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性格を変える(例えば気の弱い性格から気の強い性格に変える)いい方法(暗示など)はありませんか?

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A 回答 (7件)

先ずは


人生は礼に始まって礼に終わる
そこからやね
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「三つ子の魂百まで」と言います。


無理!
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一番シンプル、だけど多くの人がやらないのが「その考えを変える」ようにすることです。



例で上がっている、気の弱い性格から気の強い性格へ というのは「なんのため」でしょうか?

気の強い性格 の特性を知らない人(当然なったことがないので)が単に、そうなったらなんかいい方向に向かう、、と思いこんでるだけにすぎません。さらには、物事がうまくいかないのは、自分が気が弱いからだ→だから対称であろう気が強くなりたい という短絡的思考に陥ります。

もともと、身近であるはずの気の弱いという性格を使いこなせなかった人が、もったこともない気の強い性格 というのを使いこなせるわけがありません。

ということで、得たい結果のために、自分の特性(性格)を知った上で、アプローチを考えるのが最も良いかと思います。

ちなみに物事で成果を出す人は、臆病さ、気の弱さを持ち、その上で踏み出す勇気を持った人が堅いです。
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性格とかメンタル面とかの話だと思います、そう云った面をを変えて行くという意味は行動が変わって行くという意味と思います。



そう云った事の対処の仕方は、”思わず”に出来る事が肝要と思います。

性格を変える(例えば気の弱い性格から気の強い性格に変える)という意味は頭で思っていても出来ないでもじもじしているのか?と思うや否や出来る、或いはすると云った違いかも知れません。

それはとりもなおさず、悩み多い神経質な性格から悩みがあろうが無かろうが、やれる事から直ぐにやって行くと云った行動力を示す事が出来るのかと云った意味にも繋がっているともいます。

そう出来る為には学ぶ事が必要と思います、それも自分自身を学ぶ事です。仏教を進める訳ではありませんが、仏教の一派に禅があります。

仏教は元々知的なものと云われていますが、禅には何も教えるものも事も無いと云われています。従って禅を学ぶ事は自分以外のものを学ぶ事では無くて、自分自身から学ぶと云った意味合いになります。

人間は悩みや苦しみが多いと云った『一切皆苦』と云われている存在かと思いますが、釈迦の教えの中にはそう云った事から解き放たれると云った『跳躍的な処とか、或いは心の革命』と云った要素を学ぶ事が出来る様です。

その理由は『人間の疑問や苦しみの元は、その当の本人が自分の頭の中で作っている。』と教えているからです。

その最たるものが『自分は何者か?や人生とは何ぞや?』と禅の師匠に聞いたとするなら『お前は如何してそう思うのか?』とb逆襲されるだけのようです。

その理由とは『疑問が湧き上る時、その疑問の中に答えは既に用意されている。』という事を意味しています。この意味は仏教が元々知的であった証拠を示しています。

人間の頭の中には湧き上がる疑問と、その疑問を湧き上がらせている者と二つの人格が存在しているという意味があるからです。

話しはがらりと変わって、聖書の話をします。聖晶の中に『失楽園』と云った下りがあります、是も同じ事を云っています。

天国に住んでいた幼子が、大人になりかけてしまって、苦労が始まるという意味ですが、その真実は『心が、見ている自分VS見られている自分』という風に二つの分裂をした事を意味します。

つまり人間の頭の中の脳が二つになってしまったという意味です。一つは元々の神と云った部分と、もう一つは自我意識と云った部分にです。

種を明かすなら神と云った部分は、右脳の機能です、無意識の自分の事です。左脳の自分は顕在意識と云った機能です。

自我意識は絶えず、無意識の底から背後から指令とか情報を受けています。

それは見られている自分と云った感覚ですが分かり難い事から、思春期頃から恥ずかしいと云った感情になっています。イチジクの葉が必要になったという意味です。

仏教でもキリスト教でも天国とか極楽に一番近い存在は『幼子とか嬰児』と云われている理由がこの事を意味しています。脳の機能が分化する前の段階、つまり心が一つの状態を意味しているからです。

心が矛盾しているとか対立しているとか分裂しているという意味は、生き難いとか心が苦しいとかという意味になります。

こう云った事柄を長い歴史の中で、体系的に仏教の真髄とか禅の極意である『自分自身を知る=悟りを開く』と云った体験を、その本人の才能に疎いとしたとしても、体験に導く手段として禅は進化してきた様です。

その最たるものが『禅問答』の中に在ります。

左脳は分別脳です、物事を詳細に分析をして言葉にする機能を備えています。この事が時として人間を苦しめる場合があります、それは心を病むという場合とか、神経症の症状に結び付く事です。

神経症を完治させるには悟る事が有効ですが、それには禅を学ぶ事が大変に有効です。

神経質な性格の人が、おおらかになったり、何があっても動じないと云った性格に変化するからです。時間が無くなりましたのでここまでにしますが、聞きたい事があるようでしたら聞いて下さい、時間が或る時に答えたいと思います。
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私が変わったのは友人関係でですね。



中学校の時にいわゆる「問題児」とされるグループと一緒に遊ぶようになりました。授業態度は不真面目で教師からは「不良」と認識されていたようですが、実際には人情に厚く犯罪などはしなかったグループです。

その中でかっては「優等生」で「理屈っぽく」「陰キャ」だった私も大きく変わりましたね。今では「陽キャ」の代表格みたいになっています。20歳ぐらいの頃に開催された小学校の同窓会ではびっくりされました。

もちろんNo2さんのおっしゃるように小さい頃の性根はかわらないかもしれません。でもその上に着る着物はいくらでも変えることができますよ。
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振りするのが、上達するだけで根っこの3歳までに


出来上がった性根は、どうやっても変わらない。

常に、土台の柱として影響及ぶ。

演じてる間も自分と、真逆な性格キャラロールしてれば
確実に、遅効性の無味無臭な毒で己の自我を崩壊させる。

それを、食い止めるのに愚かな事やって身体壊すか
周囲の人に、迷惑撒き散らして周囲の人の心や身体壊す。

自分に向く毒か、周囲の人に向く毒になる。

そもそもだけど、気が弱いから気の強い振りする。
気の強い人は、気の弱い人が羨ましいので真似事する。

どっちもしっくりこない。

当たり前

変える変わらないじゃなくて、1面を2面にするってこと。
人は、そもそも多面なんだから色んな面を抱えることで総合的に
最も弱く脆い面が、他の面によって補強される。

認めること。

認めたそれで、解決したつもりにならんこと。

ペルソナの扱いの初歩の初歩
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おはようございます


あります
例えば、あなたが高級寿司店行きます
いくら掛かるか不安ですね
5万円あれば不安はないですね
それと同じで裏付けがいるのです
それを解決する方法は先ずは自己確立です
誰にも寄り掛からない性格ですね
次に武道です
ボクシング、空手、柔道、少林寺拳法、合気道
どれでもお好きなのをですね
一から教えてくれます
お近くの道場へですね
私は少林寺拳法でした
全く、性格が変わりますね
よろしくです
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