シャンプー・羊水・経皮毒
妊娠・出産をめぐる根強い俗説の一つに、「ケミカルシャンプーを使用していた人の羊水からシャンプーの匂いがする」というのがあります。先日、ある有名人のツイートをきっかけに、またこの話題がネット上を駆け巡っていました。この話は前から気になっていたものの、改めて取り上げたことがなかったので、この機会に調べてみることにしました。
さすがに、「羊水がシャンプーの匂いがするか調べた」という論文はないと思いますので、Twitterで皆さんの経験談を募集してたところ、たくさんのお返事を頂きました。ご協力下さったみなさんありがとうございました。
- 「羊水からシャンプーの匂いがする」…なんてことはありません, Togetter
出産経験者(立会経験を含む)方々のお話では、「シャンプーの匂いだった」という方はいらっしゃいませんでした。多かったのは「生臭い」というお答えで、他には「覚えていない」「それどころじゃなかった」というかたも何名かいらっしゃいました。
産婦人科医、小児科医、助産師など医療関係者の方からもメンションをいただきました。まとめを読んでコメントしてくださった方も含め、「シャンプーの匂いの羊水なんて経験したことはない」ということでした。
また、産婦人科医・宋美玄先生のブログへのコメントからこのようなやりとりがありました。
コメントに書かれてる「羊水がシャンプーかった」と臭言った産婦人科医は何ぞ?まともな医師助産師でそういうことをいう人はいないから。→宋美玄『性別判明しました・・産み分けは?』
⇒ http://t.co/iaPCPVD8sO
— 宋美玄 (@mihyonsong) 2015, 6月 22
@tabitora1013 @mihyonsong @dokikoYAMAYOKO 羊水からシャンプーの匂いなんてしたことないよね。ここの4人だけでも、(同僚の分娩経験も含めれば)経験した分娩数は4万とか5万件になるはずだから、ほとんどあり得ない確率だというのは確実
— 産婦人科医 (@syutoken_sanka) 2015, 6月 22
もちろん、この調べ方で厳密には「羊水がシャンプーの匂いになることはない」と証明することはできません(何かが「ない」ことを証明するのはそもそも不可能ですし)。でも、数多くのお産を経験された医師の方が、一例も経験がないと口を揃えておっしゃるのですから、やはり「ない」と考えていいと思います。
羊水シャンプーと「経皮毒」
「羊水がシャンプーの匂い」という話は、「経皮毒」と結びつけて語られています。「胎内記憶」で有名な産婦人科医の池川明氏は、シャンプーの匂いがする羊水を経験していると、講演会で発言されているそうです。検索すると、FB上に、2013年に千葉で行った講演会の情報が残っていますが、その演題はズバリ「羊水からお花の香りが… 〜赤ちゃんは大丈夫!?〜」と直球です。
池川氏は最近では「胎内記憶」についての講演会を多数行われているようですが、2006年に「女性を悩ませる経皮毒」という本を出版しています。この本は、2005年に出版された竹内久米司・稲津教久共著「経皮毒」を元に、女性向けにしたような内容です。
実は、これらの本に「羊水がシャンプーの匂いになる」という話は出てきません。「シャンプーが子宮に影響する」という内容はあるのですが、「シャンプーによって子宮内膜症になる!?」とされています←「!?」がミソです*1。
しかし合成界面活性剤が含まれたシャンプーが子宮内膜症の一因になっているという説があります。この説は実証されたものではありませんが、産婦人科医療に従事する私の立場からすると、かなり信憑性の高い説ではないかと考えています。
「女性を悩ませる経皮毒」池川明, p56
10年たっても一向に実証されていないようですが…。
ともあれ、これらの「経皮毒」本では、羊水がシャンプーの匂い、という話は出てこないのです。
しかし、フォロワーさんから、「自分が出産したとき(10年前)にすでに羊水シャンプーの話はあった」というのを教えていただきました。「経皮毒」が有名になったのは、2005年の竹内・稲津本以降なので、「経皮毒」が世に出てすぐに、この都市伝説は作られたのでしょうか。「シャンプー危険論」≒「合成界面活性剤危険論」は、うさじまが高校生だった1990年代前半にはすでにありました*2。もしかすると、「経皮毒」より以前から言われていた「シャンプー危険論」の都市伝説的なものが、「経皮毒」の語り手に取り入れられていったのかもしれません。
そもそも、「経皮毒」って…
「経皮毒」については過去記事でまとめています。一言で言うと、まったく実証されていない独自理論です。しかし、洗剤や布ナプキンなどを売るための「付加価値」として便利なのか、現在に至るまで多用されています。
経皮毒は2005年の竹内久米司、稲津教久共著「経皮毒」により流行した概念で、ニューウエイズなどのネットワークビジネスにおいて市販の製品が危険であるという宣伝に使われました。ニューウエイズは2008年、経皮毒についてのDVDなど「経皮毒の健康被害 について説明するビデオやDVDを見せて、あたかも同社の製品のみが安全であるかのように告げた」ことなどが問題とされ、3ヶ月間の業務停止命令を受けています。(「特定商取引法違反の連鎖販売業者に対する 業務停止命令について」)。経皮毒は、「石油から作られた合成化学物質は分子量が小さいので経皮吸収されやすい。経皮吸収された化学物質は初回通過効果を受けないので分解されず、脂溶性が高いので皮下脂肪にどんどん蓄積する。一回に吸収される量は微量でも、蓄積して少しずつ体内に放出されたり、ある一定量を超えたところで身体の不調を引き起こす」という主張です。「経皮毒」では、一般的な経皮吸収に関する研究で得られた知見と独自の未検証理論を合体させ、「化学物質と経皮毒」の恐怖を余すところなく伝えています。詳しくは以下のエントリをご覧いただければ思います。この理論は特に科学的根拠はないので学術論文等では発表されておらず、一般書籍や講演会で一般人を怯えさせるのにのみ使われています。
Gazing at the Celestial Blue
日本石鹸洗剤工業会
布ナプキンから広がるディープな世界。エコとダイオキシンと経皮毒, うさうさメモ より再録
貼付剤という、皮膚に貼って全身に効く薬があるように、皮膚にも吸収作用があるのは事実です(経皮吸収)。しかし、吸収されたものは、ふつうに代謝・排泄されます(貼付剤の研究開発では、当然試験されています)。
「経皮吸収は、初回通過効果を避けられるから、毒性が出やすい」という話もあります。経皮吸収で初回通過効果が避けられるのは確かにそうです。でも、初回通過効果が薬物代謝のすべてではありません。医薬品で初回通過効果が問題となるのは、口から薬が入ってまず肝臓を通るので、そこで代謝されてしまって(=初回通過効果)必要なところに届く薬の量が減ってしまう、ということろにあります*3。初回通過効果をくぐり抜けた薬も、最終的には代謝・排泄されます。経皮的に体内に入った物質も同じです*4。
経皮毒の話では、どうも「初回通過効果を受けない」ということが、長期間毒性が続くことの誇張に使われているようです。実際には、舌下・注射・座薬など、初回通過効果を回避させる投与方法は他にもいろいろあり、経皮投与はそこまで特別なものではありません。また、貼付剤の長所として「剥がすことでただちに投与中止できる」ということが挙げられています。もし経皮吸収だと全然代謝・排泄されないなら、剥がしても薬効はずっと続くことになりますが、そんなことはないのです。
また、以下の文献を見れば(確かに界面活性剤は皮膚の透過性を上げると言われているものの)、本来バリア機能を有している皮膚に薬剤を通過させるのは、なかなかの苦労があり、ちょっと洗剤の中に入れただけでじゃんじゃん入っちゃうものではないことがわかります。
- 薬物の皮膚透過性と経皮吸収型製剤 角層バリア克服の歴史, 杉野雅浩ら, 2009
なんにせよ、もっとも重要なのは、「経皮毒」の現象が、2005年に言われてから10年経っても、一向に実証されていない、ということです*5。
シャンプーの「経皮毒」はなぜ「子宮に溜まる」?
「ケミカルナプキン」の「経皮毒」も子宮に溜まると言われています。これはまだ近いので分かるような気もしますが(膀胱でもいいと思うけど…)、なぜ、シャンプー→子宮なのでしょうか?
実は、二冊の経皮毒本では、経皮毒は「子宮に溜まる」とはとくに書かれていません。「皮下に残留する」とか「少しずつ体内に蓄積されて」とかです。そのかわり、シャンプー等に含まれる環境ホルモン物質が子宮に影響を与えて様々な婦人病が引き起こされるというストーリーが語られています。
シャンプーが子宮内膜症を発生させる因果関係については、合成界面活性剤が水道水中の塩素と反応し、その生成化合物としてダイオキシンが発生するので、頭皮などから吸収されてエストロゲンの働きを撹乱していると考えられます。
「女性を悩ませる経皮毒」池川明, p57
ダイオキシンは塩素を含む化合物を不完全燃焼させた時などには家庭でも発生しますが、水道水に界面活性剤を溶かした程度で生成するというのは驚きの理論です。
ともあれ、経皮吸収された薬が皮膚に溜まって、それがすぐにはわからないけど長期間影響する、というストーリーには、「微量でも大きな作用をもたらす」という要素が必要なので、環境ホルモンはうってつけと言えます。池川氏の本は、女性向けだからか、特に「環境ホルモン」に焦点を当てた内容になっています。
環境ホルモンやダイオキシン類については、1990年代に大きく問題となったものの、その後の研究により、当初に言われた程の危険性はないと考えられるようになってきて、今ではあまり話題になることはなくなっています*6。環境ホルモンの話から、「婦人病を起こしたり、胎児に影響する」というところだけが強く残り、「毒が子宮に溜まる」という感じになったのかもしれません。
また、「髪と子宮」の神秘的なつながり、というのもあるかもしれません。フォロワーさんに教えていただいたのですが、羊水シャンプーの話をする人が、「子宮筋腫に髪の毛が混じっていた」という話をしていたとか。確かに「子宮筋腫 髪の毛」で検索すると、そのような話が出てきます。「子宮筋腫に髪の毛が混ざっていて、シャンプーの香りのドロリとした液体とともに出てくる…」。
実はこれ、シャンプーの部分以外は、「皮様嚢腫」という良性の腫瘍の一種では、普通にありえる話だそうです。卵の元となる細胞からできた腫瘍で、体の中に存在するすべての成分が存在する可能性がありますが、多いのは脂肪、髪の毛、歯、皮膚や肺に似た細胞などです。また、未受精(というか、卵になる前)の細胞からできるもので、性経験がなくてもできるようです。
皮様嚢腫については、池川氏の経皮読本でも解説されているのですが、「ホルモンバランスの乱れから起こる婦人病」として他の卵巣のう腫と一緒に一般的な内容が紹介されているだけで、シャンプーとの関連や、まして毛母細胞が移動し…などのような話は出てきません。
しかし、「経皮毒」の解説サイトでは、この皮様嚢腫の原因はシャンプーの毒だ…と書いてあったりします。さらに、「毛母細胞が血管を通じて子宮にいき、そこで育ったために毛玉ができる」などの話も見つけました。
子宮から髪の毛…というエピソードのインパクトも大きいですし、「子宮と髪につながりがある」というのは「女体の神秘」好きにはうけがよさそうなので、こういったエピソードとともに、「経皮毒」は子宮に溜まることになっていったのかもしれません。
でもやはり、「シャンプーの毒が子宮に溜まる」一番の理由は、「女性を脅す」のがこの手の「商売」にとってはたいへん有効であることではないかと思います。妊娠、出産に関係する話は女性にとって最大の脅しになりうるのです。特に、シャンプーや洗剤などは女性をターゲットとしたマーケティングがされることが多いため、女性性を脅すのは「有効」なのだと思います。
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1999年版の「買ってはいけない」にもシャンプーの「危険性」は書かれています。実はこのころは「羊水シャンプー」ではありませんでした。「メリット シャンプー&リンス」について、以下のように書かれていたのです。
頭皮や毛根まで“毒物”が浸透して、さらに体内に蓄積されていく。合成洗剤シャンプーは男性の精子が少なくなった原因にもあげられている。
1999年ですから、まさに「環境ホルモン」の時代。このころ、シャンプーは「男性の精子」と結びついていたのです*7。この話は浸透しなかったようですが*8。
「よいシャンプー」を選ぶために
「羊水シャンプー」や「経皮毒」を信じなかったとしても、シャンプー選びは時に困難です。かなり安価な普及品から、高額なサロン専売品、オーガニックな自然派まで、バリエーションは相当ありますし、髪や頭皮のコンディションに影響が大きいことは間違いありません。そして、安価な製品でも、成分表を見ると、驚くほど複雑な組成です*9。
大きな影響力のあるアットコスメなどでも、シャンプーについては「成分がよい」という書かれ方をしていることがあります。シャンプーの成分の「良し悪し」については、ずいぶん俗説が出回っていると感じます。うさじまは化学や界面活性剤にそこまで詳しくないので、これらの俗説がどこまで妥当なのか、そして現在市販されているシャンプーの成分にどこまで「良し悪し」があるのか、よくわからなかったります。
そんな中、「理科の探検2015年春号」の「シャンプーにまつわる都市伝説」は興味深く読みました。
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選択肢が多いことは悪いこととは思いません。安価な製品でも普通に使える上に、石けんが体に合うから石けんシャンプーがいいとか、ハーブの香りが好きだからオーガニック一択だとか、憧れの女性タレントの使ってるブランドの高級シャンプー使いたいとか、いろいろな商品が揃っていて個人の好みに応じて選べることは、日本の素晴らしさだと思います。
しかし、自分のところの製品を選んでもらうために根拠なく他社製品をdisる、そしてそのために消費者を根拠なく脅す、といったことはフェアではありませんし、脅し情報はひとり歩きして結局私たちの暮らしを貧しい物にしてしまいます。「ケミカルシャンプー」を避けて、オーガニックな高級シャンプーを使おうとすればお金がかかってしまいますし、石けんシャンプーでは髪の毛がキシキシになってしまうという人もいます*10。安価でよいものが使えるのに、根拠のない脅しによって躊躇する、使えくなる。そんなことないよね、と思っていても、なんとなく気になってしまう…。「羊水シャンプー」をはじめとしたシャンプー都市伝説は、マーケティング目的であれ、悪意であれ、一度一人歩きを始めた「伝説」が私たちの自由を奪おうとする例になってしまっていると思います。
*1:竹内・稲津本では「子宮内膜症にシャンプーが関与?」となっています
*2:高校の家庭科教師に教えられて信じていた黒歴史がありますw
*4:体内に入った後の代謝・排泄のされやすさは物質によって大きく異なります。シャンプーは「化粧品」または「医薬部外品」に分類され、使用される原料は安全性試験を行ったものです。体内でガチで分解されずに残るような物質は、現在シャンプー等には配合されません
*5:貼付剤というのが近年注目の剤型で、皮膚から吸収された薬物の動態について日々研究されているにもかかわらず…です。
*6:というか、これらの本が出版された2000年代なかばには、すでにかなりトーンダウンしていたと思いますが。
*7:昔は、今よりも「インポになる」などの男性性への脅しにパワーがあった気がします。
*8:今では「経皮毒」解説サイトでは「男性の場合は前立腺に溜まる」とされていることも…。
*9:処方の組み合わせによって膨大な可能性が生まれ、試験が困難になると思われます。よくこんな複雑なものを(安く)開発できるなあと思ってしまいます。
*10:うさじまもそうです…。