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松坂世代のPL学園主力の3選手、エースだった上重聡投手や4番打者の古畑和彦三塁手、守りの要だった本橋伸一郎遊撃手が3人ともそれぞれ進学した大学で大した活躍も無く、大学卒業と同時に野球を辞めてしまったのは何故でしょうか?
どなたか教えて下さい。

A 回答 (5件)

上重選手に関しては故障です。

立教大時代は多田野選手(現アメリカマイナーリーガー)と共に六大学野球で投げてた時期もあります。
東大戦で完全試合を達成したこともあったそうです。
肘を壊してプロは断念したみたいです。

http://plaza.rakuten.co.jp/bluemoe/12018
古畑選手は参考URLのコラムのとおりだったのかもしれません。


本橋伸一郎選手に関しては詳しくは分かりません。

ただ、キャプテン平石選手(楽天)や大西選手(オリックス)は大学や社会人経験後プロ入りしていますし、当時2年生だった田中一徳選手はプロでは大成しなかったですけど横浜のドラフト一位です。
PLの選手が注目されて無かった訳ではないと思います。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%BE%E5%9D%82%E4%B8 …
参考URLは「松坂世代(矢崎良一著))」という本です。興味がおありなら一度読んでみるといいと思います。
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PL学園の強さは、名将中村順司監督の甲子園戦術の巧みさと地元の有利さにあります。

 決して選手一人一人が優れているのではありません。 1998年、横浜高校と延長17回の死闘を演じたのを最後に中村監督は勇退されています。 

高校野球は特に監督の采配が勝負を大きく左右するものです。 この年のPLの選手の力は特に傑出しているとは思えません。 監督の采配と三塁コーチに立っていたキャプテンのベンチワークが優れていたので勝ち進んでいたように思います。 選手個々の力では、横浜高校の方が遥かに優れていたと思います。  
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上重とかかなりやりましたよ。

名前を聞かなかっただけでは?
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何故、と言ったら上に通じるだけの才能がなかった、と言ったらそれまでですね。

本人たちに聞いたって故障などがない限り、こういうしかないでしょう。
いえるとすれば、この世代は必要以上に取り上げられていたからでしょう。松坂をはじめ多くの力のある選手がいたのはもちろん、あの延長17回の試合は今後も語り継がれるでしょうからなおさらかと思います。
PLはあの世代はマスコミには大きく取り上げられていましたが、特に突出したスター選手はいなかったかと思います。しかし元々能力が高い選手が揃っているのであそこまで勝ち残れたかと思います。
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それよりもすごい選手が沢山いたから

この回答への補足

回答有難う御座います。

「それよりもすごい」といっても、PL学園の主力選手という時点で全国的にトップレベル実力の持ち主の筈だと思います。なのに何故?と思ったのです。

補足日時:2007/04/10 18:55
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