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phaの日記

なんとかなりますように

日本語ロックと声

 歌詞を書こうとして、どうも戸惑っている原因(の一つ)がわかったんだけど、それは「歌詞は発こえされる言葉である」からで、今まで俺が慣れてたのは「文字として書かれて読まれる言葉」だったからみたい。だからどうも動きにくいな(言葉の中で)、と感じていたようです。
 書き言葉と話し言葉の違いというのがあって、書き言葉よりも話し言葉の方が音の数をたくさん要する。「昨今の状況は予断を許さない」→「ここんところ周りの様子がどうものんびりしていられない感じだ」とか。発音も違うな。話し言葉、というかやまとことばは、母音をしっかり発音して歌うと美しいんだよな、多分。山口百恵とか昔の歌謡曲を聴こうか。メロディーに乗るのはやまとことばの方が優れている?というのでいいのかな。例えば中島敦の漢文調はカッコイイけど、メロディーには乗らないし、メロディーなんて必要としない。
 今まで俺は書き言葉主体で適当にテンポのいい言葉とか並べたりしてたんだけど、そういうのは通用しないので、平易な話し言葉で詩情を生み出さないといけない。それはできないことではないはずだ。私は熱いお茶を飲んでる。
 目の前の誰かに声を届けることとか意識してみるよ。今まで生きてた中で結構それ苦手だったんだけど(みんなおしゃべりしようぜ)。


 ちょっと関係ある今読んでる本→竹内敏晴『ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)
 この本での「こえ」というものの捉え方のイメージが好きです。こえとは、発する人のこころとからだを反映する、というかもっと一体化して、こえ・こころ・からだは不可分なようなイメージ。こえは受け取る人の(耳とか脳に対してでなく)からだという実体に向けて発せられるべきだ。相手のからだの重さを想像して、それにうまく響くように考えてこえを出す。そしてこえが相手のからだに届くと、こえはからだを揺さぶり、こえが届いた箇所から波紋のように全身にさざなみが広がっていく。こえは相手のからだとこころに届いて変化を与え、それがまたこえとして帰ってくる、そんなやりとりのイメージ。こえで表現されている内容とか意味とかそういう話でなく、もっと物理的なイメージで捉えられてるのがよいと思う。