異教徒は殺してもいいと、それが神の意志であると考えるから戦争が平気で出来るのです。
そう考えると、日本が寛容で平和な理由もわかるような気がします。

ちなみに、インドにヒンドゥー教という宗教は存在しません。ヒンドゥーとは、インドを指す言葉で、インドは他民族国家で多くの宗教が存在します。だから、それらをひとまとめにして、インドの民族宗教という意味でヒンドゥー教と呼ばれています。そこは勘違いしないでくださいね。
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宗教学的には、道教・儒教・ヒンドゥー教も古来からの原始的な信仰に根強く反映されていることは取り上げられていますが、それらの原始的な信仰は現在ではほとんど活動されていません。

だから一般には取り上げられないのです。

日本の場合は、朝廷が神仏習合ということで、形の上では崇仏戦争に勝利した仏教を上位に位置付けた形で仏教と神道を併存させ、多くの神社を仏教の寺にして神社もその寺の一部に残していました。
しかし、だからといって天皇家の皇祖神である天照大御神を祀った伊勢神宮や天孫族に国を譲ってくれた大国主を祀った出雲大社、さらには藤原氏の氏神を祀っていた春日大社なども仏教寺院に変えることは出来ず、そのままにしたため、その系列の全国の神社もそのまま温存されることになった。

つまり、日本の場合は、神道も仏教も現在進行形で日常的に活動している別組織の宗教であり続けている訳です。
その点が、日本の神道と他の原初的宗教の違いでしょう。
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>神仏の二つを信仰している


と勘違いしているからです。

日本の「神仏」といういい方は、キリスト教やイスラム教などの一神教と対比するイメージでつかわれています。
つまり
一神教=経典があり信仰の実践がある
日本の神仏=経典もないし、信仰の実践もない
という形です。

そして神・仏もざっくりと「仏様やお寺じゃなければ、神様」という分け方です。
 元々「教義に沿った信仰の実践」というものがないので、なにをすべきか(しないべきか)、神(仏)の信仰になるのか?という具体的な考えを日本人は持っていないのです。

だから、日本の「神仏」に道教の考え方が入っていて、儒教の神やヒンドゥーの神(仏)が入っていることも意識していません。

有名な七福神でいえば、
大黒天=シヴァ
弁財天ーサラスヴァティー
はヒンドゥ由来
儒教・道教の神
福禄寿
寿老人
布袋尊?
で、大黒天は仏教と神道の習合、恵比寿天だけ日本オリジナルの神様だとされています。布袋尊は実在したと言われる僧侶なので、僧侶という点からみれば仏教、でも中国の人々が崇めた理由は儒教的要素が強いです。

日本はこれらの道教・儒教・ヒンドゥー教を全部ひっくるめて「神仏」の中に居れているので、稲荷・八幡・水天宮などの違いに興味がない大多数の日本人にとっては、出自は関係なく「神仏」なのです。

ほかにも阿吽で知られる金剛力士像は、サンスクリット教由来ですが、みんな「仏教」だと思っています。

で、これらの神仏の違いなどを意識しないのが「日本の多神教のいい所」です。なぜこういう事になったかというと、たぶん《日本の数々の豪族たちが平等になるように》だったと思います。

世界を見てみれば、同じキリスト教でもカソリックとプロテスタントが宗教戦争をしたり、十字軍でキリスト教とイスラム教が争い、それが現代のテロにまでつながっていたりと「宗教の違い」はそのまま戦争の火種になるわけです。

日本が「日本」で民族として纏まりがあるのは「元々日本各地の豪族たちが信仰していたそれぞれの神や、外国から入って来た神仏をみんな平等に扱った」からで、むしろ「知らない、意識しない」ことが日本的でいい事だと思います。
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日本人は無神論者ですよ。

宗教は都合よく使う政治アイテムです。その時代時代で都合よく使われています。儒教は宗教でなく政治哲学として使われ、宗教としての儒教儀式しているのは皇室だけです。宗教としての儒教は神道儀式に入っている。キリスト教、道教、イスラム教、ヒンドゥー教その他は利用価値ないということです。
少子高齢化で日本人の数が激減するのはまじかです。外国人が半数以上占める時代には宗教勢力が変わっているかもしれません。
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信仰はお墓も含め先祖代々受け継がれるものですしイキナリ「我が家は今日からイスラム教徒」とか切り替えるのは難しいかと。

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呪詛が出来ないからです


古代から呪詛目的で使われてきたのです
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>>道教・儒教・ヒンドゥー教も古来からの信仰に根強くあるのになぜ取り上げられないのでしょうか?



なぜ取り上げる必要があるのでしょう?
日本人は、宗教に興味ない人が多いですし、このサイトを見ていても、「死んだら無になる」と洗脳されている方が大多数です。
となれば、日本でメジャーなキリスト教や仏教系ならまだしも、道教とかヒンズー教を、たとえばマスコミとか雑誌で取り上げる理由って無いですよ。
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国民性に合ったかどうかですね。

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