文学フリマありがとうございました!!!!!!!!今いつぶりか分からないくらい「気絶しそうな感じの眠気」がやってきている。アドレナリンどばどばってその後の反動がデカいよな。
思わぬダイヤの乱れでめちゃくちゃに動揺したりしながらもなんとか時間前に設営完了。両隣の方も優しい方々で安心しつつ時間を過ごせました。ありがたすぎる。ありがとうございました!
文学フリマが盛り上がってる、としょっちゅう聞くし、実際、私も毎回すごい活況だなあと感動する。するんだけど、言いようもなく焦るし、情けない本心を言うなら良いことだなあという気持ちと怖えー!という気持ちを比べるなら怖えー!が勝つ。すごくすごく情けない。でもそれが本心なんだから仕方ない。
毎回「こんなに文を書きたい人がいる」と愕然とする。し、怖くなる。こんだけの人がいる中で自分が文を書く意味ってなんだろう。
たぶんこれ、毎回言ってる。毎回言ってしまうくらい、正直怖い。行き交う人混みを見て、どうやったら興味を持ってもらえるんだろう、とかでもきっと「興味を持ってもらう」で書くのは違うんだろうなあとあれこれ考えては分からなくなる。
だけど、毎回、途中で「違うよなあ」と思う。
例えば、手にとってくれる人がいたり、私もこれ好きなんですよね、って話してくれる人がいいる。戻ってきて買ってくれる方もいる。
全部覚えていたいな、と思う。
私は「自分の好きなもの」の文をずっと書いてる。他の文も書いてみたいと思うんだけど、でも一番「書きたい」は生活の話でとなると私は「好きなもの」になる。何にわくわくして、何に自分を重ねて考えて感じたのか。
それって、どれだけ何になるのか、と考えるけど、そういうことを考えるのも違うよな、と後半つらつら考えていた。
これだけ書く人がいる。いるんだけど、それでも「私は私が文を書きたい」だけ真っ直ぐ思ってる。
その上、「読んでくれる」「興味を持ってくれる」ひともいる。そこからどこまで届くのかは私の文の精度とあとはその他諸々、色んなものがうまく重なるかどうかなんだろうな、と思う。
届いたのかは分からないけど受け取ってくれたひともいるんだってことをちゃんと覚えていたい。それだったらちゃんとこれからも書きたいを大事にしながら受け取りやすく、でも書きたいことはぶらさずに書けるように頑張りたい。
そう思うと、ああ出て良かったな、と思う。たぶん私は、ずっと文が書きたい。もしかしたらある日突然「書かない」になるかもしれない。そういうこともあるかもしれない。
だけど、少なくとも今「書きたい」なので、その間はずっと書いていけたらいいな、と思う。そのエネルギーを今日たくさん受け取った気がする。
ああ嬉しかったな、楽しかったな。次に向けて、頑張りたい。本当にありがとうございました。
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11月に体調不良でぶっ倒れた中、かまみくのおかげで元気を取り戻して自分はやっぱり好きなもののおかげで生きてるんだな、と思った日記エッセイです。
#京都文学フリマ で頒布した「エンタメに生かされている」をA6→A5データに変更してファミマ、ローソンのネットプリントに登録しました!初冬に仕事でぶっ倒れてやさぐれてた気持ちを好きなコンテンツで立て直した日記エッセイです📚よければ! pic.twitter.com/17VGaQM6gH
— つく📝京都文フリさ-78 (@tsuku_snt) 2025年1月19日
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