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ポリタス

  • 視点

投票権を失って感じたこと

  • 國分功一郎 (哲学者、高崎経済大学経済学部准教授)
  • 2016年7月9日

このことをここに書くべきかどうかすこし悩みました。しかし、下に記す理由からやはりきちんと書いておくべきだと判断しました。

10日ほど前に知ったことです。 私は7月10日の参院選で投票できません。投票の権利を持っていません

投票用紙が来ないのでおかしいなと思って調べたところ、この驚きの事実が判明しました。

私は昨年2015年3月末から1年間、研究のためにイギリスに滞在しました。当然のことながら、出発前の3月末に、住んでいた東京都小平市からの転出の手続きをしました。つまり、1年間、小平市には僕の住民票はなかったことになります。そして今年の3月31日に帰国しました。すぐに転入の手続きを取りました。なお、1年間不在でしたが、この間の分も住民税は支払っています。

海外にいても手続きをすれば国政選挙で投票できることは知っていました。ですが、イギリスにいる間に国政選挙はなかったのでその手続きの必要はないと思っていました。選挙が行われることが分かったら、ロンドンの大使館で在外選挙人証の申請に行けばよいと考えていました。

ところが調べて分かったのは、今回の参院選に現住所の小平市で投票するためには、公示日の3カ月前までに転入手続きをすませていないといけないということでした。すなわち3月21日までに小平市に住民票を作っておかねばならなかったのです。私が帰国したのは3月31日。ギリギリ間に合っていません。

小平市の選挙管理委員会に問い合わせたところ、ロンドンの日本大使館で在外選挙人証なるものを取得していれば、それは帰国後も4カ月は有効であるので、投票用紙は届かなくとも、それをもって小平市内の投票所に行けば投票できたとのことです。しかし、もう帰国しているのでそれは取得できません。

つまり私は、日本での投票に備えて、ロンドンで、外国での投票(在外投票)のために必要な在外選挙人証を取得しなければならなかったのです。とてもそこまで私の想像力は及びませんでした。小平に家もあって、税金も払っていて、3月末に帰国して7月に選挙。当然、投票できるものだと思っていました。

選挙期間はたったの2週間です。それに対し、投票する側には3カ月も前から選挙に備えて1カ所に住んでいることが求められている

もちろん私の不手際です。なんたることでしょうか。こんな大切な選挙で投票できない。しかし、3カ月も同じ所に住んでいなければ投票できないというのもいかがなものでしょうか。選挙期間はたったの2週間です。それに対し、投票する側には3カ月も前から選挙に備えて1カ所に住んでいることが求められている。繰り返しますが、もちろん私の不手際です。しかし、たった10日の差で投票できないことになるとは……。無念としか言いようがありません。

いま、とても変な気持ちです。何か申し訳ない気持ちなのです。しかしいったい誰に対して申し訳なく思っているのでしょうか。自分に対してか。自分がその一員である主権者全体に対してか。日本に住んでいる人たちに対してか。日本に住んでいるのに投票の権利がない人たちに対してか。ここにはとても複雑な問題があるように思われました。私はいったい誰のために投票するはずだったのか。いったい誰のために投票できなければならなかったのか。この申し訳ない気持ちは、どこに、誰に向かっているのか。


Photo by tokyoform (CC BY-NC-ND 2.0)

その正確な答えをここで出すことはできません。ただ、はっきりしているのは、自分の中に、「何をやってるんだ」という自分を非難する気持ちと、「すみません」という周囲に謝る気持ちがあるということです。そして、後者の気持ちについて考えながらすこしずつ分かってきたことがありました。「すみません」という気持ちは、日本に住んでいる人だけに向かっているのではないということです。というのも、ここで日本がとんでもない政権を作り出してしまえば、その被害を蒙るのは日本に住んでいる人だけではないからです。

日本がとんでもない政権を作り出してしまえば、その被害を蒙るのは日本に住んでいる人だけではない

投票は一つの権力を作り出す行為です。その権力には、実に強大な権限が与えられます。その権力は主権によって選ばれた権力であるからです。その権力が作り出す法律は我々を拘束します。それに従わなければ、誰でも罪に問われるようになります。

またその権力は人を動かすことができます。多くの人にとって“正当”性を欠くと思われる内容の命令であろうとも(つまり、フェアでない、不当であると思われる命令であろうとも)、この権力は、“正統”な命令者として(つまり、法の定める一定の手続きに基づいた命令者として)、これを下すことができるのです。

投票というのは、このような、非常に慎重な取り扱いを必要とする、恐るべき力を作り出す行為です。

投票しないことによって、自分はとんでもない責任放棄をしてしまっている

確かに投票できるというのはもちろんとても価値のある権利です。しかし、こうして投票できないと分かって感じたのは、そういったことではありません。「病気になってはじめて健康のありがたさが分かる」式のポジティブな感覚は全くありません。法規のことをきちんと調べてさえいれば自分はきちんと投票できた。こうして投票できない、投票しないことによって、自分はとんでもない責任放棄をしてしまっている。そういう感覚です。

投票しないというのは、「あのときに自分がああしていればこんな事態は避けられたかもしれないのに……」といった強い後悔の念を生み出すかもしれぬ不作為だと、もちろん分かっていたつもりでした。しかし、このことをこんなに実感をもって感じ入ったのははじめてです。

こうして書き記すのは、これがこの不作為についてのせめてもの償いになればと思ったからです。同じような事態に陥る可能性がある人が参考にしてくれるかもしれません。投票はできませんが、自分にできることをやっていくしかない、そう思っています。

著者プロフィール

國分功一郎
こくぶん・こういちろう

哲学者、高崎経済大学経済学部准教授

1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。現在、高崎経済大学経済学部准教授。著書に『民主主義を直感するために』(晶文社、2016年)、『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版、2015年)、『統治新論──民主主義のマネジメント』(太田出版、2015年、大竹弘二との共著)、『近代政治哲学──自然・主権・行政』(ちくま書房、2015年)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店、2013年)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎、2013年)、『哲学の自然』(太田出版、2013年、中沢新一との共著)、『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)、『スピノザの方法』(みすず書房、2011年)。

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