評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)
映画で、映画館で、リアルタイムで観る価値がある圧倒的な密度の体験ができる。文句なしダントツの最高評価。2024年は、邦画ダントツの一位になるんじゃないかな(この大豊作の年でさえも!)。
58分という短さではあるが、2−3時間の大作映画を見た圧倒的な密度と充実感を感じた。58分の短さにも関わらず1700円均一の値段が話題だが、むしろもっと払ってもいい!と思わせる体験だった。
そもそも漫画が大好きすぎるほど繰り返し読んでいるので、もう最初から涙腺が決壊し続けていた。映画としての出来は、一言で言って、「驚くべき映画の完成度であるにも関わらず、原作から何一つ足さない引かない、という完全な映像化」という感想。まさに「そのまま」であるにも関わらず、言い換えれば、メディアが全然違う(マンガと映画というメディア媒体の違い)にも関わらず、さらなる圧倒的な密度感。『電脳コイル』の作画監督を手がけた天才アニメーターの押山清高が、監督、脚本、キャラクターデザイン、絵コンテ、作画監督、原動画の全てを兼務し、アニメーション制作も自らが設立したスタジオドリアンと聞いて、けだし納得。というのは、これは、アニメーションの実在感が凄く、マンガでの描かれた「もの」の解像度が異様に上がっているから起きた現象だと思うんですよね。普通、ただそのまま忠実に描くと、最初の新規さがない分、メディアが違う分、差し引かれてイマイチになるのものですが、これは本当に見事な忠実な映画化。偉大な傑作として仕上がっている。
藤野は感情的なキャラクターなのですが、それが極端に現れるのが、「走り出すシーン」なのだが、このダイナミズム、躍動感が本当に素晴らしい。音楽とアニメーションの「動き」で映画館中に満たされる密度にどっぷり埋没する、素晴らしい映画体験だった。
そして、その精神性。もともとの、藤本タツキの原作自体の深さが素晴らしい。もともと、この作品は、東北芸術工科大学の学生時代に藤本タツキ先生が、東北大震災のでボランティアに行った時の巨大な無力感に打ちひしがれたものが原点になっているといいます。だから、とんでもない出来事が起きてしまって、それに対して「何もできなかった」という無力感をどう「受け入れていくか」の喪失の受容の物語になると思うんです。この辺りの『シン・ゴジラ』『すずめの戸締り』『キリエのうた』の系譜に連なると思う。
だけれども、映画では、受ける印象が僕の個人の視点かもしれないが、少し違った。というのは、この圧倒的な無力感と喪失感の作品でありながら、藤野(CV河合優実)と京本(CV吉田美月喜)の小学生からの出会いの美しさが、あまりに美しすぎて、胸に迫った。
彼らの人生は、ほとんどが、机に向かって絵を描いているだけで、しかも決してコミュニケーションが得意なわけでもなく、他に友達がいるわけでもなく、しかも、東北の雪深いド田舎で何もない場所で過ごしている。なのに、まるで全てがあるように、色彩と躍動感と、好きなものを通して大切な人と同じ時間が過ごせている充実感が溢れている。マンガではなかった、鮮やかで、キラキラしている色彩が、胸に突き刺さるように深く切なかった。アニメーションの色鮮やかさと、動きによる躍動感がなければ、この「美しさ」が描けなかったと思う。そして、この「美しさ」が美しければ美しいほど、その後の、どう足掻いても、何一つ現実に起きたことに関われず、変えることもできなかった無ただ受け入れていくしかできない無力感の落差がシャープになる。
素晴らしい傑作だった。
天才マンガ家と天才アニメーターの幸せな出会い。リアルタイムで、劇場で見れたことが、大いなる幸福でした。