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手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

京都ろう学校 の3倍以上の生徒が普通校で学んでいた事実と ろう学校高等部 の 職業学科 への固執

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校高等部の職業学科に 対する答えは出されていた 「1971年当時の聴覚障害児は、ろう学校在籍生徒の3倍以上が普通校に在籍。公立高等学校・私立高等学校では十数人以上の聴覚障害の生徒が在籍し…

高等学校に難聴学級をつくるかどうか 公立高校では聴覚障害生徒は入学しているが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、さて、難聴学級から山城高等学校に入窮してきた生徒へ「今までになし得なかった聴覚機能のリハビリテーション《機能訓練とそれにかかわる発達権の保障〉を個々の必要に応じて…

聴覚障害生徒を順序付け 普通学校 難聴学級 ろう学校で学ぶことで

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 1960年代後半から1970年代にかけて京都でろう教育と難聴教育との間で「陰に陽に対立」が生じていたようである。 そして、普通学校で学ぶ、難聴学級で学ぶ、ろう学校で学ぶことで聴覚障害生徒の評価が順序付…

聞えない自分たちを産んだ親を恨んだ が 自分の子どもも自分たちを恨むようになるのでは

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の子どもの声が聞きたいという「全聾」とされている親の要求に応える、部分について当時の記録や証言から具体的意味するものを考えてみた。 村上中正氏が、成人した聴覚障害者の人々…

「全聾」とされている親が 子どもの声が聞きたい 「無理」 とする既存の固定的考えに 聴覚保障 で挑戦する教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、聴覚障害者教育について村上中正氏は、次のような持論を展開する。 聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない あきらめ 当然 それを否定 ・聴覚障害者の教育保障を考える場合、…

国際動向もすべての子どもに教育を すべての人々に高校入学を だが批判集中 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 高校教育制度の改変をめざして 村上中正氏の1971年試論では、 山城高校での聴覚障害者の教育保障、という新しい高校教育制度から高校教育そのものの改変を示唆しているのだが、この部分は充分説明し切れて…

聴覚障害者教育と「差別や選別」の教育が「解消」される教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 山城高等学校での聴覚障害者の教育保障は 聴覚障害者にたいする後期中等教育保障の第一歩として村上中正氏は、「山城高等学校での聴覚障害者の教育保障」は、 ・聴覚障害者に…

インデグレーション と異なる教育を考えたあげく教育実践と教育理論に矛盾

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 「聾学校の課題として健聴者集団とふれ合いながら学習する聴覚障害者集団の教育環境に、徐々にあるいは根本的につくり変えていく」ことが、ろう学校の課題とする。 試論(上…

京都府立山城高等学校における聴覚障害者の教育保障のとりくみの思考

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 繰り返すことになるが、村上中正氏は、試論の(上)で、 健聴者集団の中での聴覚障害者の教育とその保障は、それがたとえ過渡的なもので個々のケースとして起こってきたもの…

新しいろう学校の教育を示唆 京都北部ろう学校分校「共同教育」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校を「一つの固定集団」として 考えるろう学校教師の弱さか 村上中正氏の1971年試論では、 だが、ろう学校を「一つの固定集団」として捉えただけで、ろう学校に存在する「質的に違った集団」の存在を…

ろう学校の方向 田中昌人氏の考えから再検討か

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 村上中正氏は、ろう学校を「一つの固定されたろう学校」を「一つの固定集団」の枠の中だけで、真の発達が保障できるかと問題と疑問を出す。 そして「一つの固定的集団」の枠…

小中高等学校とひとしい教育がなされていないろう学校

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 科学的に検証されていない「口話法」 無原則な「訓練」と教育の遅れと疎外 村上中正氏の1971年試論では、 「能力別」学級編成の形態、科学的に検証されていない「口話法による言語指導体系」、無原則に割り…

「インテグレーション」「普通児とともに教育を受ける」ということばを拡げていくことは正しくない「インテグレーション」「普通児とともに教育を受ける」ということばを安易に使い拡げていくことは正しくない

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校という固定的な枠の中だけで 真の発達が保障できるか 村上中正氏の1971年試論では、 ・提起したいのは、一つの固定的集団ーつまり聾学校という固定的な枠の中だけで、真の発達が保障できるかという…

口話法による言語指導は生徒集団を分裂し孤立させる

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 口話法による言語指導体系が 科学的に検証され発展させられていない 村上中正氏の1971年試論では、 村上中正氏は、1970年前後のろう学校の教育を主に次のように述べている。 ・聾学校におおく見られる…

ろう学校教育の「九歳の壁」に対峙「豊かな無限の発達」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 以下村上中正氏の「試論」を掘り下げるために田中昌人氏が提起したことと関連付けて考察したい。 1967年、村上中正氏らが中心になって開いた集会で田中昌人氏は、次のような…

特殊教育・身体障害児教育・心身障害児教育から 障害児教育・障害者教育への基本的考えの変容

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 人間としての聴覚障害者を見ない 数値で判断することは基本的人権を否定すること 村上中正氏の1971年試論では、 聴力で聴覚障害者を評価したり、断定したりする傾向。それを人間評価まで広げる傾向がある。…

聴くことへのあきらめ ではなく 可能性の追求を保障する教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 とくに、「聴くことの可能性の追求保障」を以下の「試論」で具体的に説明もしている。それだけ、この「聴くことの可能性の追求保障」は重視されていたのだと思う。 近年、こ…

「聞く」と「聴く」の手話は異なった手話の表現法  ききたい、きこうとする、ことへの保障という意味で「聴」という漢字で表現

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 京都府教育委員会の特別具申制度による聴覚障害の高校入学の制度的道は切り開かれたが、難聴学級設置で無条件で高校に入学出来る制度が出来なかったことで父母のねがいは果た…

聴力検査だけで判断せず聴覚障害児の生活や生活環境を考慮 の画期的基準

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 知恵を絞ったのであろう京都府教育委員会は、高校入学選抜制度にある「その他事項」着目したようである。 「その他事項」とは、「特別具申制度」とされ、いわゆる引っ越しす…

高等学校における障害者教育について 義務教育でないとして財政措置を行なわない文部省・文部科学省への実践的回答

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 特殊学級は義務教育段階まで国庫補助 高校は義務教育終了と見なされ一切の補助制度ナシ 村上中正氏の1971年試論では、 京都府教育委員会が、高校に難聴学級をつくらないで、「京都府教育委員会が総合選抜制…

ろう学校・普通学校・教育とはという基本を投げかける村上中正氏の1971年試論

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論についての中間的解説。 村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟は、 村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難…

高校に難聴学級を設置し全員入学か 入学試験制度を維持して合格すれば保障か

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 高等学校の聴覚障害者入学制度の改善と課題 村上中正氏の1971年試論では、 聴覚障害児の後期中等教育をめぐる普通科での教育は、聴覚障害者教育の歴史のそれまでとその後を「塗り替える」大問題を内包して…

差別に隠された ろう学校高等部教師の限界を生徒に押しつける考え

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 さらに、村上中正氏の1971年試論は、高等部=後期中等教育の限定的閉鎖的な考えを教育制度からも打ち破る根拠のひとつとして次のことを述べている。 普通科を設けてほしいと切実要求 1965年の京都府立…