「君のためなら何だって出来るさ」 安っぽい歌謡曲の歌詞と犬猫の関係
先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。
冷めた私の歌詞の捉え方
どちらかといえば、私は冷めている方ではないかと思う。子どもの頃からそうだった気がする。冷淡という意味ではない。わりと優しい方だと自負している。ただ、何事もあまり態度に出さないのだ。
情熱的とは正反対で基本、テンションは低めである。妻が何か今日あったことを話しているときも「へぇ」という感じのリアクションが普通の状態だ。それでもうれしいときやつまらないときは素直に顔に出るようで、友人からは「わかりやすい奴」と言われている。
そんな性格だからか分からないが、歌詞の受け取り方もひねくれている。たとえば「君のためなら何だって出来るさ」という歌詞を聞けば「それはない。ことによるだろ」と思うし、「いつも君のことを考えている」と聞けば「そんなわけねぇよ」となる。さらに「君なしでは生きられない」なんて聞けば「どれだけ依存しとんねん。ヒモかお前は」と脳内で突っ込んでしまう。
実生活で家族や恋人に対してそんなセリフを言う人は少ないと思うが、なぜか歌の世界ではよくあるし、そんな曲が売れたりしているので、それを聞いてぐっと来る人も少なからずいるようだ。
それに対し私は、自分の中にある暗い内面とか、悲しい経験とか、何げない日常の中に潜む寂しさとか、暗い歌詞の方が心に刺さる。
好きな曲も受け取り方も人ぞれぞれだからとやかくいうつもりはないのだが、そんな私が、例外的に大吉や福助に対しては、まるで安っぽい歌謡曲の歌詞のような感情を抱いていることに気付いて驚いた。
大福の対する私の思い
たとえば、「君のためなら何だって出来るさ」は、そのまま当てはまってしまう。大福のために山の家を手に入れて、近年の猛暑を考えて昨年八ケ岳に完全移住した。そもそも山なんて興味がなく、インドア派で若かりし頃は下北とか高円寺で夜な夜な飲み歩いていいた私が、である。
「いつも君のことを考えている」というのも当てはまってしまう。朝の散歩では「昨日からウンチしてないなぁ」と見守ったり、留守番させているときは急いで帰るようにしたりしているから、考えていない時間の方が短いといってもいい。
「君なしでは生きられない」も、わりとそうで、あまりに突然だった富士丸との別れを経験したとき、正直私も死んでしまいたかった。それまで考えたことがなかったから自殺に関する知識がまったくなかったことと、死体を片付ける人に申し訳ないなという思いでかろうじて生きていた時期がある。
それは大福に対してもまったく同じレベルである。大福のことを一番に考えて、四六時中頭の中にいる。
片道3時間かけて
先日も、大福を動物病院に連れて行った。どこかが悪いわけではなく、半年に一度の割合で受けている「血液生化学検査」を受けるためだ。私が信頼している葉山まほろば動物病院の上田先生に診てもらうため、車で片道3時間かけて行く。
それは大福の体に異常があった場合、いち早く気づくためである。血液生化学検査では、血液中のたんぱくや糖、脂質などの数値を見られるので、栄養状態や異常があれば早期発見出来る可能性が高まる。
少しでも長く元気でいてもらいたいから、どんなに嫌そうな顔をされても連れて行く。その代わり、病院の後はどこか気晴らし出来るような場所へ連れて行って遊ばせる。すべては大福のことを考えてである。恐らく、犬や猫と暮らす人は私に近い感情を抱いているのではないだろうか。
検査を受けた数日後、上田先生から電話があった。血液生化学検査の結果が出たが「大福ともにほぼ問題なし」とのことだった。大吉は13歳、福助は10歳で、まだ元気に走れる。そんな姿を見られるのが本当にうれしいし、世界で一番愛している。言葉にすると陳腐な歌詞のようで、もうひとりの冷めた私が「なんだよそれ」と笑うが、それが本心なのである。
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