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「ドラマ性があれば,それはゲームとして成り立つ」――代替現実ゲームってなに?から始まったARG研究会をレポート
聞き慣れない言葉かもしれないが,代替現実ゲーム(以下,ARG)とは,とても大雑把に言ってしまえば“実在の現実世界を組み込んだ”,あるいは“虚構と現実を織り交ぜた”ゲームのことを指す。詳しくは,当サイトで以前掲載されていた奥谷氏の連載記事を参照してほしいが,ARGは2001年頃から北米で本格的に立ち上がり始め,最近では,ハリウッド映画のプロモーション手法として大きな注目を集めるなど,ここ数年で急激に盛り上がりつつあるエンターテイメント分野である。
今回のセミナーは,そうしたARGの現状や北米/日本における具体的な事例を紹介しながら,ARGの(主に国内における)可能性を討議しようという内容だ。講演者としては,ARGを研究/調査している慶應義塾大学の武山政直教授,ARGをテーマにした児童書「サーティーナイン・クルーズ」の出版を手がけたメディアファクトリーの三原飛雄馬氏,ゲームなどの企画プロダクションでARGの制作/運営の実績があるオフィス新大陸の坂本犬之介氏らが登壇。さらに後半のパネルディスカッションでは,「蓬莱学園」というPBM(Play by mail:手紙をやり取りしながら進めるゲーム)を主催していた小説家の新城カズマ氏なども参加し,ARGについての様々な発表/議論が取り交わされた。
ARGという新ジャンル
Web 2.0時代のリアリティ・ゲーム
「メディア横断型の物語手法」として見るARG
これは端的に言えば,従来型の物語手法を考えたとき,それが小説や映画,ゲーム,あるいは演劇などであっても,基本的には物語を「パッケージ化」し,その枠組みの中で伝えるという手法が一般的であったのに対して,ARGは,現実の世界をも巻き込んだ“トランス型メディア”としての性質が色濃いという話である。
例えば,小説はあくまで「本」というメディア(=フレーム)の中のお話だし,映画はフィルムの中の,ゲームはゲーム(プログラムメディア)という枠組みの中で完結しているもので,現実とは完全に切り離された世界の話として,受け手に届けられる。小説の中で殺人事件が起こっても,それはあくまで「小説の中での話」であり,読み手は,それを踏まえたうえで小説の中の物語を楽しむ。
つまり,そうしたメディアにおいて“物語への没入感”を促す要素とは,プロットの構成にしろ演出技法にしろ,あくまで「その枠の中(架空世界の中)で仕掛けている要素」に過ぎないと言えるわけだが,ARGの面白いところは,電話や郵便物,メールなど実在のメディアやツールを絡める(より正確に言えば,人が現実感を感じるであろうメディアやツールを絡める)ことで,没入へ至るためのフックを架空世界の外へも広げ,それによってよりダイレクトな“リアリティ”を演出している点だ……といった話である。
具体例として,氏は映画「A.I.」における手法などを挙げていたのだが,ARG的手法の効果/効用については,上に挙げた奥谷氏の連載中にある「ある夜,受話器を取ると,女性が泣き叫んで……」という体験談からもうかがい知ることができる。いや,嘘か誠か分からないような電話が突然掛かってきたら,普通はびっくりしてしまう(時と場合によっては迷惑でさえある)だろうし,プレイヤーが感じる緊迫感たるや,既存の映画や小説の比でないことも想像に難くない。ARGが“現実浸食型ゲーム”あるいは“代替現実ゲーム”と言われるゆえんだろう。
武山氏は,新聞や電話などを通じてフィクションの情報をプレイヤーに届けることで,実在のことであるように錯覚させる点……すなわち“実在するように見える証拠”を織り交ぜる行為が,ARG的手法の大きな特徴の一つだと指摘する。
ビジネスとしてみるARGの可能性
氏の講演の要点をまとめると,要は北米を中心にARGがビジネス的なムーブメントを起こしており,これまでに250タイトル,常時10タイトルほどが映画やドラマ,ゲームのプロモーションなどで展開されているのだという。
先ほど紹介した映画「A.I.」の「The Beast」は約300万人のプレイヤーが,Xbox 360本体のキャンペーンとして行われたARG「HEX168」に至っては,なんと650万人がなんらかの形で参加したというから驚きだ。
ちなみに映画やドラマ,ゲームのプロモーションとして展開されるARGは,基本的にはWebを中心に展開されるものが多いようで,「低コストで強い関心を得られる広告手法」として,広告業界に注目されているようだ。数値の裏付けや効果測定は,サイトや用意したコンテンツ(動画など)へのアクセス数で計られるのだという。効果を数値化しやすいことも,現代のニーズに合っているのだろう。
個人的に興味深かったのは,三原氏が一通りの紹介を終えた後の質疑応答だ。質問には,現実の媒体やツールに“真実を装って”フィクションの情報を載せる行為を指して,「ゲームであることを伝えない手法には,法的な問題があるのでは?」「成功事例よりも,失敗事例も聞いてみたい」など,ビジネスの現場で戦う業界人らしいコメントが寄せられていたのが印象的であった。
それに対して三原氏は,「法律的な問題は確かにある」としながらも,「北米では,ARG自体の認知が広まったので,最近ではゲームであることを隠さないケースも増えた」と,北米での事情を紹介していた。
三原氏は最後に,「我々メディアファクトリーは,過去に当時はまだマイナーなジャンルだったトレーディングカードゲームと,有名な『ポケットモンスター』を組み合わせた,『ポケモントレーディングカードゲーム』で大きな成功を収めた成功体験があります。ARGも,日本に合せた形があるのではないか。他社に先駆けて何かできないかと考えているところです」とコメントし,講演を締めくくった。
テーブルトークRPG的手法を盛り込んだ「RYOMA:the Secret Story」
ちなみにこの「RYOMA:the Secret Story」は,YouTube上に誘拐現場(?)と思わしき動画がアップされ,それを見たフリーのジャーナリストが調査する……という設定のARGである。上記の動画には,さまざまな謎が散りばめられているほか,ゲームのギミックとして,ジャーナリストのBlogが実際に公開/更新されていくなど,Web上や実在の場所を絡めながらストーリーが進んでいくという点が大きな特徴だ。
また本作には,かなり手の込んた“NPC”を用意したらしく,坂本氏曰く「テーブルトークRPGの手法を盛り込んだ」のだとのことであった。というのも,NPCとはいっても,これは運営側の人間が演じているキャラクターで,こうしたNPCとメールや掲示板を通してのやり取りを行いながら,ゲームが進められていったそうだ。
坂本氏は,「プレイヤーとゲームマスターの掛け合いでゲームが展開していく方向性を志向した」というが,プレイヤーとの掛け合いは,それだけ運営側への負担にもなったようで,かなり大変な作業になったらしい。とはいえ,「掛け合いによって生まれる予想外の展開や,独特のライブ感は普通のゲームでは味わえない要素だったと思う」と語るなど,相応の手応えもまた感じていたようであった。
ただ一方で坂本氏は,ARGの課題として,現実世界を舞台にすることで,人身事故が発生するかもしれないなど,リスクコントロールがとても難しくなる点や,プレイヤーの反応が予想できないので,ゲームの進行自体の調整も難しい点などを指摘。ビジネスとして展開するには,上記の法的な対応も含めていろいろな課題もあるようだ。
多少余談気味の話になるが,運営側の人間がNPCを演じるという取り組みは,オンラインゲーム界隈でも割と見られるやり方の一つではある。しかし,数千〜数万人単位の規模で運営されるMMORPGなどでは,ひとつのイベントに参加するプレイヤー数もかなりの規模におよぶことを想定しなければならず,個々への掛け合いで展開を変えていくというやり方を採るのはなかなか難しい。結果,どうしても規定のシナリオに沿ったイベントにならざるを得ないため,先に挙げた「予想外の展開」や,「独特のライブ感」への手応えは期待できない。
坂本氏が挙げていたリスクコントロールやゲームの進行調整の話からもうかがえるように,ARGもイベントの規模が拡大するにつれて,同じジレンマに陥る可能性は否めず,負荷分散を盛り込んだイベント運営など,新しいイベントのあり方を今の技術でどう実現していくかといった部分で,現在のオンラインゲームとの接点が現れる可能性があるのかもしれない。
「ドラマ性があれば,それはゲーム(遊び)として成り立つ」――ARGの定義とはなんだろう?
一通りの講演が終わった後に,国内でARG的な事業を行っている/ARGに詳しいパネラー6人によるパネルディスカッションが行われた。パネラーには,先ほど講演をした武山氏と三原氏に加えて,小説家の新城カズマ氏,オフィス新大陸の双六屋カゲゾウ氏,RUSH JAPANの安福久哲氏,イーピン企画の城島和加乃氏らが参加。それぞれの視点から「ARGとはなにか」「ARGの可能性」について議論が行われた。
さて,そもそも現時点ではARG自体の定義が曖昧なこともあってか,パネルディスカッションの内容自体はやや抽象的な話が多かった印象。またARGと一口にいっても,それぞれで微妙に違う捉え方をしている雰囲気で,ARGがまだまだ未開拓の分野なのだと感じさせられた議論でもあった(悪い意味ではない)。
曰く,「僕は蓬莱学園をやった時から数えて,20年近くずっと物語とはなんだろう? ゲームとはなんだろう? とぐりぐり考えてきました」「今この場にいるのは,昔は技術が追いついてなくて出来なかったことを,今なら可能なのではないかと思ったからです」とのことで,いろいろ示唆に富んだ発言が飛び出した。
新城氏の話の中でとくに面白かったのは,「ARGに必要な要素を考えると,別に物語は要らないんじゃないか。ドラマ性があれば,それはゲーム(遊び)として成り立つと思う」と,ARGの定義について切り込んでいた点だろう。
新城氏は,北米での事例紹介などが主に映画やドラマのプロモーションに寄ったもの(=世界観の拡張)であったためか,ARG=物語手法という話には若干違和感を感じていた様子で,「現実世界を絡めることの面白さと,トランスメディア的云々は別で考えるべきでは?」と指摘したのだ。この視点は,物語というものについて長年考えてきた小説家の新城氏らしい。
ちなみに氏のこの問題意識は,実はARGに限らず,自らの専門分野である小説についても同様に感じている点らしく,新城氏が自身のサイトで掲載した賀東招二氏(代表作:フルメタル・パニック)との対談の中で,小説家二人が「物語って必要なのだろうか?」と頭を悩ませている様子は,実に興味深いものがある。
感情移入するための装置,仕組みが世の中に溢れている今,新城氏は「物語を通しての体験,物語を通しての感動というものは,一体なんだろう?」と,疑問を抱いているわけだ。
ちなみに言うまでもなくコンピュータゲームは,近年誕生した体験型メディアの代表例であり,物語に頼らず“ドラマ性”を感じられる仕組みの一つである。しかしゲームはゲームで,より大衆化を目指すにあたって,不確定なゲーム性による感動(敵に打ち勝つ,クリアするなど)だけではなく,物語性を積極的に取り込んできたという流れ(RPGに限らず,最近の大作FPSなどもその傾向が強くなっている)も一部であるところは,なんとも皮肉な話なのかもしれないが。
――話が逸れたが,さらに新城氏は,蓬莱学園の経験を踏まえて,コミュニティゲームについても言及し,「僕の経験則上,ゲームに積極的に参加するのは20%程度。いわゆる“優秀なプレイヤー”に至っては5%に満たない」などとコメント。
また,「大多数の人は,参加している人を見て楽しんでいる。そうした人をもっと楽しませる工夫は必要かもしれない」「大規模参加型のゲームをなぜ遊ぶのかというと,僕は,将来の同窓会のネタを作るためじゃないか(意識的あるいは無意識的に)って思うことがある」などなど,オンラインゲームを含めたコミュニティ全般に通じる鋭い意見を随所に散りばめていた点も,筆者としては非常に印象的であった。
ともあれ,ARGについてのセミナーとしては,これが国内初(大規模な例としては)となる今回のイベント。5時間を超えるがっつりとした内容であったが,いくつかの興味深い視点はあったように思える。ARGの定義がまだ定まらず,またARGが普及するためのハードルもいくつかあるとはいえ,より面白いゲーム,より面白いエンターテイメントを追い求める意味では,こうした方向性もありなのかもしれない。
コンピューターゲーム業界も,グラフィックスの進化やAI/物理演算の研究,仮想空間の表現といった方向でリアリティを追求してきた流れがあるが,ゲームにおける真の「リアリティ」とは何か? WiiやNatalなどといった体感型ゲームの行く末と合せて考えてみると,なかなか興味深いものがあるだろう。今後の発展に期待したい。
■関連サイト:
ARG情報局
散歩男爵 Baron de Flaneur(新城カズマ氏のBlog)
株式会社メディアファクトリー
オフィス新大陸
宝探し専門サイト【赤い鳥】
E-Pin企画ミステリーナイト
■関連書籍:
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