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5回目の自民党総裁選で悲願の勝利「石破茂の素顔」 "目つきが悪いんですよ" "もう後がない"

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相手の言い分をよく聞いて丁寧に話す。丁寧すぎるときもあるが、これも性格か(撮影:尾形文繁)
9月27日、岸田文雄首相の後継者を決める自由民主党総裁選挙に勝利したのは、無派閥の石破茂元幹事長だ。10年前、第2次安倍政権で地方創生担当大臣を務めていた同氏は何を考え、何を語ったのか。『週刊東洋経済』2014年11月8日号に掲載した連載「ひと烈風録」の第1回を再掲する。

※本記事は2024年9月29日18:00まで無料で全文をご覧いただけます。それ以降は有料会員限定となります。

10月20日、小渕優子経済産業相と松島みどり法相が在任48日で辞任した。長期政権を視野に入れる安倍晋三首相は、集団的自衛権問題による内閣支持率下落などで下降線をたどる政権の立て直しを狙って、9月3日、内閣改造を行った。ところが、突然、強い逆風に見舞われた。長期政権どころか、「支持離れ・政権弱体化」の懸念が膨らむ。 

そこでにわかにもう一度、注目を集め始めたのが前自民党幹事長の石破茂である。だが、「閣内で首相を支えながら次をうかがう」が基本戦略の石破は不動の構えだ。 

6年前、初めてインタビューしたとき、石破は開口一番、自ら「目つきが悪いんですよ」と吐露した。イメージの悪さを気にしているような口ぶりだが、内心の屈折ではなく、飾らない率直さが伝わってきた。  

2012年9月の自民党総裁選で、石破は党員・党友の第1回投票は大差の1位、国会議員による決選投票で安倍に19票差に迫った。安全保障問題の仲間で、総裁選の推薦人になった中谷元(現自民党安全保障法制整備推進本部長・元防衛庁長官)は、「地方票で圧勝したのは、やはり国民感覚にいちばん近かったからでは」と振り返った。

その実績を武器に幹事長を握る。衆参の選挙で連勝して実力を蓄えてきた。安倍の最大のライバルだ。

政権に就いた安倍は石破のパワー拡大阻止に腐心した。首相官邸主導で「政高党低」を演出する。石破は「座敷牢の幹事長」といわれた。

安倍は内閣改造でも石破封じをもくろんだ。内閣への協力を約束させる作戦に出る。新設の安保法制相を持ちかけ、石破が安保政策での考え方のずれを唱えて断ると、無役を示唆して党内孤立化を策した。迷う石破は一度、無役覚悟の構えを見せたが、周辺の主戦論を排して地方創生相就任を受諾する。「安倍・石破戦争」の第1幕は、「作戦勝ちの安倍、黒星の石破」と映った。

ところが、女性2閣僚の沈没で、「安倍戦略の誤算」が露呈する。第2幕は一転、波乱含みとなった。

慶応大から三井銀へ。父の死去と角栄との出会い

1957(昭和32)年2月生まれの石破は安倍の3歳年下だが、衆議院当選9回で、議員歴は安倍よりも7年長い。父親の石破二朗は戦前の内務省出身で、建設省(現国土交通省)の事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治相を務めた。1男2女の末っ子の石破は、父が事務次官だった48歳のときに東京で生まれ、知事就任で一緒に鳥取市に移った。

鳥取大学付属小、付属中を経て慶応義塾高に入る。数学が苦手で、経済学は性に合わず、慶大では法学部法律学科に進んだ。卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に就職した。母親の和子の影響で、18歳のとき、プロテスタント系の日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けている。

銀行に入って3年目の81年、73歳で父が他界した。田中角栄元首相と親交が深かった二朗は逝去の約2週間前、鳥取の病床で「死ぬ前に角さんに会いたい」と漏らした。

「母から電話があり、私が目白に電話した。ご本人が出てきて、『わかった、すぐ行く』と言って、裁判中の身なのに、本当に3日後くらいに来てくれた。田中さんは迫力、勉強の量、頭の回転などもすごいけど、根幹にあるのは親切心です」

石破は田中を「魔神」と評した。

政治家の息子に生まれた石破に政治の道という考えはなかったのか。

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