クズからの卒業y
「留年生」になって早1週間が経とうというのに、意外にも誰も心配の声をかけてくれない哀しさ。もちろん僕が悪くて、腫れ物に触るような僕の状況は3月上旬ごろから始まっていた。進級を話題にすると露骨に顔をしかめる僕を知って、この時期に「進級できてた?」と僕に聞いてくる勇者が出てこないとしても僕は誰も責められない。慰められるのもまっぴら御免だし、かと言って気楽に春休み旅行に誘われてもそういう気持ちになれない。声をかけない選択は決して間違っているとは言えないのだ。結果として同級生たちが国内外にて旅行を楽しんでいるフェイスブック投稿を独り、自室でスマホから確認し、僕の精神は誰に気づかれることもなく、深く深く沈んでいく。留年したことを僕の口から直接告げたのは、彼女と部活の先輩数人だけ。彼らの口から大学の知り合いに噂が伝播していくことだろう。
今週のお題「卒業」に乗っかり、卒業にまつわる雑記を3ネタ。
卒業旅行
僕が自分の留年の危機を察知し、それでいてその流れにどうしても抗えないことまでも認めた12月。僕が留年して一番つらいと感じるであろうことは、両親からの叱責でも下級生に交じって授業を受ける劣等感でもなく、数年後の卒業の年の3月に同級生と卒業旅行に行けないということだった。現に先々週くらいからか、卒業する部活の先輩たちが卒業旅行の様子を写真に載せてフェイスブックのタイムラインを賑わしている。1年先に同級生たちがこれらの写真群を僕に突きつけてくる。これはきつそうだ。また一個下の学年の、4月からの同級生は卒業年度に、同じ2014年に入学していない僕と卒業旅行に行ってくれるだろうか??知り合いの留年生(今年卒業)は昨年、「卒業旅行は一人旅かなー」と言っていた。そんなの辛すぎる。行かない方がマシだろうと思った。今年実際にはどうしたのか、怖くて聞けないでいる。そんなことを考えたらいよいよマイナス思考が加速する。4月からの僕の大学での居場所は一体・・・。
クズからの卒業
知っている人は知っている。かれこれ僕は3年に渡ってダラダラと、自分の怠惰を自虐を交えたネタにしてブログを書いてきた。それが今月末ついに、留年確定というどん底の状況にまで堕ちに堕ちきり、怠惰ネタは終点にまで辿り着いたと言っていいだろう。大学中退エンドがまだ残っているが、そうなってしまうとブログネタだけでなく人生までもが終わってしまうようで笑えない。するとどん底に落ちたこれより先に僕にできることと言えば、もう再生しか残されていないのだ。ここからは大きな挫折を乗り越えてクズからの卒業、そしてさらなる大きな成長を、、、という青写真を描いてみたが、どうだろうか。
自分の狭い狭い視野のなかで導き出した将来像に向けて今の自分が出来ること。それは唯一絶対に今の大学の卒業であると、最初から分かりきったことだがそう再認識した。自分の選択が正しかったか否か、その答え合わせもすべて卒業後社会に出て現実を見てみないことには確認ができない。だからイチに勉強、ニに勉強。「学生のうちにだから出来ること」だとか副次的に得る何かしらの知識経験なんかも一切役に立たないだろうと思っている。今すべきことは、1年でも早く大卒になることだ。結局次のステージに移ってみないことには分かった気になっていても何も分かっていない、というのは大学受験生から大学生に上がったときですら実感できる感覚だった。ひらすら単位を取ることを優先する。しいて言うならばあとは、感性を失わないように人付き合いをやめないこと(=引きこもらないこと)くらいか。勉強だけしとけばいい、そう信じて最低限のことをやっていくしかない。
卒業スピーチ
スティーブジョブズのスタンフォード大学卒業式講演(ステイハングリーのやつ)に、挫折は成功の元♪みたいな内容がなかったっけ?あれを適当に引用して留年を自己肯定する記事でも書くかwwwというフザけたノリで某チューブにアクセスしたところ、関連動画のJKローリングの卒業講演の内容がかなり印象的だったので、こちらをネタにする。ジョブズのスピーチはたしかにカッコいいが、自分の感覚に当てはまらなくてかえって辛かった。字数が多くなってきているのでしっかりとした感想はまた後日別記事にしようと思うが、
- ハリーポッタージョークが秀逸。(注釈ありがたい)
- どん底からの巻き返し方を教えてもらった(気がする)。
- failureの発音を教えてもらった。
- 自分の職業観を上書きしてもらったし、自分の考えが方向性は間違っていなかったと思えた。
20分くらいだけど、よかったら聞いてみてください。
JK ローリング ハーバード大学卒業講演 字幕付(1) - YouTube