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永瀬効果

「永瀬効果」ってすごいな…。

「長瀬効果」とは、厚労省に戦前から伝わる経験則のこと。患者負担が増える制度変更が実施されると、患者の受診日数が減ったり、受診率が低下し、結果として医療費が削減されるというもの。

www.nikkan-gendai.com

長瀬恒蔵というガクシャ?が1935年(90年前)に『傷病統計論』という本でカイチンした「研究」に基づいているらしい。

2007年にブログで冗談で書いた研究がほんとにあったんだ…。

 政府の「骨皮の方針2006」(テーショトクシャを骨と皮にする構造改革に関する基本方針)を受けて、日本に多数生息するテーショトクシャの研究を行っていた東京首大学(とうきょうくびだいがく)の研究チームは、このほど、テーショトクシャの生態に関する重大な発見を米ニセ科学雑誌に発表した。
 近年、日本のテーショトクシャの消費の低下という現象が見られ、政府は、その実態に合わせた生活保護の減額を検討している。首大学御用学部の太鼓持夫教授(54)の研究チームが『ネーチャン』誌に発表した論文によると、テーショトクシャの消費は生活保護費と相関関係にあり、生活保護を減額させればテーショトクシャの消費が低下することが明らかになったという。これが事実であるならば、低下した消費にあわせて今後さらに生活保護を減額させることも可能になる。太鼓教授は本誌のインタビューに「いずれは生活保護費をゼロにすることも夢ではありません」と語った。研究チームは、10月19日に厚生労働省で急遽記者会見を開く。

sarutora.hatenablog.com

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第3話

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第1話 - 猿虎日記
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第2話 - 猿虎日記
 続きです。今回も原作に非常に忠実でした。やはりエピソードの順序の入れ替えは多少ありましたが、セリフを含めて細部までかなり原作通り。
 今回、原作第2巻の終わりごろに出てくる、「小麦が水道を流しっぱなしに→松風が「今日はもう帰りな」と言う→小麦が京子に会う→小麦が伯母の夏美の家に行く」という部分が冒頭にありました。原作から変わっていたのは、小麦が京子に会う場面です。原作では、街なかで小麦を見かけた京子が小麦に声をかけ、2人は立ち話をしてすぐ別れるのですが、ドラマでは、川岸でたたずむ小麦に京子が声をかけ、2人でカフェに行ってケーキを食べながら話をするシーンとなっています。その他はまったく原作通り。その後、ドラマでは神井が小麦に声をかけるシーンが入っていましたが、ここは原作にありません。
 原作第2巻の終わりは神井に提供された音声を松風が聞くシーン。原作では松風が夜1人で聞いていましたが、ドラマでは松風は夕方プリンを食べながら聞いていて、横にいる波佐見も一緒に聞いています。
 原作第3巻冒頭にある、松風が染田のラーメン屋に行くシーンは、ドラマでもほぼ原作通りですが、原作と違って松風が染田のラーメン屋に行くのは二回目ですね。その後場面が変わって警察署内での赤沢と秋貞の会話のシーンもほぼ原作通りではあるのですが、今回ちょっと思ったのは、赤沢のキャラも原作とかなり違ってますね。原作の赤沢は、山下春生と同年代で、やせた老獪な男、という感じなのですが、ドラマの赤沢は、原作よりは若く見える、がっちりした体格の肉体派という感じの男になっています。と思ったら、赤沢役の藤本隆宏さんて、元競泳選手なんですね。どおりで肉体派に見えるわけだ……。
 ところで、このシーン、染田のサイン偽造の過去について話題が出ます。原作では秋貞ではなく別の警官が話すのですが、そのセリフは以下です。

染田は以前…野球選手のサインを偽造したユニフォームの販売をして逮捕され、同種罰金前科があったために起訴…ヤサにガサが入った際にシャブも見つかって、2年の実刑になってましたよね

 偽造サインのユニフォーム販売だけで起訴されたわけではない、という点をきっちり説明している点がさすがです。しかしこのセリフ、ドラマでは「同種罰金前科があったために起訴」の部分が削除されていました。煩雑になるし削除されたのもしかたないとは思いますがちょっと残念ですね。それはともかく、このシーンで、染田がサインを偽装したユニフォームの写真が画面に映りました。ドラマについて考察しているこちらのYouTubeチャンネル→(https://youtu.be/4X8ooy28DSU?si=PZRwCpZD2A782CwE)を視聴していて気がついたのですが、このユニフォーム、「NANSHIN 16」のタテジマのユニフォームでした。同YouTubeチャンネルで語られているように、これが「HANSHIN」であれば、染田が逮捕された当時(1991年)阪神タイガースの背番号16番の選手は、岡田彰布です。漫画原作はどうなっていただろうか、と見てみたら、これが違っていました。背番号16は同じなのですが、番号の上部の文字が、ドラマと違って選手名の「TAKAHASHI」(Tは吹き出しに隠れてますが)となっています。1991年で高橋といえば、カープで活躍した高橋慶彦が阪神に移籍した年です(そしてほとんど活躍できず翌年現役引退します)。しかし高橋慶彦の背番号は2です。というわけで、漫画版の「TAKAHASHI 16」は、おそらくとくにモデルのいない架空の選手だと思います。ちなみに高橋という野球選手は多数いますが、漫画版のサイン、ネット検索したところ、高橋慶彦とも高橋由伸とも高橋尚成とも高橋周平とも高橋遥人とも高橋奎二とも違います。誰のサインをもとにしているのでしょうか。ドラマ版のサインも岡田彰布のサインとは違います。これも誰のサインをもとにしているのでしょうね……。
『クジャクのダンス、誰が見た?』漫画版で描かれた「TAKAHASHI 16」の野球ユニフォーム 『クジャクのダンス、誰が見た?』ドラマ版に映っていた「NANSHIN 16」の野球ユニフォーム
 ドラマでは、このあと、原作第2巻の真ん中辺に出てきた、阿南検事と赤沢の会話シーン(阿南検事の初登場シーン)が来ました。ドラマで阿南検事がなかなか出てこないのでまさかこのまま出てこないとか、と思ったらそんなことはないですね(キャスト一覧にも出てました)。このシーン、セリフもほぼ原作通りでしたが、阿南役の瀧内公美さんがすごかった……。あまりに漫画通りで、漫画から出てきたのか、というぐらいでした。セリフ、原作通りと言いましたが、一箇所違っている点があって、原作の「被疑者」を「容疑者」に変えていました。両者は同じ意味で、「容疑者」はマスコミなどで使われる通称、ということです。したがって、実際には検事と警官の会話で「容疑者」という単語が使われることはないはずで、ここは原作と違ってリアリティが失われている、と言えるのではないでしょうか。そういえば、前回「黙秘権は被疑者にとって唯一にして最強の武器である」という松風のセリフが原作どおりだった、と書いたのですが、もしや、と思ってドラマ第2話を見直してみたところ、なんと、ここも「黙秘権は容疑者にとって唯一にして最強の武器である」に変わっていました!気が付かなかった……。ドラマの場合一般へのわかりやすさを考えて「被疑者」を「容疑者」に変えることにしたのでしょうか。ただ、「被疑者」という単語、そこまで一般に知られていない単語とはいえないと思うので、ここは「被疑者」のままでもよかったように思いますがどうなんでしょうね*1。しかし、これは細かいことであって、最初にも述べたように、ドラマは全体的に非常に原作に忠実です。
 ドラマではその少しあとにちくわカレーのシーンがあります。事務所で松風がカレーを作っているところに波佐見がやってくるシーン、2人の会話の内容など原作にないセリフがかなり加わっていたとはいえ、驚いたのが、波佐見の謎の鼻歌までもがそのまま採用されていたところです。ただし、原作の「朝はだるい♪」が、「午後はだるい♪」に変わっていました。こ、こまかい(笑)ドラマでは、原作のチョコレートのエピソードは省略されていましたが、少し似ているともいえるちくわカレーのエピソードはほぼそのまま出てきました(これまた細かいですが、コンビニでちくわが間違って温められた、という部分は煩雑すぎるからか割愛されていましたね)。ただ、やはりドラマの小麦は、このシーンでも原作と違って比較的落ち着いていました。
 

*1:と思いましたが、「容疑者」という言葉がマスコミで使われるようになったのは、「被疑者(ひぎしゃ)」が「被害者(ひがいしゃ)」と発音が似ているので混同を避けるため、と書いてあるところもあります。テレビドラマでも「被疑者」ではなく「容疑者」を使うというルールがあったりするのかもしれないですね。しかし、「ヤサ」「ガサ」「シャブ」はそのまま使われているわけで、ややアンバランスに感じます。

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第2話

sarutora.hatenablog.com
 続きです。
 第2話も基本的には原作通りでした(もちろん当然ですが細かいセリフの変更、追加はあります)。第1話よりは変更点が多かったかもしれません。原作と同じシーンが多いのですが、登場する順番が相当入れ替わっていました。
 大きな変更点としては、原作にない「月」が重要なアイテムとして何度も出てきたところ、でしょうか。そのため、京子が小麦に写真を見せるシーンは原作どおりなのですが、原作の「花見」が「月見」に変えられて、原作にない小麦の幼いころの月見の回想シーンがありました。そういえば、京子が小麦に写真を見せるシーンは、小麦が赤沢の自宅に招かれて食事する場面の中にあるのですが、赤沢家で飼っている猫が、ちゃんと原作と同じ白猫になっていました。細かいですが、こういうところも原作ファンとしてはポイント高いですね。
 あとは、神井が松風たちの事務所に来る前に、小麦と松風が2人でラーメン屋に行く所、ここは原作と違いますね。原作ではもう少し後(単行本では3巻)に松風が1人でラーメンを食べにいくシーンがありますが、2人で行くところはなかったと思います。細かいですが、神井が事務所に来る前に2人でラーメン屋に行く、という変更のため、神井が事務所に来る約束の時間が、原作の16時から(夜)9時、に変更されていました。
 神井が事務所を訪れたシーン、ドラマでは最初松風が小麦を部屋から締め出していましたが、原作ではこれはなく、小麦はずっと同じ部屋で松風と神井の会話を聞いています。
 ちょっと戻りますが、小麦が弁護士事務所で初めてバイトする日のシーン、冤罪テーマに関する重要な会話があるのですが、ほとんど同じだったものの、ちょっと残念だったのは、原作の松風のセリフ

個人的には、「万が一逮捕されたら、弁護士が来るまで黙秘」って小学校で教えといてほしいくらい

 というセリフが削除されていたことです。このセリフは、漫画原作者浅見さんと法律監修の市川寛さんが打ち合わせのときに市川さんが言った言葉がそのまま採用されたのだそうです。市川さん御本人がこちらのブログでおっしゃっています。
ameblo.jp
 ドラマでは、松風は「黙秘権は被疑者にとって唯一にして最強の武器である」という原作にもあるセリフ*1の後、「オリハルコンの剣なわけ」と付け加えています。これは原作にはありません。個人的には、「オリハルコンの剣」のようなひねった表現ではなく「小学校で教えといてほしいくらい」というストレートなわかりやすい表現を採用してほしかったような気もしますが。
 あとは、松風、今回も原作にない「はい!今のは暴行罪です!」というのをやっていましたが、今後もこれありそうですね……。これはちょっと原作の松風のキャラと違うような気がします。ドラマの松風は原作より軽い感じになってますね。逆に、波佐見は、原作ではもっとチャラい感じなのに、ドラマでは落ち着いています。原作では「粋でよろしく!」てのべつ幕なしに言ってるはずなのですが、ドラマではまだ一回しか言ってないような?
 というわけで、ドラマの松風は原作より軽く、ドラマの小麦と波佐見は原作より落ち着いている、という傾向はありますね。
 とまあ、いろいろ言っていますが、ドラマ『クジャクのダンス』、今のところ、とても良いですね。『イチケイのカラス』のドラマ版、に比べればもう……あ、これはもう言わない約束だった……。

*1:追記: クジャクのダンス、誰が見た?第3話 - 猿虎日記で書きましたが、ここは「被疑者」が「容疑者」に変わっていました。

病院の面会は「死の学び」のためでも「人生会議」のためでもない

blog.mahoisono.com
 筆者の磯野によると、いまだに病院の面会制限が続いているという。15分の時間制限や、年齢制限があり、事前登録した家族2人のみ、というようなルールもあるという。実際は面会制限を緩和している病院も増えてきているようだが*1、確かに、磯野が言うように、そうした年齢制限や人数制限によって、亡くなりそうな母親に会えない、ということが起こり得るかもしれない。磯野は、一回しかない死という「かけがえのない時間に何らかの形で関わることで、人は死について学び、それをまた誰かに引き継いでいく」と言う。面会制限は、「その命の流れに切れ目を入れる」ものであり、また、医療の手前にある、「人と人とのつながり」という社会のインフラの「土台を崩す」ものだ、と言う。しかし、病院の面会のほとんどは、「亡くなりそうな家族に最後にひと目会う」のようなものではない。病院の面会に来る人は、「死について学ぶ」ために来ているのではない。「生きている人に会いたい」からこそ来ている。面会の意義と「死」が唐突に結びつけられていることにまず違和感を覚える。
 磯野は、現在の病院が面会制限を続けていることの本音には「管理面の楽さ」がある、と言うのだが、面会制限の目的は、第一には感染症の拡大のリスクを軽減するためである。それはひいては、入院患者たちを「死」から遠ざけ、回復、あるいは軽快した後に患者が「人と人とのつながり」を再び持てるようにする、その可能性を高めるためである。磯野は「医療者も非医療者と変わらぬ日常を送る今、面会だけをことさら危険視する合理性はありません」と断言する。感染症拡大の危険が完全に去った、あるいは、面会制限が感染症拡大を防止する効果を全く持たない、というのであれば、病院が「不必要な」面会制限で患者や家族に苦痛を与えている、という主張もまだ理解できなくもないが、実際にはそうではない。今年の冬は、インフルエンザ患者数が1999年の現行統計開始以降で過去最多となった*2。また新型コロナウイルス感染症の流行も収束しておらず、現在は第12波の感染拡大の中にある。5類化以降のコロナによる死者は4万人を超え、これは同時期(23年5月〜24年8月)のインフルエンザ死者の約19倍である。多くが、高齢者や基礎疾患を持っていた人だが、若年者でも死者は出ているし、深刻な後遺症で苦しんでいる人もたくさんいる。こうした状況の中感染症対策を緩和することは、むしろそれこそが合理性がない。面会制限に感染症拡大防止の効果が一切ないと言うなら別だが、それはありえないだろう。
 磯野は、過剰な面会制限を続ける医療現場において「医療の道徳が瓦解」し、「医療崩壊」が今まさに起こっている、と言う。しかし、「医療崩壊」とは、「必要な医療が提供されない」事態のことである。伊藤周平は、『岐路に立つ日本の社会保障──ポスト・コロナに向けての法と政策』(日本評論社、2022年)において、コロナ以降の医療などの「社会保障の機能不全とそれによる国民の生存危機」を「コロナ危機」と呼び、こう言っている。

〔「コロナ危機」の〕最大の原因は、公立・公的病院や保健所を削減し、病床を削減し医師数を抑制してきた医療費抑制政策、さらには、何度も大きな感染の波にさらされながら、医療費抑制政策を転換することなく、医療提供体制や検査体制の整備を怠り、コロナ禍にあってもなお病床削減を続けている現在の政権の政策姿勢にあるといえる。
(伊藤周平『岐路に立つ日本の社会保障---ポスト・コロナに向けての法と政策』日本評論社、2022年、p.4.)
https://a.co/hqIyit2

 そもそも、コロナ禍の初期以来、多くの医療機関、医療関係者は、スタッフの不足、医療資源の不足の中、過酷な環境で命を削ってずっと働いているが、そうした状況を引き起こした原因は、コロナ禍という「天災」だけではない。伊藤が言うように、政府は、「医療費削減」の名のもと、医師数の抑制、保健所の削減、病床の削減を、コロナ禍においても続けている。
 日本の医師数は、人口1000人当たりでみると2.5人で、OECD加盟国のうちデータのある29か国中の26位である。厚生労働省の「医師の働き方改革に関する検討会」では、過労死ラインの月平均80時間を超える時間外労働(休日労働を含む)をしている勤務医が約8万人にのぼるとされている。一方、人口あたりの日本の看護師数は多いと言われるが、日本の入院患者1人あたりの看護師数は0.86人で、欧米諸国の2分の1から5分の1の水準にすぎない*3。実際、現場から聞こえてくる悲鳴のような看護師の声からも、深刻な看護師不足が起こっていることは明らかだろう*4。長時間・過密労働・低処遇の中、多くの看護師が辞めており、ますます看護師不足が進むという悪循環である。
 また、1994年の地域保健法の制定以降、保健所の統廃合と削減が続き、保健所数、保健所の職員数ともに、激減している。検査技師の減少は顕著で、1990年の1613人から2016年の746人と半分以下に減少している*5
 病床の削減方針は顕著で、歴代自民党政権のもと、1999年から2019年までの間で、日本の病床は約25万以上削減されてきた*6。2020年には「病床機能再編支援事業」が創設される。この事業は、稼働している急性期病床を1割以上減らしたり、病院を再編統合した医療機関に対し消費税を用いて補助金を出す仕組みである。社会保障の充実のためと称して増税された消費税を社会保障の削減(病床削減)のために用いる、という、倒錯した仕組みである*7。この事業により削減された病床は、2020年度は2846病床で、このうち急性期病床が2404床を占める。2021年度はやはり急性期病床を中心に2770床が削減されている。
 こうした自公政権による医療費削減政策の背景に、財界の意向があることも明らかである。厚生労働省が、2022年9月30日に開いた有識者会議で「病床機能再編支援事業」による病床の削減について報告した際、同会議の経団連の委員は「取り組みが非常に少ない」と述べ、統廃合の促進などを求めたという*8
 いや、諸外国に比べて、日本は病床数が多すぎるのだ、ともいわれる。しかし、新型コロナに対応できる急性期病床や感染症病床はむしろ少ない状況にあった*9。そして、事実コロナ禍において病床が足りなくなったのである。すでに、新型コロナ感染拡大の第3波(2020年12月末~2021年1月)において、入院病床の不足から重症者であっても入院できず、入院患者を選別するという「命の選別」が行われていた*10。その後、第5波(2021年7月末~2021年9月)のさなかの2021年8月2日、政府は、重症者や重症化の恐れのある人以外は原則自宅療養とする方針を決めた。第5波の期間に、自宅療養中や入院調整中に死亡した感染者は250人にのぼった*11。しかし、厚労省の人口動態統計を見ると、実は第5波のコロナ死者数は相対的には少なく、人々の間でコロナに対する危機感が薄れ始めていた、第8波のピークの2023年1月には、一ヶ月で実に約1万3千人がコロナによって死亡していたのである*12

コロナ死者数とインフル死者数のグラフ
コロナ死者数とインフル死者数

 磯野は「面会制限があるから入院させたくない。そんな家族の声が一刻も早く無くなってほしい」というが、実質的な「自宅放置」である自宅療養の中で死亡した多くの人々は、そもそも「入院したくてもできなかった」のであり、その家族は面会制限に不満を持つことすらできなかったのである*13
 「面会制限に潜む危うさ」を訴える問題の文章の後半で、磯野は「人生の最終段階の医療やケアを事前に家族らと話し合う」取り組みとされる「人生会議」にやはり唐突に触れている。私はこのことにむしろ危うさを感じる。磯野はこう言う。

時間をかけた雑多な会話を通じ、初めて本人が望んでいることが伝わってくる。終末期だけは制限を外す病院もありますが、そもそも誰が終末期を決めるのか。死ぬ間際に突然会って「人生会議」などできるはずがありません。
http://blog.mahoisono.com/b107/

「制限」とは文脈から「面会制限」のことなのだろうから、ここで磯野は、病院の面会の少なくとも一つの目的として、終末期が近い入院患者との「人生会議」によって「本人が望んでいること」を読み取ること、を想定している、ということになる。この「人生会議」について、児玉真美はこう言っている。

医療サイドにも患者サイドにも「患者の自己決定権」概念が未成熟な日本で、最近は「共同意思決定」「意思決定支援」が大流行している。「尊厳死」が「良い死に方」として称揚される一方で、ことさらに終末期の医療においてのみ「患者の意思の尊重」が声高に説かれる。専門職が主導して終末期の医療について意思決定を迫るACP(アドバンス・ケア・プラニング)が「人生会議」と称されて行政の肝煎りで強力に推進されていく。
(児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること(ちくま新書)』筑摩書房、2023年、p.163. Kindle 版.)

 「共同意思決定」や「意思決定支援」という概念は、もともとは、パターナリズムや一方的な治療中止への反省の議論の先に作られたものだが、「すでに大きな時代の力動が作動している中では」これらの概念も、「「死ぬ/死なせる」方向へと命を押しやっていく力動に回収されかねない」と児玉は言う。そして児玉は、「日本の医療現場に根強い「日本型患者の自己決定の文化」を思えば、ACPにも医療サイドの判断を専門職主導で追認させる手続きとその手続きを踏んだことのアリバイと堕すリスクが大きい*14」と警鐘を鳴らすのである。

 「「死ぬ/死なせる」方向へと命を押しやっていく力動」とは、人々を「死の中に廃棄する rejeter dans la mort(フーコー)*15」力動であり、結局は「資本」の力動である。例えば「日本維新の会」は、医療費削減を訴える政策提言*16の中で、あからさまにも「人生会議の法制化(尊厳死法の制定)を進める」と主張している。
 医療費が削減される中で、「経済を回すこと」「日常を取り戻すこと」の重要性が強調され、感染症対策が緩和される。そのことでますます「死」に追いやられ「終末期」に近づけられる患者たちは、面会の際の病床においてさえ、終末期における(医療費がかかる)治療やケアを「自己決定」として放棄することを「人生会議」で迫られる。そしてやってきた「終末期」の面会の目的は「死についての学び」に変化する、というのだろうか。私はそれは恐ろしいことだと感じる。

*1:「病院 面会」でweb検索して現在の様々な病院の面会ルールを調べると、15分面会制限をしている病院は確かに多いが、60分などにしている病院や時間制限をなくしている病院もかなり見つかる。

*2:インフルエンザ患者数 過去最多に 現行の統計開始以降で 1医療機関あたり64.39人 脳症や肺炎も | NHK | インフルエンザ(2025年1月9日 19時28分)

*3:伊藤 周平『岐路に立つ日本の社会保障---ポスト・コロナに向けての法と政策』日本評論社、2022年、p.16. Kindle 版.

*4:給与上がらず、看護師不足が深刻 歴30年でも手取り32万円…:朝日新聞2024年8月26日

*5:同書 p.22. Kindle 版.

*6:同書 p.13. Kindle 版.

*7:同書 p.39. Kindle 版.

*8:消費税使い2800病床削減/コロナ禍でも「医療費抑制ありき」/2021年度分 厚生労働省報告「赤旗」2022年10月4日

*9:伊藤、前掲書https://a.co/eOLbYuK

*10:同書、p.27). Kindle 版.

*11:同書 p.28. Kindle 版.

*12:グラフは人口動態調査 結果の概要|厚生労働省より筆者作成。

*13:ただし、明石順平によると、日本ほどの医療崩壊を起こさなかった欧米諸国のコロナ死者数が、日本よりも大幅に多いことはおそらく間違いない。その理由を推測して明石はこう言っている。「アメリカやフランスが医療崩壊を起こさなかったのは、受け入れ患者を絞ったことが大きく影響しているのでしょう。医療崩壊しなかった=被害を抑えることができた、というわけではないのです。」(明石 順平『全検証 コロナ政策』角川新書、p.178.Kindle 版)  もっとも、他国に比べてコロナ死者数が(相対的に)少ないという日本の特徴も、感染症対策全面放棄とすら見える2023年の「5類化」以降は、次第に失われていくのではないだろうか。

*14:児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること(ちくま新書)』筑摩書房、2023年、、pp.164-165. Kindle 版.

*15:Michel Foucault"La volunte de savoir"Gallimard,1977,p.181

*16:|日本維新の会 医療制度の抜本改革(医療維新)2025年1月29日閲覧

監理措置制度反対!

#監理措置制度反対
奴隷になるなら外に出してやる。嫌なら一生出られないがそれでもいいのか?
こんな卑劣な制度が監理措置制度。銃殺か電気椅子か選べ、というようなもの。支援者は入管の手先にはなれない→ならば被収容者は外に出られない。つまり長期収容は増えていくはず。え?入管法改正は長期収容をなくす目的だったのでは?

外国人管理の仕事を市民に下請けさせ、行政罰まであるとなれば、これまで仮放免の保証人として外国人支援を担ってきた支援団体や個人の誰が「監理人」に手を上げたいと思うでしょうか。
監理措置制度を知っていますか? | 入管闘争市民連合

面会を続ける中で、被収容者は監理措置制度について「早く収容所を出られる制度」としか認識しておらず、監理人の届け出義務や報告義務についてはほとんどまともな説明を受けずに申請していることが明らかになりました。
大阪入管申し入れ報告 第一弾:監理措置制度について(1) | TRY 入管面会報告

「外に出たいのになぜ監理人になってくれないのですか?」「ほらこう言っているぞ、このままこの人が外に出られなくてもいいのか?(拷問を続けながら)」
被収容者と支援者を分断できるから一石二鳥ってか?いやその前に拷問やめろ!帰れない人は無条件で外に出せ!ビザ出せ!
 監理措置は他にも問題がある。以上のような理由から、仮放免の保証人と違って、被収容者にとって監理人を見つけるのは困難になる。そこにつけ込む悪いやつが現れる可能性がある。指宿昭一弁護士はこう言っている。

「監理人を引き受ける代わりに外国人を違法に働かせたり、性的搾取の対象にする新たな『貧困ビジネス』も生まれかねない」と指摘している。
第670回:合法的な奴隷制度? 新たな貧困ビジネスの温床? 改正入管法の「監理措置制度」ってなに? の巻(雨宮処凛) | マガジン9

 どんな「貧困ビジネス」か。その例は雨宮処凛氏が上げている。

 もし、私が極悪人だったら。
 これを機に新たな貧困ビジネスを立ち上げるだろう。何しろ、監理人に困っている外国人に「監理人になりますよ」と近づいて金を巻き上げるところからビジネスが成立するし、そこから無理やり働かせてピンハネすることだってできる。しかも「収容か、強制送還か」をちらつかせればなんだって言うことを聞かせられる相手だ。違法な風俗などでタダ働きさせることだって可能だろう。文句を言えば「入管に言い付けるぞ」と言えばいいのである。これほど「やりたい放題」な立場があるだろうか?
第670回:合法的な奴隷制度? 新たな貧困ビジネスの温床? 改正入管法の「監理措置制度」ってなに? の巻(雨宮処凛) | マガジン9

 というわけで

監理措置制度反対
監理措置制度反対

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第1話

www.tbs.co.jp
浅見理都さんの漫画『クジャクのダンス、誰が見た?』と、『イチケイのカラス』についての記事を以前、書きました。
sarutora.hatenablog.com
sarutora.hatenablog.com
 特に、後者では、テレビドラマ版『イチケイのカラス』について結構辛辣なことを書いてしまいました。その後、漫画原作のドラマ化をめぐる事件がおこり、その際私は旧twitterでちょっと偉そうに以下のように投稿しています。

浅見先生のお考えは分からないしあれこれ推測するのは良くないと思うんだけど、読者としては『イチケイのカラス』ドラマは残念だった。『クジャクのダンス』が映像化されるならば、今度は原作の日本の司法に対する問題意識をきちんと受け止めた真面目なものにしてほしいな

https://x.com/sarutora/status/1797594870334541966

(『イチケイのカラス』のドラマは)「法曹コメディ」というところしか合っていなかったですね。コメディの形式で原作が何を伝えたいか、というところが、ドラマ制作者はまったく分かっていないというか、無関心に思えました。

https://x.com/sarutora/status/1800510001448161690

 そうこうしているうちに、『クジャクのダンス』のドラマ化が発表されました(ちなみに、『イチケイのカラス』のフジテレビとは違ってTBS制作です*1)。期待と不安の入り交じる中、昨日放送された第一回を早速視聴しました。
 『イチケイのカラス』のドラマが、漫画「原作」というより、はっきりいって漫画にインスパイアされただけの別の作品だったのに対して、今回の漫画は、漫画のストーリー、雰囲気にかなり忠実な出来上がりで、よかったです。冤罪問題がテーマのストーリーですが、法律監修として原作と同じ市川寛さんの名前があったのでこれもとりあえずほっとしました。
 キャスティングがよかったですね。原作のイメージ通りの配役が多かったです。主人公の小麦を広瀬すずさんが演じると聞いたときはちょっと雰囲気違うかも、と思ったのですが、実際にドラマを見てみたらそんなに違和感なかったです。特に、ヘアスタイルを小麦に似せてきていて、ドラマスタッフの本気を感じました。準主人公の松風を演じた松山ケンイチさんはかなりよかったです。『虎に翼』に続いて「変わり者の法律家」役ですが、『虎つば』より軽いキャラで、旧twitter投稿でうかがえる御本人のキャラに近いかもしれないですね。松風が甘いもの好き、という『クジャク〜』の漫画原作にはなかった設定を入れたのは『虎つば』を意識してそうしたのでしょうか(原作との違いについては後述します)。波佐見(はさみ)役の森崎ウィンさんもぴったりです。神井役の磯村勇斗さん、赤沢正役の藤本隆宏さんは、見た目の雰囲気は原作とちょっと違うのですが、なるほど、という感じで違和感なかったです。あとの役は、いまのところ、見た目の雰囲気も含めてかなり原作に忠実と思いました。そこからして『イチケイのカラス』は全然でしたが……まあもうその話はやめときます。
 さて、では原作と完全に同じかというともちろんそんなことはなく、細かいところでいろいろと変わっているところがありました。しかし、変更点が少ないがゆえに、原作ファンとしては逆にそこが気になってしまうというのはありました。なんでそう変えたのか、という意図を読み取ってしまうというか。というわけで、それについて、最初の方から順番に少し書いてみます(ネタバレありです)。

小麦は家事をしていた?

 まず、冒頭のラーメン屋での父娘の会話。原作より長くなっていますが、原作にないクリスマスプレゼントについての会話があります。クリスマスプレゼントに何が欲しい、と聞いた父春生(はるお)に、小麦は「感謝の言葉」が欲しい、と言い、自分が学生をしながら「家のこと」とかやっている、とアピールしています。ところが、原作では、少しあとの春生の葬儀の後のシーンで「自炊はこれから頑張ろうかと」「アラアラ、ずっと春生に任せっぱなしだったのねえ」という叔母と小麦の会話があります。ドラマでは逆にこの会話が削除されています。わざわざここを変更したのは、シングルファザー家庭で大学生の娘だったら家事は娘がやっていたのが自然、みたいなステレオタイプに合わせようとした、のだったら、必要なかったのではないか、と思ってしまいました。
 もう一つ、父が娘の鼻水を拭いてやるシーンで、原作になかった「家族なんだから」というセリフを追加していましたが、これは、原作にもあった葬儀の後の叔母の「家族だから」というセリフと対比させるために追加したことは明らかですね。

映画→サークルの飲み会

 次の変更は、ラーメン屋の後小麦が行く場所が、原作=1人で映画館→ドラマ=大学のサークルの飲み会、です。これはどちらでもいいのですが、変更の意図としては、主人公が大学生であるということを印象付けるのと、あとの方で出てくるありさを第一回から登場させておきたかった、でしょうか(ちがったらすいません)。

チョコレートの削除

 父の死後ラーメン屋に行き、店主の染田が父春生から預かっていたもの(現金と手紙)を小麦が受取るシーン。このシーン、原作では、染田は小麦の顔を見た途端驚いて、すぐさま預かったものを渡そうとするのですが、ドラマでは、染田はその話をするのが言いにくそうな様子でした。また、原作では、この時染田が、かつてムショに入っていて春生に世話になった、と小麦に打ち明けるのですが、ドラマではその会話がありません。これは重要な背景情報を視聴者に明かすのを後回しにしたということでしょうか……。もう一つ、このシーンで原作から削除されたのが、手紙に書いてあったバレンタインチョコのエピソードです。このエピソードは、春生と小麦しか知らないので、小麦が、この手紙が父親が書いたものであることを確信するための重要な情報となっています(そのために父春生もこのエピソードをあえて手紙に書いている)。というわけで原作ではこれはかなり重要なエピソードで、しかも春生のキャラクターがわかるユーモラスなもので、印象に残っているのですが、ドラマでなぜここを削除したのか、ちょっと不可解です。

川岸のシーン

 小麦が父の手紙を捨てようとするシーン、子ども時代を回想する場面もふくめてほぼ原作通りでしたが、原作では松風がただ「ちょっと!」と叫んで止めるだけなのですが、ドラマでは「それ、不法投棄になります。5年以下の懲役もくしは1千万円以下の罰金またはその両方が科せられます」というセリフが追加されています。これは、まあ松風が弁護士であることの強調でしょうか。このシーンでは、原作にもある「警察も嘘つきますよ」という松風のセリフがちゃんとあり、むしろ原作以上に強調されていたのは良かったですね。やや大きな変更として、松風による遠藤力哉(成田凌)への接見の回想シーンが追加されていることです。松風は遠藤に「せめて沈黙の理由を教えてくれないか」と語りかけるのですが、その時遠藤は「理由を知っているのはクジャクだけです」とだけ言います。これは原作にはありません。「クジャク」という言葉に何か秘密が隠されているのかもしれない、と視聴者に印象づけるためでしょうか。
 さて、松風はこの川岸のシーンで依頼を受けることを小麦に告げるのですが、原作にもある「ジャングルまで付き合うよ」の後に「僕が君の目になる」というセリフが付け加えられています。あと、小麦は、原作ではこの川岸のシーンで泣いたり笑ったりしているのですが、ドラマではそれはありません。全体に広瀬すずさんのドラマの小麦は、原作の小麦よりも落ち着いた女性として描かれているように思いました。

プリンとコーヒー

 小麦が、はじめて松風たちの弁護士事務所を訪れるシーン。これも、だいたい同じでした。特に、冤罪というドラマの中心テーマに関わる松風と波佐見の重要なセリフは、ほぼ一言一句原作どおりで、よかったです(原作を見ながらドラマの音声を聞き直した)。ただ、波佐見の「取り返しがつかないだけでなくて、結果的に真犯人も逃がすことになるよね……?」というセリフが削除され「冤罪というのは悲惨だ、一度でも疑いを浴びたらたとえその罪が晴れたとしてもずっと残る」からはじまる松風の長いセリフが付け加えられています。その後松風は、事件に関わることで「どす黒いものが自分の中に染み込む」かもしれない、その覚悟があるのか、と小麦を問い詰めるのですが、その際、松風は(波佐見が勝手に小麦に出した松風の)プリンにコーヒーをかけ「こうなってしまってもこれはプリンと呼べるだろうか」と言います。このプリンとコーヒーは原作にはまったく出てきません。ドラマではその後、小麦がこのコーヒーかけプリンを毅然として食べ「これはプリンです」「私のことは心配しないでください」と言います。このコーヒープリンは、小麦の決意をより印象的に描くために持ち出されたアイテムなのだと思います。ただ、コーヒー=黒くて苦いもの、プリン=甘いもの、という対比なのかもしれませんが、コーヒーも甘いものも好きな私としては、「いや、コーヒーかけプリン普通にうまいでしょ」と思ってしまいましたけど。あとは、「私の目を信じます」という小麦のセリフが追加されていましたね。松風の「僕が君の目になる」というセリフもそうですが、ドラマ(少なくとも第1話)では「目」が、原作にないキーワードとして追加されていました。

*1:『セクシー田中さん』は日テレ。

1.19全国一斉アクション 改悪入管法撤廃【デモではマスクをしましょう!】

人命、人権よりも送還優先の「送還一本やり方針」を許さない!

 入管による「送還一本やり方針」とは、いわば「送還できない人を送還する」という方針です。そんな不可能なことを無理やりやることで、多くの人の命と人権が危機にさらされます。

入管は人間の尊厳を踏みにじる、密告強制の監理措置制度を廃止せよ!

 入管法改悪の問題点について「難民申請者を送還可能にする」点に注目が集まりましたが、それと同様、いやそれ以上に問題があるのが「監理措置制度」です。マスコミなどでは「監理措置によって就労可能になる」などという入管の宣伝が垂れ流されたので「監理措置」は入管法改悪の「アメとムチ」の「アメ」の部分だと誤解している人も多いのではないでしょうか。しかし仮放免者が監理措置に変わったとしても就労ができるようにはなりません。入管が「送還忌避者」と呼ぶ、送還できない人とは、難民や、日本に家族がいる人、日本に長く暮らしてきた人などですが、この人たちの多くは現在「仮放免」という状態にあります。この仮放免者たちを、より管理しやすく送還しやすい状態にしてやろうというねらいで作られたのが「監理措置」です。それは「アメに見せかけたムチ」です。

国際基準に基づいた難民認定と在留特別許可基準の大幅緩和を!

 送還できない人、仮放免者がそんなにめざわりで減らしたいというなら、ビザを出せばいい。送還できない人は送還しなければいい。それだけの話です。送還できない人を送還する、という理不尽な「送還一本やり方針」をただちにやめればいいのです。

デモではマスクをしましょう!

 インフルエンザが1999年の現行統計開始以降で過去最大の流行を示しています。またコロナ第12波もはじまっています。コロナは終わっておらず、5類以降のコロナによる死者は4万人を超え、これは同時期(23年5月〜24年8月)のインフルエンザ死者の約19倍です。多くが、高齢者や基礎疾患を持っていた人ですが、若年者でも死者は出ていますし、深刻な後遺症で苦しんでいる人もたくさんいます。マスクは効果がないなどという説も出回っていますが、マスクがコロナの感染症対策に効果があることは科学的に実証されています(ただしウレタンマスクはほとんど効果がありません)。また屋外でもノーマスクで距離が近ければ感染することもあります。自分を守るためだけではなく、他人を守るためにマスクをしましょう(無症状の感染者が他人を感染させることもあります)。
119全国一斉アクション 改悪入管法撤廃
東京
 東京都台東区上の恩賜公園湯島口(池之端1丁目交差点付近)
 12時40分集合 13時デモ出発(16時ごろ解散予定)
大阪
 集合場所:中之島公園女神像前
 集会:13:00~ デモ行進:14:00出発(デモのゴールは西梅田公園)

その他仙台、名古屋、岡山、広島、高知などでも行われます。

1.19全国一斉アクション 改悪入管法撤廃(フライヤー)
1.19全国一斉アクション 改悪入管法撤廃
1.19全国一斉アクションin大阪(フライヤー)
1.19全国一斉アクションin大阪