
- トヨタ自動車株式会社
- 事業開発本部 新事業企画部 事業開発室
- 勝又 亮柄
トヨタ自動車の新規事業「mobiMArt」。三度の軌道修正から学ぶ、事業開発のリアル

新規事業の成功確率は数%とも言われ、そのチャレンジは決して簡単ではない。それでも多くの企業が、次なる価値を生み出すべく、自社ならではのスキームづくりに取り組んでいる。
トヨタ自動車株式会社では、「BE creation」という新規事業創出の仕組みを構築。トヨタ生産方式の思想に則り、事業開発のプロセスを0〜7のステージに分けて段階的な投資を行っている。今回紹介する「mobiMArt(モビマート)」は、その中でも全体の1〜2%しか到達していない4番目のステージ(SEED)まで進んだ、数少ない事業のひとつだ。
mobiMArtは、企業と消費者をリアルにつなぐBtoB型のモビリティサービスである。トレーラーハウス型の展示設備を使い、企業は新商品のテストマーケティングやプロモーションを実施。オンラインでは伝わりにくい商品の魅力を、消費者が直接体験できるタッチポイントとして機能している。
▼「mobiMArt(モビマート)」のイメージ図
しかし、そんなmobiMArtが現在の形になるまでには、何度も方向転換を重ねてきたという。
企画者であり、プロジェクトオーナーを務める勝又 亮柄さんによれば、はじまりは「人と人を繋ぐ移動型コミュニティ形成サービス」というアイデアだった。そこから、「モバイル公民館」へ、さらに若手アーティストの作品展示機会を創出する「mobiArt(モビアート)」を経て、現在の事業モデルに至った。
「収益性の壁にぶつかるたびに、メンバーと議論を重ね、事業のかたちを変えてきました」と、勝又さんは振り返る。直近では、クラウドファンディング「CAMPFIRE (キャンプファイヤー) 」と連携した取り組みを行うなど、導入事例も順調に増えているそうだ。
今回は、勝又さんに加え、BE creationの事務局として事業開発を支援する矢矧(やはぎ)宗一郎さん、mobiMArtの立ち上げ期からプロジェクトに関わる後久(ごきゅう)恵司さんの3人に、トヨタ自動車における新規事業の取り組みと、mobiMArtの現在地について話を伺った。
多様な専門性が融合。100人超で構成される新事業企画部とは
勝又 2010年に新卒でトヨタ自動車に入社し、ハイブリッド車や電気自動車の開発に取り組んできました。開発の仕事をしながら、新しい事業の立ち上げにも挑戦し、2024年の4月に新事業企画部へ異動してからは、移動型テストマーケティングサービス「mobiMArt(モビマート)」のプロジェクトオーナーを専任で担当しています。
後久 私は2006年入社以来、自動車のエネルギーを効率的に使うマネジメントシステムの開発に関わってきました。2021年に新事業企画部へ異動してからは、中山間地域に入り込んだ課題探索と解決策検証などを担当し、現在は未来洞察を通した事業創造型の仕組み構築を担当しています。2025年の1月からは、mobiMArtプロジェクトのメンバーとして開発にも加わっています。
矢矧 2016年に入社後、生産技術の部門で工場の新設ラインの立ち上げや工程改善を担当しました。一方で、新規事業の公募制度にも応募し、自分自身でゼロから事業案を推進する経験もしました。2022年に新事業企画部に異動した後、その事業は撤退判断となり、今は新規事業開発の仕組みづくりや、公募制度の企画運営など支援側で動いています。
▼左から勝又さん、後久さん、矢矧さん
矢矧 私たち3人が所属する新事業企画部には100人超のメンバーが所属していて、大きく3つのセクションに分かれています。
まずは勝又のように、自ら事業を推進するプロジェクトオーナーや事業責任者。次に私や後久のように事業開発の仕組みを作ったり、さまざまなプロジェクトを横串で支援する役割。そして最後に、人事や経理などを担うバックオフィス組織です。
そのほかに、技術を支える先進プロジェクト推進部をはじめ、商品企画、設計、生産技術、製造、調達、営業など、社内の様々な部署から来たメンバーで構成されています。
「世のため人のため」の新規事業を生み出すスキーム「BE creation」
矢矧 トヨタ自動車には、新規事業を創出する「BE creation」という仕組みがあります。トヨタ生産方式を新規事業開発に適用した仕組みで、事業開発のプロセスを0から7のステージに分け、組織的に支援をしています。
新規事業は多産多死であることを前提に、段階的に投資を行っています。それぞれのステージで定める条件をクリアすると、次のステージで新たに予算と期間が与えられる仕組みです。クルマ作りの工程ごとに「良品条件」を設定しているのと同じく、新規事業の品質にも基準を設けています。
▼「BE creation」における0〜7の事業ステージ
勝又 新規事業だからといって最初から大きな投資をされるわけではなく、初期は本当に少ない予算から始めます。mobiMArtは今、「SEED」にあたる4番目のステージにいます。
矢矧 4番目のステージまでたどり着く事業は全体の1〜2%ほどで、現段階でもっとも進んでいる事業でも5番目のステージです。
私たちは事務局としてさまざまな事業を支援していますが、個人的にBE creationで大切にしている価値観は、「世のため人のため」を問い続ける姿勢です。
新規事業で頻繁に問われる「市場規模」や「収益性」も、もちろん重要です。しかしそれ以上に、事業推進者本人が「誰のために」「何のために」という視点で、お客様や社会に本当に価値のあるものを提供したいという想い(WILL)を持っていなければ、事業を推進することが難しいと考えているからです。
矢矧 お客様の課題を調査する際も、効率性を重視した机上での定量調査だけでなく、実際に現場へ足を運び、お客様や当事者に話を聞き、たとえ一人でもいいので解決したい課題やお困りごとの解像度を上げることを大切にしています。
まさにトヨタ自動車が大切にする「現地現物」や「お客様第一」を体現しながら、「世のため人のため」になる事業を生み出すよう努力することを意識しています。
何度も収益性の壁にぶつかり、検証を重ねて行き着いた「mobiMArt」
勝又 mobiMArtは、企業が新商品開発のときに行う、一人目の顧客探索やテストマーケティングをサポートするBtoB事業です。ただ、最初のアイデアはまったく違うもので、何度も方向転換を重ねた結果、今のビジネスモデルに着地しました。
私が新規事業の開発に取り組み始めた2021年頃は、「人と人をモビリティで繋ぐコミュニティ形成サービス」を考えていました。モビリティを広い視野で捉えると、人や荷物の移動だけでなく、人と人を繋ぐという意味合いにも解釈できると考えたんです。
ここからさらに考えを発展させていき、人と人が集まる移動式のコミュニティサービス「モバイル公民館」というアイデアを考えました。昭和の時代に公民館にみんなが集まって助け合っていたシーンをイメージしていましたね。
モバイル公民館は、将来の消費者となるZ世代の大学生に「何を言っているかわかりません」という反応をされながらも(笑)、試行錯誤を重ねて検証していました。しかし最終的にはやはり、収益性の壁にぶつかりました。事業開発を始めてから、およそ3ヶ月が経過したタイミングでした。
勝又 そんな時に、プロジェクトメンバーと焼肉屋に行き、「モバイル公民館はドロップアウトしよう」と話したんですね。その時に彼から「本当にそれでいいんですか? 勝又さんは何をやりたいんですか?」と問われたんです。
私は、「自分の好きなアートに関わる事業をしたい」と答えました。「それ、やりましょう!」と、彼はすぐに言ってくれ、私たちはさっそく焼肉屋のテーブルにA3の白い紙を並べて、事業計画をその場で練り始めました。
そこで生まれたのが「mobiArt(モビアート)」でした。モビリティを活用して、多くの方に若手アーティストの作品を見てもらえる場を提供するというアイデアでした。
その後、会議室にプロトタイプを作り、若手アーティストの課題も解決しつつ、多くの消費者とのタッチポイントを作れる見込みが見えてきた段階で、BE creationにも参加することになりました。
▼若手アーティストの課題をモビリティで解決することを目指した「mobiArt(モビアート)」
勝又 会社のハイエースを使い実証実験もスタートしましたが、ここでまたもや収益性の壁にぶつかりました。若手アーティストが出展費用を捻出するのが難しく、思ったほどの売上が見込めなかった。「もう諦めるしかない」と、また焼肉屋でメンバーと話をしました。
そこで話すうちに「アーティストを支援するBtoCも良いが、まずは企業を支援するBtoBにシフトするのはどうか」というアイデアが出てきたんです。さらに、新しいサービス名を考えていくうちに、mobiArtに「M」を加えると「MArt」つまり市場(mart)という意味になると気づき、「よし!市場を運ぶサービスにしよう」とアイデアが固まりました。これが、mobiMArtのはじまりです。
「移動できる」という強み。CAMPFIREとの実証実験で得た手応え
矢矧 BE creationのステージでは、3から4番目に上がる際に、市場規模や事業計画に基づく収益性の仮説が初めて必要になります。勝又さんの事業では、この段階で「顧客セグメントをアーティストに絞った事業計画では、市場規模が足りない」とわかった。そこで、新たな仮説を用意する中で、mobiMArtという発想が生まれました。
「市場が小さい」という壁を越えられない事業が多い中で、そこを突破した貴重な事例のひとつです。
後久 私はmobiMArtのアイデア創出期から事業開発を支援してきました。当時はメンバーではなく、伴走支援の立ち位置からBE creationにおける各ステージでの検証要件を基にアドバイスしていました。
実はmobiArtからmobiMArtへのピボットは、昇格の審査期間を一度延長させてもらったことにより実現しています。mobiArtだけでは事業の成立性が困難であることは開発当初から課題となっており、審査直前にmobiMArtの考え方が出てきたものの検証期間が明らかに不足していました。
そこで、検証期間の延長を審査会にて打診しました。「もう少し検証すれば事業としての可能性が大いにある」と、プロジェクトメンバーの想いとその根拠を伝え、事業検証の期間延長を了承いただきました。BE creationはこうした柔軟性もある制度です。
勝又 mobiMArtで支援したい企業は、例えば「森の香りがするアロマオイル」や「背負い心地のいいリュック」など、感性に訴える新商品を持ちながらも、Web上ではその魅力を伝えにくいと悩まれている企業です。まだ名前が知られていない新商品だからこそ、リアルの体験を通じて価値を伝える必要があると感じました。
そして、こうした課題を強く持っているのはクラウドファンディングを活用している企業ではないかと考え、「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」さんにアプローチし、興味を持っていただけました。
CAMPFIREさん自身も、Webだけでなくリアルな接点も持たなければという課題感をもっていたそうです。とはいえ、従来の店舗型のポップアップではエリアや客層が限られるとのこと。
そこでmobiMArtの「移動できる」強みを活かし、企業がターゲット層と直接つながる場をつくれば、きっと大きな価値になると考えました。実際に中野セントラルパークや明治公園、池袋駅前、タワーマンションなど、さまざまなロケーションで実証実験を行っています。
▼実際のCAMPFIREとの実証実験の様子
勝又 結果、事前告知なしでも各会場に1日約100名の方にご来場いただき、東京23区内のエリアでも場所が少し変わるだけで来場者の属性や反応に大きな違いがあることがわかりました。
例えば、同じような年収層のエリアでも、ご夫婦の働き方やお子様の年代、周辺の商業施設の影響など街の特性によって回遊者の興味領域が変わり、商品に対するコメントも全く違う。こうした違いを、商品開発や販売戦略に活かしていけるという手応えを感じました。
私自身も接客スタッフとして各地を回るなかで、mobiMArtの出店にあたって必要なパートナーシップについても気づきがありました。例えば出店するエリアによっては、デベロッパーさんや不動産会社さんとの連携が不可欠であり、そのような企業にとっての価値を示す必要があります。
mobiMArtが出店することで、地域を回遊していた人たちがその場に留まるようになり、結果として「質の高い賑わい」が生まれて場の価値が向上するなど、土地アセットを持っている方にとってもプラスになる状態を目指しています。
価値あるものが正しく評価され、生き残っていく世界を創る
矢矧 ボトムアップで事業開発を進めるなかで、審査員側から「市場が小さいのでは?」「トヨタの強みがどう活きるのか?」といった問いを投げかけられることが多くあります。
だからこそ、mobiMArtに限らず、大きな事業を連続的に生み出せるような支援体制や仕組み作りを、今後さらに強化していきたいと考えています。
後久 業種を問わずさまざまな顧客のマーケティング課題にリアルな場を提供し、応えられることがmobiMArtの強みだと思っています。だからこそ、顧客の皆様にmobiMArt自体が正しく認知され、持続的に続けられる事業として育てていきたいと考えています。
勝又 これまで何度も方向転換を繰り返してきましたが、この変化に対応できたのは、焼肉屋で議論を重ねてきた私のバディともいえるプロジェクトメンバーのおかげです。そして、以前はシェルパとして伴走してくださって、今ではプロジェクトの一員である後久さんの第三者視点のアドバイスにもとても助けられました。
加えてBE creationの事務局から、過去のノウハウや社外メンタリングなどを通して的確にサポートしてもらっていることも大きいですね。こうした皆さまの支えで、ここまで事業を続けてこられたと感じています。
勝又 mobiMArtのフィロソフィーは「価値あるものが正しく評価されて、生き残っていく世界を創る」ことです。mobiMArtはいわば、「都合のいい器」であればいい。独りよがりではなく、商品をつくった企業、消費者、デベロッパー、モバイル空間のデザイン企業から接客スタッフまで、関係者全員がうれしくなる事業を目指していきます。(了)
ライター:久保 佳那
企画・取材・編集:舟迫 鈴(SELECK編集部)
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