2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧
セックスマッチョという非「性的なもの」 「性的なもの」を語るときに、セックスについての話は、あまりおもしろくないだろう。特にマッチョなセックス自慢話は、3流エロロマンス小説のパクリ、ワンパターンAVビデオを模写した自己満足でしかないからだ。…
「私」が様々に語る苦悩は性的快感の不満である 人はリビドー(性欲動)を解放しようと生きているというのは、還元主義的、機械論的だろうか。リビドーの解放は単に性的な刺激ではなく、「ズレ」である。正しさ、調和からズレたところにしか、リビドー解放の…
場への固執と場からの離脱という「閉塞」 日本はハイコンテクスト社会と言われてきた。しかし現代のような価値が多様で、流動的な社会では、コンテクスト(文脈)の共有が困難になってきている。ハイコンテクストがくずれてきている。一つは崩れているから固…
「空気を読む」ことの過剰とは薄氷化する場への恐怖 「空気を読む」というときの「空気」のメタファーが示すものは、「見えないがある」、ということであり、見えないものとは言葉である。「言葉として発せられなくてもそこにある言葉」である。たとえば「い…
なぜ性倒錯対象は多様化するのか 「性的なもの」とはなんでしょうか。人間は年中いつでも発情し、「性的なもの」を求めています。社会ではこれを抑圧することを良しとします。でなければ、動物の発情期には命をもかけた戦いがあるように、まともに円滑な人間…
白いキャンパスについた「汚れたシミ」 科学的に、美形とは平均的な顔だといわれる。多くの人の顔をコラージュすると美形になるらしい。この美形とはマネキンのような無個性な顔である。人々を引きつける魅力的な顔とはこのような正しさ(美形)からのわずか…
想像関係と象徴関係 人間関係は、想像関係と象徴関係のバランスでできている。想像関係とは一対一の関係であり、互いに欲望しあうことで、愛着が増す、相手がかけがえのない存在になる。それによって自分もかけがえのない存在になる、ということだ。このよう…
ネットに溢れる悪口 悪口をいうのは、一般的にはある対象への悪意があり、それを表現することであり、 その対象への攻撃である。このような悪意は精神分析的に検討されているように複雑である。たとえば対象への愛着である転移は良性では愛であるが、悪性で…
薄氷の共犯関係 「若者よ怒れ」 平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、新宿ロフトを開店した。「わかってたまるか」社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。82年、店を仲間に託し、海外放浪の旅に…
内部へ抑圧 障害に直面したときに、対応は内部と外部があります。外部は環境を変えるということであり、内面は自分を変えるということです。たとえば子供は環境の悪さを外部を俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かいます。親が離婚するのは、ボクが…
①なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集団…