駅を利用していて目に入るものがある。それが駅の広告と飾りだ。時には旅行へのお誘い、時には新生活への応援メッセージだったりと幅広い顔を見せてくれる。
ある日、阿佐ヶ谷駅(JR中央線)を利用しているときに気になるものを見つけた。広告の横に張りぼてがある。この張りぼて、手作り感にあふれていて見ているだけで親しみがわいてくる。次はどんなのができるかな。気づいたら駅を通るのが日々の楽しみになっていた。今回は阿佐ヶ谷駅にある素朴な張りぼての世界を紹介します。
※張りぼてのジャンルに入るか微妙な飾りもありますが、今回はあえて全部まとめて「張りぼて」と呼びます。ご了承ください。
「素朴さと作り込みのギャップ」がたまらない
最初にこれを見てほしい。
駅の中に春の風が吹いている。きれいだなーと通りすぎた。
三日後。また目に入る。気になってきた。近づいて足を止める。ながめて気づいた。これ、実はいろいろ工夫して作られているのでは?
貼りついている花びらを見てほしい。全部が右を向いている。さっき春の風を感じた理由は、花びらにあったのか。
感心しながら目を下にやる。思わず力が抜けた。
桜の花びらの作りこみに対してむきだしになったテープの芯。この温度差よ。率直に言って好きだ。すっかりファンになってしまった。
今回は、こんな阿佐ヶ谷駅の張りぼてを三つ紹介したい。一緒にギャップ、楽しみましょう。
①「新鮮さ」にこだわったイカ(2018年8月)
西は長野、北は青森まで。JR東日本の事業範囲は広い。さらに2016年には新幹線で北海道まで行けるようになった。となると始まるのが旅行の宣伝広告だ。
2018年にも北海道の宣伝が始まった。その名も「イカすぜ函館キャンペーン」。名前そのままに新幹線の終点である函館駅と名産のイカを推している。
さて、キャンペーンに合わせて現れた張りぼてがこちら。
円錐と円柱を組み合わせたシンプルな形。一見何のひねりもなく作られたイカに見える。でも観察すると奥深い世界がしっかり見えてきた。
ここでちょっと考えてほしい。あなたはスーパーの鮮魚コーナーでイカを買おうとしています。どういう基準でイカを選ぶだろうか。多くの人は「透明感」をあげるのではないだろうか。実際、イカは鮮度が落ちると透明感がなくなると言われている。
これをふまえてもう一度張りぼてを見てみよう。
イカの表皮を綿で作ることで透明感を再現しているではないか。これはイカすぜ!
さらによく見ると、手前にイカの子どもがいることに気づいた。
こっちは味わい深い。
紙の胴体にスズランテープの足。足だけ透明。来ました素朴さ。これも好きだ。
② テープのきりたんぽ(2018年9月)
秋に始まったのは秋田県のキャンペーン。うたい文句は「秋のさくさくあきた」。
そんな秋田県を代表する食べ物といえばこれだ。
炭火できりたんぽを焼き、米が焼ける香ばしさに包まれながら待つ至福の時間。ひっくり返せば焦げ目が見えるのかな。ちょっと見ただけで想像がふくらんでいく。秋田に行きたくなってきた。
なのになんだろうこの胸に残る違和感。よーく見ると、また違う味が見えてきた。
見れば見るほど親近感がわいてくる。こんなテープの芯にぴったりサイズな網ってあるんだ。きりたんぽ表面のテープと下の芯ってきっと同じやつだよね。
さくさく魅力が見つかる。見てるだけでさくさく秋田に行きたくなってきた。
③ ニュースに詳しいなまはげ(2018年9月)
きりたんぽが姿を見せてから1週間。とつぜん仲間が増えた。もう一つの秋田名物、なまはげだ。
なまはげといえば恐ろしい顔をしたお面だ。つり上がった目に立派な髪。阿佐ヶ谷駅のなまはげも特徴をしっかり再現している。でも小さいからかわいい。
さてそろそろ恒例の始めますか。拡大してみてみよう。
この髪の毛、新聞紙だ。阿佐ヶ谷駅のなまはげはインテリだった。なまはげというと怖いイメージがあるけど、この小さくて賢いなまはげなら歓迎して招きたい。いい知恵をさずけてくれそうだ。
番外編:阿佐ヶ谷駅の張りぼてのルーツは「祭り」にあり?
さて、ここまで紹介してきて今さらだが不思議に思わないだろうか。阿佐ヶ谷駅では、なぜここまでこだわって張りぼてを作っているのだろう。その答えは8月の阿佐ヶ谷駅を見ればすぐに明らかになる。さっそく8月の様子を見てみよう。
この子は阿佐ヶ谷駅のゆるキャラ「あさくらちゃん」。七夕かざりをモチーフに作られている。何を隠そう、阿佐谷は「七夕の街」なのだ。旧暦の七夕の時期に「阿佐ヶ谷七夕まつり」が開かれ、駅前の商店街は地元の人や観光客で大きくにぎわう。来場者数が80万人以上といえば人気が少しは伝わるだろうか。
さて、そんな阿佐谷七夕まつり、ちょっと変わったところがある。それは「商店街の人が手作りの張りぼてを作って飾る」ことだ。
この作品、既視感がないだろうか。そう、駅の張りぼてだ。張りぼては阿佐谷のDNAに深く根付いている。駅の張りぼては阿佐谷の魂を体現したものだったのだ。
④ ツッコミ待ちのカニ(2018年10月)
一目見て思った。これは気合を入れて作られてる。本物顔負けのゴツゴツした殻に肉付きの良いハサミ。出来がいい。ツッコミを入れるとしたらハサミの場所を針金で雑に固定しているぐらいか。
と思っていた。でも気づいてしまった。
このカニ、やっぱり阿佐谷らしさにあふれてる。
ここで普通のカニを見てみよう。
カニで食べる部位といえば足だ。足にぐいぐいとハサミを入れてぐぎぎと力を入れてようやくパカッと開いて姿を見せるつやつやの身。固いハサミを開くのに苦労する時間でさえ愛おしい。カニ専用のフォークでぐいぐいと食べる過程はもはやエンターテインメント。カニを食べるとき黙るってよくネタにされるけど、ここまで幸せな沈黙を知らない。
短い足と短いハサミ。食べられる場所がほとんどない。
このカニってもしかして……!
何回も言うが、こんな素朴さにあふれた阿佐ヶ谷駅の張りぼてが好きだ。
最近の張りぼての話
さて、この話にはまだ続きがある。もう少しおつきあいください。
今回紹介した張りぼて、実はどれも2018年のものだ。2019年になってから張りぼての入れかわりが少なくなった。
最後に新作を見たのは2019年の8月。七夕まつり期間に出てきたあさくらちゃんだ(「番外編」で紹介したもの)。それを最後に張りぼてはぱったり姿を消してしまった。
どうしたんだろう。でもきっとまた作ってくれるでしょう。そのときは深く考えてなかった。なんてったって、阿佐谷の名物は七夕まつり。きっと来年(2020年)の七夕まつりの時期には新しい張りぼてが出てくるんじゃないか。それを楽しみに待っていよう。
しかし、2020年の七夕祭りはコロナで中止。
阿佐ヶ谷駅の張りぼてもなし。世の中はコロナ一色。もう張りぼてを愛でることはできないのか。これで終わってしまのか。そんなの悲しい。
希望は残っているよ、どんな時にもね
2021年4月2日。桜が満開のある日。その日も阿佐ヶ谷駅を通った。前は桜の張りぼてがおいてあるときもあったっけ。今年の夏はお祭りできるかな。そんなことを考えながら歩いていると――
思わず頬をつねる。夢じゃない。あさくらちゃんがいた! 誇らしげに入学を祝うあさくらちゃん。
「今年入学の学生も大変なことが多いと思うけどがんばって。応援してる」
そう言っているあさくらちゃんの声が聞こえた(気がした)。心が自然と上を向いた。ありがとう。それにしても張りぼてが復活してくれるとは!
冷静になって考えると
だいたい2年ぶりの張りぼて復活。丸1日喜びが続いた。でも次の日気づいた。気づいてしまった。あのあさくらちゃん、もしかして前と同じ張りぼてなのでは?
前に飾られていたあさくらちゃんと見比べてみよう。
2年ぶりに見た張りぼては、過去の張りぼてをリメイクしたものだった。もちろん張りぼてを見られてうれしいのは変わらない。ただそうなると気になることがある。今後はどうなるんだろう。新作を期待していいのか、それとももう作られることはないのか。
気になったので問い合わせてみた。返答の転載は禁止されているので細かいことは書けないが、一つわかったことがある。それは、「今後新しい張りぼてが作られる予定はない」ということだ。そうか……。
でも張りぼてのおかげで毎日が少し楽しくなった。そして阿佐ヶ谷駅を好きになれた。ありがとう。
最後に
あさくらちゃんの登場から2週間後。再び阿佐ヶ谷駅を通った。あさくらちゃんはもう姿を消していた。
あさくらちゃんは七夕をモチーフにしたゆるキャラだ。今年か来年か七夕まつりが復活したら、あさくらちゃんの張りぼて姿がきっとまた見られる。また阿佐ヶ谷駅で張りぼてが見られる日を楽しみに待っていよう。
七夕の街 阿佐谷。そんな街の駅では、素朴な張りぼてが代り映えのない毎日に彩りを添えていた。