"黄金パンツ"の92歳ラガーマンが貫く「生涯現役」 40歳以上のラグビーチーム「不惑倶楽部」とは?

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ちなみに、不惑倶楽部の背番号は入会順です。背番号59のぼくは、59番目の入会者ということです。ちなみに息子の正隆は460番。現在は680番台までいるそうですが、そこまで人数が増えたことをうれしく思います。

一方で、2ケタの背番号の人はもうほとんどいらっしゃいません。自分が不惑倶楽部の最年長になったことを思うと、入会当時から隔世の感があります。

不惑倶楽部が世界に広げた年代別パンツの色

不惑倶楽部のいくつかのルールは、現在、世界のシニアラグビーの共通ルールになっています。そのうちの一つが、年代別のグループ分けとパンツの色です。

現在、多くのオーバー40ラグビーチームでは、年齢でチームを分けています。そしてそのチームごとにパンツの色が違うのです。不惑倶楽部のウェブサイトにはこんな説明があります。

年齢別パンツの色
40代は白、50代は紺、60代は赤、70代は黄、80代は紫、そして90代以上はゴールド。不惑倶楽部が作った年代別のグループ分けとパンツの色は、世界のシニアラグビーの共通ルールになっている(写真:『92歳のラガーマン ノーサイドの日まで』より)
・40代は白パンツ……まだまだ青二才。
・50代は紺パンツ……一人前の顔をしていますが、まだまだです。
・60代は赤パンツ……ようやく人間扱いされます。
・70代は黄パンツ……人間を通り越して化け物に見えます。
・80代は紫パンツ……化け物です。神々しくもあります。
・90代はゴールドパンツ……こうなったら100歳までお願いします。

ここでいう年齢は「数え年」です。昔の日本では、生まれた年が1歳でした。その後、正月を迎えるたびに1歳ずつ年齢を重ねていきます。

92歳のラガーマン ノーサイドの日まで
『92歳のラガーマン ノーサイドの日まで』(主婦の友社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

ぼくは1932年生まれなので、2021年の新年に不惑倶楽部では90歳を迎えました。新年最初の試合で名前入りのゴールドパンツをもらったときには、本当にうれしかったですね。

これらのパンツの色によって、試合のルールが違ってきます。年代混成で試合するとき、たとえば1つまたは2つ上の年代にはタックルしない(例:白パンツは、2つ上の赤パンツにタックルしてはいけない。紫パンツ以上のプレーヤーには、1つ下の黄パンツもタックルなし)などがあります。

それは中高年が安全にラグビーをするためであり、長く生涯スポーツとしてラグビーを楽しむためのマナーにもなっています。ぼくが長くラグビーを続けてこられた背景には、こういった不惑ルールもあったのです。

永山 隆一 医師

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ながやま りゅういち / Ryuichi Nagayama

1932年(昭和7年)大阪府生まれ。ラガーマン。医師。40歳以上のラグビークラブ「不惑倶楽部」の最高齢メンバー。元・東芝府中ラグビー部チームドクター。

小学生時代、鹿児島県への戦時疎開のため断念したラグビー。大学ではそのあこがれが叶い、ラグビー部を創設。以来70年以上、ラグビーとともに人生を歩んできた。1951年東邦大学医学部入学。1957年同大学卒業後、関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)、東芝中央病院(現・東京品川病院)などに外科医として勤務。

そのかたわら、1984年に永山クリニックを開業。現在は名誉院長。1993〜2002年、東芝府中工場(事業所)健康管理センター長も務めた。

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