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ボブ・ディランの詩集「The Lyrics 1961-1973」より「戦争を仕切る奴ら」の引用。訳者は佐藤良明

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出てこい戦争を仕切る奴

銃砲つくるおまえのことだ

殺人飛行機つくるおまえだ

爆弾つくるおまえのことだ

壁の向こうに隠れるおまえだ

机の後ろに隠れるおまえだ

この際はっきり言っておく

化けの皮は剣げてるんだ

おまえのしていることはただ

建設しては壊すだけ

俺の世界をもてあそぶ

まるでオモチャをいじるように

俺に銃砲にぎらせて

するりと行方をくらませる

最初の弾丸が飛んできたら

すたこらさっさ逃げていく

聖書のユダと同じだろ

ひとを嘘であざむいて

世界戦争に勝者がいると

俺に信じさせたいか

おまえの目から透けてみえる

おまえの脳から透けてみえる

下水の底が透けてみえる

おまえの本性、透けてみえるぞ

おまえが銃に引き金つける

それを引くのは俺たちだ

それをおまえは坐って見てる

死人の数が増えてくのを

おまえが豪邸に隠れてるまに

若い兵士の体から

血があふれ出て

泥に染みていく

おまえは恐怖をばらまいた

ばらまけるだけばらまいた

こんな世界に子供たちを

生んではいけない気にさせた

俺の子供は怖がるあまり

生まれていない、名前もない

おまえなんか血管を

流れる血にも値しない

こんな大口たたくとは

弁えないもほどがあると?

たしかにこっちは若造さ

知識も足りない、しかし

いくら若くても

分かることは分かるんだ

あの寛大なキリスト様も

おまえのことは許すまい

ひとつ聞かせてくれないか

おまえの金は何になる 

それで赦免が買えるのかい 

ほんとにそうだと思ってるのか 

俺が思うに死神の 

お呼びがかかったその時にゃ 

どれだけ大金積んだって 

魂だけは買い戻せない

期待してるぜ、おまえが死ぬのを 

おまえの死期が近いのを 

おまえの棺に付きそってやる 

青みがかったその午後に 

死骸のおまえが降ろされる 

死の床入りを見ていてやる 

確かに死んだと分かるまで 

おまえの墓を踏みしめてやる

ドアのノブとか、テーブルの端とかに、手や足をぶつけて、痛…と思うがすぐ忘れてしまい、あとで気づいたらその箇所が痣になっていたり、けっこうな擦り剥き傷になってたりすることがある。このようなとき、身体が自分に必ずしもきちんと警告信号を返してくれなかったことに、自分が置き去りにされたような、もはや身体が「自分」のことを大してアテにしておらず、そんなに律儀に報告を果たす必要もない、自力で勝手に痛みに耐えて治すから、今後も互いに好き好きにやっていくのでかまわない、そんなふうに思っているのではと疑いを持つ。

身体が壊れるとは、部下が言うことを聞かなくなり、統率が乱れるということなのか。でも自分はそもそも、身体の上司なのか、主人なのか。身体は自分に従う気があるのか。そもそも身体は「自分」に対して、どうしてほしいとか、どこが気にいらないとか、そういう言い分はあるのか。そのことをこれまで一度も、問いただしたことはないし、話し合ったこともない。

身体が治るというのもまた、統率が乱れるということだし、部下の勝手な行動とも言えるだろうか。主人の心配をよそに、親はなくとも子は育つと云わんばかりに、身体は勝手に治って、元気に回復する。すっかり元通りになって勝手に行動をはじめる身体を、自分は遠い目で見やるばかりだ。

でも自分にかぎらず、どの「自分」にもあてはまるのは、先に死ぬのは間違いなく身体の方だということ。自分は死にゆく身体を看取って、それを見届けてからようやく死ぬ。(それがかりに「脳死状態」であっても、結局そうなのではないか…と根拠もなく予想している。)

iPhoneが壊れたのが土曜日だったのは不幸中の幸い。機種変更の手続きのため、最寄りの店を訪れる。

行くたびに思うが、携帯ショップの人は、いつもおそるおそる、少しすまなそうな、遠慮がちな口調で、機種変更という主目的に関連付く色々な提案を投げかけてくる。このプランを付けると、ちょっと安くなるとか、この組み合わせで、これとこれに加入すると、それぞれ毎月いくらずつの支払額で、加えてこれに半年間だけ契約してもらってこの条件を満たして、ペイペイでこれだけ戻ってくるとか、そういう話が、呆れるほどいくつもいくつも出てくる。よくもまあ、手を変え品を変え、そんなことばかり考えつくものだと。その手続きに付き合うことで、ほんの少しばかり月額の支払いは安くなるのだけど、そのためにこれまでの自分が交わした契約履歴は、おそらく数十行とかそれ以上におよぶものになっているのだろう。

それら「プラン」は、きっとひとつひとつが、誰かの考え出した商品で、利用者にとって何らかの意味もあり、仕掛けた側にも利益をもたらすのかもしれないけど、少なくとも目の前のスタッフは、そういうことに関心はなくて、ただパズルの組み合わせを一時的に成り立たせたいという思いだけで仕事をされている。だから丁寧にすべての解約可能日と方法まで教えてくれるし、また来店いただければ解約のお手伝いもしますと言う。必要なのは、その時々での契約実績だけなのだ。

会社は定期的に成績を残さないといけないので、人間はひたすらあるべき成績の姿に、現実を合わせ込もうとする(必要なら時間を逆へ遡りもする)。それは空しいことだけど、働くというのは多かれ少なかれそういうところがある。ただ携帯電話の店にあまり足を向けたくない理由は、それがちょっと露骨に出過ぎているからだ。(いちいち聞いたり断ったりが面倒くさいということの内訳に、自分も共有する疚しさが。)

iPhoneが壊れた。壊れてはじめてわかる、自分のスマホ依存。SNSとかへの依存というより、もっと生活に密着した箇所への依存だ。壊れてようやくわかる、これは深刻な事態だ。

外出するだけで心許ない。単純に、バスに乗れない、レンタル自転車にも乗れない、だから歩いて駅に向かう。切符買わないと、電車にも乗れない。現金以外の支払いが出来ない。迷ったとき地図も見られない。人との連絡もつかない。要するに生活が成り立たない。

生活の本質的なところは成り立つのかもしれないが、もっと表層的活動、無意識下でおこなわれる習慣的な、しかし要するに一日のほとんどがそれで占められる領域のほとんどに、スマホを介在させてしまっている。やはりこれは危険すぎる。便利だというだけでは、このままではヤバいのだろうなあと。

年末の金曜日の夜の居酒屋は最悪とわかっているけど、どうぞどうぞ席作りますからと言われてしまったので入店する。ホール係はさほど忙しそうじゃないけど、たぶん厨房が鉄火場なのだ。料理の出てくるのに時間掛かってるのがここからでもわかる。はたしてこちらも、オーダーしたものを待つ時間がほとんどな目に合う。まあ仕方ないので酒だけ呑みながらぼんやりと待つだけ。もうあきらめてしまえば喧噪のなかひとりぼんやりしてることじたい、べつに悪くはない。

背の高い大柄な男性が、ぼくを追い抜いて小走りで駅へと急ぐ。毎朝ぼくは、その後ろ姿を見る。顔は見たことがない。その大柄な背中から、昔よくテレビで見かけた男性アナウンサーを思い出す。そのアナウンサーは、テレビに映ってる姿と、じっさいに見たときの雰囲気がずいぶん違っていた。当時僕がアルバイトしていた飲食店に、そのアナウンサーが、ごくまれにやってきたのだった。テレビではスラっと痩せて線の細い感じに見えるのだが、じっさいはやはり背が高くて、如何にも男性的な大容量な体積を、身体の内側いっぱいに閉じ込めてる感じで、テレビ画面で見るのとはこれほど印象が違うものかと驚いたのだった。

大柄でスラっとした男性と言えば、じぶんが会社に入ったばかりの頃に、いろいろお世話になった人がいて、その人はそのアナウンサー男性に少し似たところのある容姿の人であった。こざっぱりと好青年といった感じの、女性からも好かれそうな雰囲気だったけど、ご本人はそういうことにほぼ無自覚というか、そういう位相とはまったくべつの箇所に、自身ののっぴきならぬ自意識や自己顕示欲を強固に配置している感じだったので、そうなんだよなあ、この人のこだわりどころって、なんかちょっとよくわからなくて、でもそこがたぶん、いいところでもあるのかもね、って感じだった。すごく情熱的で、真面目で、野心もあって、競争心も強くて、気に入らないとすぐ顔に出て、いろいろ、頑張り屋さんな人であった。

逆に自分は、つい数か月前まで何もせずプラプラしてたような、あの時点ではまだ相当に浮世離れした身で、なにかよくわからない芝居小屋に役者として紛れ込んだかのように、唐突にも会社にはいって、見よう見まねで会社員の真似事をやっていただけみたいな時期だったから、二十代後半から三十前半くらいの、そのくらいの社会人経験を重ねたあたりの、そのような生を営んでる彼らが、何をそんなにムキになり、何をどれだけこだわりたいのか、そのへんがいまいち感覚的にわからなかったのだ。わからないけど、でもそれがあなたがたにとって重大なことなんだね、ということだけは認めて、そこに一応したがう、そんなことのくりかえしで、こちらもじょじょに会社員といいう役割をおぼえていったのだった。

食事は、人生の、大ごととして、きちんと考えないとダメなのだなと思う。大それたことを考えねばならないわけではなく、むしろ考えなくても、食事とはこういうものとはじめから決まってなければいけない。この年になっても、そこがあやふやだと、身体を壊しかねない。

おそらくは習慣化なのだ。その意味では睡眠と同じだ、身体とは仕様上、反復稼働するシステムであり、それに沿って運用するべきなのだ。毎日高級すし食ってる人もいれば、毎日コンビニ弁当の人もいるだろうけど、何をどれだけ食べるかよりも、それを繰り返して(繰り返せて)いるかどうかが、重要なのだろう。