※本稿は『裁判員17人の声 ある日突然「人を裁け」と言われたら?』(旬報社)の一部を再編集したものです。
万引きしたホームレスが、清掃作業員に抵抗し暴行した事件
元商社マン。裁判員をつとめた当時は50歳代だった。
――はじめにあなたが担当された事件についてお聞かせください。
【高橋】2011年、強盗傷害罪の裁判です。ホームレスの男性(被告人)が食うに困って、スーパーマーケットに届けられた食パン等の万引きを数日繰り返していたのですが、事件当日は清掃作業員の方(被害者)に見つかり腕をつかまれました。被告人は捕まりたくないと十数分にわたって暴行をしたあげく、転倒した被害者に万引きしたカッターナイフを突きつけ「死にたくないだろう、手を放せ!」と脅して逃走しました。
被告人は犯行後、衣服に返り血を浴びた状態であるため逃げ切れないと考え、自首するために犯行後すぐに自ら駅前交番に出頭しました。裁判の争点は量刑で、被告人は執行猶予中、また十数分にわたっての暴行があったことから、被告人に暴力的な傾向があるか否か、という判断が必要でした。
――裁判員名簿記載通知が届いたときはどのように感じましたか。
【高橋】やる気満々でしたね。その後選任手続きまで進んだので、「私は裁判員に選任される」という根拠なき自信がありました。亡父が警察学校の教官(教場)・警察官だったこともあり、なんとなく選任される運命を感じていました。
父親は警察学校の教官、裁判員に選任される運命を感じた
――裁判員制度の知識のほどはいかがでしたか。
【高橋】理系の大学だったのですが、法学の授業を受けていたこともあって、裁判員制度はある程度理解しており、「無罪推定の原則(疑わしきは罰せず)」や「黙秘権」等もそれなりに理解していました。
――裁判員の経験談を聞いたことはありましたか。
【高橋】いくつかの裁判後の記者会見を拝見したことはあるものの、実際の経験談を聞いたことはありませんでした。事前知識として情報収集できていたら多少は心に余裕が生まれていたと思います。
当時は裁判員制度が始まって2年目の創成期でしたし、経験者の絶対数がそもそも少なく、SNSのような交流ツールもありませんでした。裁判が終わり、交通費とか諸々の手続きを行っているときに裁判長から「経験者の交流団体があるみたいなので、興味があれば探してみてください」との話がありましたが……。約2年後にネットで検索して、交流団体につながりました。