すべてが最適化され、管理されるユートピアのようなディストピアを描いた児童書「ギヴァー 記憶を注ぐ者」を、英語(原書)と日本語で読みました。
選択と自由について考えさせられるSFですが、単純に物語としても面白かったです。
シリーズについて
本書には続編があり、4部作となっています。
- The Giver / ギヴァー 記憶を注ぐ者
- Gathering Blue / ギャザリング・ブルー 青を蒐める者
- Messenger / メッセンジャー 緑の森の使者
- Son / ある子ども
4作とも全て主人公が違います。
私は続編は未読ですが、本書は物語として完結しており、単独で楽しめました。
あらすじ
主人公ジョナスの住むコミュニティでは、皆がルールに従って生活している。職業や結婚相手なども、コミュニティによって各人に最適なものが用意され、住民たちは快適な暮らしを送っている。もうすぐ12歳になるジョナスは、自分にはどんな職業が割り当てられるのか、気になって仕方がない。
感想(※ネタバレあり)
※ネタバレをせずにうまく書けなかったので、ぜひ読後にお読みください。
間違った選択をするくらいなら、選択などない方がいい?
"Or what if," he went on, almost laughing at the absurdity, "they chose their own jobs?"
"Frightening, isn’t it?” The Giver said.
Jonas chuckled. “Very frightening. I can’t even imagine it. We really have to protect people from wrong choices.” (pp.98-99)あるいは、もし自分の仕事を選べるなんてことになったら?」
言いながら、あまりのばからしさに吹きだしそうになった。
「ぞっとする事態だ、ちがうかね?」<ギヴァー>が言った。
ジョナスはクスッと笑って、言った。
「ものすごく恐ろしいです。想像すらできません。ぼくたちは何としても、まちがった選択から人々を護らなければならない」(pp.137-138)
ジョナスたちが住むコミュニティは、徹底して個性を潰し同一化を図る管理社会ではあるけれど、物語の最初を読んでいるうちは、そう悪くないんじゃないかとも思えていました。
皆が平等に扱われ、等しくチャンスがある。
幼少期から徹底して観察され、それぞれに最適な職業や家族が何年もかけて精査され、与えてもらえる。
最近、遺伝や環境の「ガチャ」が問題視されていますが、平等や最適化を突き詰めていくと、こうなってもおかしくないように思います。
現に、就活や婚活でよりよいマッチングができるようにAIが活用されだしています。
もちろん、「決めてもらう」のと「参考にする」ではまったく違いますが。私は、本書のコミュニティの長老たちが実はAIだったとしても不思議ではないと思います。
人間の要望を集約して聞いたAIが考えたシステムという感じがする。
特に高齢者に対する扱いが恐ろしいほど効率的(という言葉が適切か分からないけど。生産主義的?)で、ぞっとしました。後半にさらにゾッとするシーンもありますが……。
選択って本当に難しい。
選択を間違えて、それまでの何年もの努力や成果がすべて水の泡になってしまったことがある身としては、客観的に最適な選択を誰かにしてもらうというのは、正直魅力的だし、そういう個人レベルの選択だけじゃなく、国家規模で最悪の選択を避けられるのなら、悪くないシステムなのだろうか。あの世界では本当に戦争は根絶したのだろうか。
記憶も選択も取り上げられなければ、人間は暴力をやめられないのか、と考えてしまいます。
記憶は分かちあわれるべき
最近、子供の頃に読んだ児童書を英語版とあわせて読むのにハマッていて、この本も読むのは2回目。
上で書いたような、最適化と自由についてみたいなことは子供心にもなんとなく感じたような覚えがあるけど、今回いちばん心に残ったのは、記憶は誰かと共有すべきである、ということです。
“The worst part of holding the memories is not the pain. It’s the loneliness of it. Memories need to be shared.” (p.154)
「記憶を保持するうえで最も苦しいのは、痛みがともなうことではない。その孤独さなのだ。記憶は分かちあわれるべきだ」(p.217)
これは、以前読んだときには全く素通りしていました。
でも今回は、<ギヴァー>の苦悩が痛いほど分かりました。
楽しい記憶も、つらい記憶も、自分ひとりだけが持っているのでは、きっとしんどい。