教えないという教育法 - 教えることが上手な人の5つの教え方
子供や新人に対して教えることは山のようにあります。しかし、教える側の都合で無理矢理、教えたとしても労多くして功少ないことが多いものです。いくら努力して頑張って教えられる側が学ぶ気がなければそもそも意味がありません。しかも教える側も教育に割ける時間や手間は無限に有るわけではありません。つまるところ『どのように教えるか』を考えなければ教育効果など期待てきないのです。
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- 作者: 樋口裕一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/04
- メディア: 単行本
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教育ママが空回りする理由
教える側は教えられる側よりも沢山のことが観えています。だからといって見えていないものを無理に見せようとすれば、ある種の強制力を伴わなければなりません。しかし、それは答えを目の前にぶら下げて食べさせるようなもので、課題に対して上げ膳据え膳をする過干渉、過管理、過保護な行為に他なりません。取り組むのは子供自身であるにも関わらず、教える側の都合を押し付ければ、課題を設定する力や疑問を解消する力が失われてしまいます。そうなれば、自律する力は失われ、求められる答えしか出さなくなって当然です。ホンネとタテマエのダブルスタンダードを使い分けて最低限のことしかしなくなれば、教育ママはますます熱を上げなければならなくなります。もちろんどんどん空回りするのは言うまでもありません。
教えることが上手な人の5つの教え方
結局のところ教える側は、学びたいという気持ちを刺激して学べる環境を維持することしかできません。ですから教えることが上手な人は、まず自律を促すことを考えます。まずはあの手この手で種火を起こし、火がついたなら種火を消さないように徐々に息を吹き込み、あとは離れて見守るだけです。
教えることが上手な人の5つの教え方
1 意識付けに多くの労力を費やす
興味や関心を示すように意図的に傍に置いたり、近くに連れて行ったり意識付けに労力を割く。
2 ある程度距離を置く
学ぶ側からの視点を大切にし、ああしろ、こうしろなどの導くような指導はしない。上手に距離を取り、自分で考えることと教わりにいくことの区別をつけさせる。
3 周辺を整備する
学びやすさを考え、自ら答えに近づいていく環境をうまく設定する。
4 目標設定を意識させる
設定を上から押し付けず、自ら決めさせることで責任感を持たせる。達成は適切に褒め、未達成でも目標設定を疑い再設定させる。
5 付き添って見守る
過剰や怠慢と分かった時でも心配や叱責しない。傍に付き添い、目標を指し示して迷わせない。
学ぶべきは自ら学ぶ習慣
基本的に意義を感じたもの、興味を持ったものに関しては自然と自分から取り組むものです。あれこれ理屈をならべて頭を納得させても、心は納得しません。人は興味や関心の欲望を満たすとき興奮します。教える側はそういった気持ちを周りからうまくサポートをすればいいだけなのです。このことを知っておくだけで教育効果の上がらない無駄な時間と手間を大きく軽減することができます。自ら学ぶことを覚えれば放っておいても自ら学んでいきます。教えられる側が能動的になり、教える側が受動的になれば自然と教育効果は最大になるのです。
教育は与えるものではない
これからの時代は、学習する環境が大きく変わってきます。昔とは違い沢山の書籍が編纂され、沢山のコンテンツがオンライン上にあり、アクセスも容易になっています。本人のモチベーションにより、いくらでも学習できる環境はすでに整っています。今の環境で身につけさせるべきは、まず何より「自ら学ぶ習慣」に他なりません。これさえ身につければ何時でも何処でも何でも全てが教材になりえます。社会的な風潮や常識に囚われて、強育することは逆効果でしかありません。厳しい環境でも耐え忍ぶだけの人材ではなく、それを楽しみながら変えていけるのは自ら学ぶ習慣を付けた人だけです。繰り返しになりますが、教育とは与えるものではありません。教育されるべきは自ら学ぶ姿勢そのものなのです。
人を教えることはできない、ただ自悟させる手助けをするにすぎない。