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問 題 の所 在
平成 十 五年 十 二月
﹃心 王 經 ﹄ の 諸 本 に つ い て
印度 學佛 教學 研 究第 五 十 二巻第 一号
一
伊
吹
敦
こう し た 状 況 の中 で︑ まず 必 要 な の は︑ そ れ ら の文 獻 のテ
キ スト を定 め る こと であ る が︑ そ のた め に は 現存 諸 寫 本 の相
定 衆 經 目録 ﹄ (
六九五年 ) に列 名 さ れ る な ど︑ 一時 ︑非 常 に流
爲心王菩薩説頭陀經﹄ (
以下 ︑ ﹃心王經﹄と略 稱) は ︑ ﹃大 周 刊
る︒現 存 諸 本 の本文 を諸 文 献 に 見 ら れ る引 用 と 比 較 對照 す る
は ︑ 場合 に よ って は︑ そ れ に 止 ま ら な い意 義 を持 つ場合 も あ
が含まれ ていること は︑既に指摘 した通 り であ る)︒こ
(う
2)
し た研 究
い であ ろ う
互 關 係 を 明 ら か にす る こと が 不 可 鉄 であ る こと は言 を俟 た な
布 し た こと が 窺 い知 ら れ る︒ 特 に 近年 ︑ ﹃心 王經 ﹄ に ソグ ド
敦 煙 文 書 に よ って初 め て内 容 が 明 ら か にな った 僞 經 ︑ ﹃佛
語 譯 が存 在 す る こと や ︑慧 均 の ﹃大乗 四論 玄義 ﹄︑李善 の ﹃文
こと で︑ ﹃心 王經 ﹄ の成 立 や 受 容 に關 す る新 た な 知 見 が得 ら
(こ の點 で方 廣 錫 氏 が 出 版 し た テ キ ス ト に多 く の問 題(1)
選 注 ﹄︑初 期 の輝 宗 文 献 な ど に多 く の引 用 が見 ら れ る こと ︑恵
れ る可 能 性 も あ る か ら で あ る︒
そ こ で︑ 以 下 に お い て は︑ 先 ず ︑ 現 存 諸 本閒 の關係 を解 明
辮 に よ る註 繹 (
以下︑﹃心王經註﹄と略構 )と 初 期暉 宗 文 献 と の
し︑ しか る後 に︑ 現存 諸本 と 諸 文 獻 に お け る引 用 と の比 較 検
類 似 性 な ど が 次 々 に明 ら か に さ れ ︑ ﹃心 王經 ﹄ が 三 論 宗 や輝
宗 に與 え た 影 響 や ︑﹃心 王 經 ﹄と そ れ ら諸 宗 と の闕 係 な ど︑中
討 を行 な う こと にし た い︒
現 存 諸 本 相 互 の關 係
1印附註本相 互の關係
現 存 す る ﹃心 王經 ﹄ の諸 本 に は 以下 のよ う な も のがあ る︒
二
國 佛 教 史 に おけ る ﹃心 王 經 ﹄ の意 義 が 注 目 さ れ る よ う に な っ
てき て い るが ︑ こう し た 中 で方 廣 鋸 氏 に よ って︑ 天津 藝 術博
物 館 や 北 京 圖書 館 所 藏 の敦 徨 文 書 中 よ り ︑ ﹃心 王 經 ﹄ や ﹃心
王 經 註 ﹄ の完 本 が新 た に獲 見 さ れ た こと は︑ そ う し た 研 究 に
大 いに 資 す る も の であ る と言 え る ︒
180
a.漢 文 原 典
1 . 經 文 のみ
尾完 備 )
天津藝術博物館本 ﹁
佛 爲 心 王菩 薩 説 投 陀 經 ﹂ (
首
五陰山室
五陰山
スタ イ ン三 五 三 號 (
冒 頭 と末 尾 を 鉄 く 断 簡 )
(
﹃心 王 經 註 ﹄)
b . ソ グ ド語 譯
H .恵 辮 附 註本
a. スタ イ ン 二 四七 四 號 ﹁
佛 爲 心 王菩 薩 説 投 陀 經 巻 上
﹁
佛 爲 心 王 菩薩 説 投 陀 經 巻 上
室 寺 恵 辮 輝師 注 ﹂ (
首部 のみ ︑註 雙 行 )
b . ペリ オ ニ〇 五 二號
寺恵辮?師注﹂ (
首 部 のみ︑ 述 べ書 き)
c. 北 京 圖 書 館 本 新 一五 六 九 號 ﹁
佛爲 心 王 菩 薩 説 投 陀 經 巻 上
五陰山空寺 恵辯
五陰 山空 寺 恵 辮 暉 師 注 ﹂ (
首 尾完 備 ︑ 註 隻 行 )
d.三井文庫本 ﹁
佛 爲 心 王菩 薩 説 投陀 經 巻 上
輝師注﹂ (
首尾完備︑註雙行)
こ れ ら の う ち ︑ 先 ず 明 ら か に す べ き は ︑ 同 一祖 本 に基 づ く
は ず の附 註 本 相 互 の 關 係 で あ る が ︑ こ れ ら が 次 の 二 系 統 に 分
け ら れ る こと は ︑方廣 錫 氏 の校 訂 テキ スト に附 さ れ た校 異 を
見 れ ば ︑ 一見 し て 明 ら か と な る ︒
A . ス タ イ ンニ 四七 四號 ・ペリ オ ニ〇 五 二號
B .北 京 圖 書 館 本 新 一五 六 九 號・三 井 文 庫 本
そ こ で 問 題 と な る の は ︑ 各 系 統 の中 で は ︑ ど ち ら の寫 本 が
古 い形 を 傳 え て い る か と い う こ と で あ る が ︑ A 系 統 の附 註 本
吹)
の間 に 見 ら れ る 相 違 點 に 關 し て 他 本 と の 比 較 を 行 な う と ︑
﹃心 王 經 ﹄の諸 本 に つい て (
伊
號 ︑ 三 井 文 庫 本 ︑ 天 津藝 術 博 物 館 本 の三本 の聞 に相 違 は 全 く
a.當 該 部 分 に關 し て は ︑ 他 本 ︑ 即 ち ︑ 北京 圖 書 館 本 新 一五 六 九
認 め る こと が で き な い︒
b . A系 統 の附 註 本 の間 に見 ら れ る相 違 の多 く は︑ 書 寫 の 際 の不
注 意 な ど に よ る も のと 見 な せ る︒
c. スタ イ ン ニ 四七 四號 は ︑ 一部 に ︑﹁
惑 ﹂を ﹁
或 ﹂︑ ﹁
槃 ﹂を ﹁
盤 ﹂︑
﹁
蜜﹂を ﹁
密 ﹂ と 書 く な ど の書 き癖 が 見 られ るが ︑ そ れ ら を 除
けば ︑ ペ リ オ ニ〇 五 二號 よ り も 遙 か に 他本 に近 い︒
な ど の點 を 知 る こ と が で き る ︒ 從 っ て ︑ 大 局 的 に 言 え ば ︑ ス
タ イ ン ニ 四 七 四 號 の 方 が ペ リ オ 二〇 五 二 號 よ り も 共 通 の祖 本
に 近 い︑ つ ま り ︑ よ り 古 い形 態 を 保 っ て い る と 言 え る が ︑ い
く つか の點 で は ︑ む し ろ ペ リ オ ニ 〇 五 二 號 の 方 が 他 本 と 一致
す る の で ︑ ス タ イ ン 二 四 七 四 號 を ペ リ オ ニ 〇 五 二 號 の直 接 の
祖 本 と認 め る こと は で き な いよ う であ る︒
一方 ︑ B 系 統 の 附 註 本 の閒 に 見 ら れ る 相 違 點 に 關 し て ︑ 他
本 と の比 較 を 行 な う と ︑當 該 箇 所 に つ い て は ︑三 井 文 庫 本 と ︑
A系 統 の附 註 本 であ る スタ イ ン ニ四 七 四號 ︑ ペリ オ ニ〇 五 二
號 ︑經 文 のみ の天 津 藝 術 博 物 館 本 の聞 に相違 點 は全 く認 め ら
(以
れ ず ︑ 從 っ て ︑ 三 井 文 庫 本 の 方 が 北 京 圖 書 館 本 新 一五 六 九 號
よ りも 古 い形 を 保 っ て いる と 言 え る ︒
問 題 は ︑ A 系 統 の 諸 本 と B 系 統 の 諸 本 の關 係 で あ る が
下 ︑﹃心 王經 ﹄等 の引 用 は方 氏 の校 訂 テ キ スト の百藪 と行 藪 で示 す )︑
181
﹃心王 經 ﹄の諸 本 に つい て (
伊
吹)
系 統 の諸 本 で は︑ ﹁
中 品 衆 生 求 涅 槃﹂ と す る (
)︒ こ
a. 他 本 で ﹁
中 品 衆 生 ︒ 捨 於 生 死 ︒ 貧 求 涅 槃 ﹂ と す る經 文 を︑ A
れ は︑A系 統 ・B系 統 の諸 本 の いず れ も が︑恵 辯 の註 繹 で ﹁
捨
) と いう のと合 わ な い︒
生 死是 聲聞 行 ︒貧 求涅 槃 是凡 夫行 ︒不捨 不 求是 菩 薩 行也﹂
(
)︒
b . B系 統 の諸 本 が ﹁
永 離 生 死 ﹂ と す る と ころ を ︑ A系 統 の諸 本
では ﹁
求難死 ﹂とする (
本 で は ﹁一心毘 ﹂ コ 心法 ﹂ とす る (
)︒
c. B系 統 の諸 本 が ﹁
正覧﹂ ﹁
正 法 ﹂ と す る と ころ を ︑ A系 統 の諸
と あ った も の が︑ A系 統 の スタ イ ンニ 四 七 四 號 で は︑ 同音 の
d . B 系 統 の諸 本 や經 文 のみ のテ キ スト のよ う に︑ 元 來 ︑ ﹁四 生 ﹂
)︒
﹁
死 生 ﹂に誤 ら れ︑そ れ が 更 に ︑ペ リ オ ニ〇 五 二號 で は ﹁
生死﹂
に改 め ら れ た と 見 做 せ る 例 も あ る (
な ど ︑ A 系 統 の 諸 本 の方 が B 系 統 の 諸 本 よ り も 本 文 に 問 題 が
あ る 場 合 が 遙 か に 多 く ︑ B 系 統 の諸 本 の 方 が ︑ A 系 統 の 諸 本
よ り も古 い テキ ス ト を傳 え る こと は明 ら か で あ る︒ 從 って︑
附 註 本 相 互 の 關 係 と し て は ︑ ︽圖 表 1 ︾ に 掲 げ る よ う な 二 つ
の場合 が考 えら れ る よ う に思 わ れ る︒
2. ﹃
心 王 經 ﹄ 本 文 の變 化
(スタ イ ン三 五 三號 )
(
天 津藝 術 博 物 館 本 )
既 に 觸 れ た よ う に ︑ 現 存 す る ﹃心 王 經 ﹄ の經 文 に は ︑
1 .漢 文 原 典
2 . ソグ ド語 譯
3 . 附 註 本 (ス タ イ ンニ 四 七 四號 ・ペリ オ 二 〇 五 二 號 ・北 京 圖 書
182
館本 新 一五 六 九號 二 二井 文 庫 本 )
(こ の部 分 を 残 す の は︑ 北 京 圖 書 館 本 新 一五 六 九
の 三 種 が 存 在 す る が ︑ ソ グ ド 語 譯 が 存 在 す る 部 分 に つ い て漢
文 原典 と 附註 本
(
︽圖 表 2 ︾ を 参 照 )︑ ソ グ ド 語 譯
號 と 三 井 文 庫本 のみ ) の文 字 の 相 違 を 検 出 し ︑ ソ グ ド 語 譯 が 何
れ に近 いか を調 べ てみ る と
は ︑1
3 ︑1
8 ︑2
7 ︑4
2 ︑4
3 ︑4
5 ︑4
6 ︑4
7 ︑5
5 ︑5
7 ︑6
0 ︑6
1 ︑6
3
な ど の箇 所 にお い て漢 文 原 典 に近 い が︑ 8 ︑ 15 ︑16 ︑ 51 ︑ 56
な ど の箇 所 にお い ては却 っ て附 註 本 に近 く ︑ ソグ ド 語 譯 は漢
文原 典 と 附 註本 の中閒 的 な テ キ スト であ る こと が知 ら れ る︒
漢 文 原 典 と附 註 本 と の關 係 は︑ 常 識 的 に考 え れ ば ︑ 當 然 ︑
前 者 の方 が古 いと 言 う べき であ ろう が︑ 實 際 のと ころ︑ 55 や
56 に見 るよ う な相 違 は︑ 漢 文 原 典 で は頭 陀 行 を行 う 期 日 が 必
慧 明 淨 ︒大 衆 純 熟 ﹂(
2.他本 が ﹁
大衆純熟︒智慧明浄﹂ (
に作 る︒
)
) と す る箇 所 を ﹁
智
) と す る箇 所 に お い て︑ ﹁
何名爲内
3.他本 が ﹁
何 名 爲内 戒 ︒ 毘 観 心 動 ︒ 即 犯 内 戒 ︒ 破 内 頭 陀 ︒ 豊 有
身相︒即犯外戒﹂(
)の 一句 が 括 入 さ れ て いる︒
)と す る箇 所 に お い て︑
)と す る箇 所 を ﹁
佛法僧城﹂
戒﹂ と ﹁
即 犯 外 戒﹂ に當 た る言 葉 を 鋏 く ︒
4 .他 本 が ﹁
佛法寳城﹂(
) に作 る ︒
) と す る箇 所 を ﹁
樹 下 塚間 ﹂ (
5.他本 が ﹁
汝 爲 衆 生 ︒ 巧 問斯 事 ﹂(
﹁
汝 ﹂の後 に ﹁
善 男子 ﹂(
)にな って
) と す る箇 所 を ﹁
即是阿誰﹂
) に當 た る文 字 が ﹁
今﹂ (
) に作 る︒
6.他本 が ﹁
塚間 樹 下 ﹂ (
7 .他 本 で ﹁
令﹂ (
いる ︒
8 .他 本 が ﹁
即是阿難﹂ (
ず しも 明 示 さ れ て いな か った のを ︑ ソグ ド 語 譯︑ 附 註 本 と 進
) に作 る ︒
的 な 改 變 と 認 め ら れ るも のが 存 在 す る︒
1 .漢 文 原 典 で︑ ﹁
何有智者︒不反斯無﹂ (
)︑ ﹁
唯 吾 一人 ︒
せ る が ︑ た だ ︑ 附 註 本 に つ い て は ︑ 次 の よ う に ︑ 一部 に 意 圖
的 に は ︑ 寫 誤 な ど に基 づ い て 自 然 獲 生 的 に 生 じ た も の と 見 做
上 に 見 た よ う な ﹃心 王 經 ﹄ 自 髄 の テ キ ス ト の 變 化 は ︑ 基 本
附 註 本 の成 立 と 恵 辯 の 註 繹
む に つれ て︑ ﹁十 五 日﹂ と 明 示 す る形 に揃 え よ う と し た も の
附註本
三
と見做 す こと が でき る か ら ︑ そ のよ う に考 え て差 し 支 え な い
よう であ る︒從 って︑ 現 存 す る ﹃心 王 經 ﹄ のテ キ ス ト は︑ 大
ソグ ド語 譯 の底本 ←
局 的 に は ︑次 の よ う な形 で傳 え ら れ た と考 えら れ る ︒
漢文原典 ←
た だ し ︑ ソグ ド 語 譯 に は︑ 次 のよ う に他 本 と は異 な る點 が
) と す る箇 所 に お い
見 ら れ ︑ そ の底 本 の系 統 は 軍 純 で は な い ︒
1 .他 本 が ﹁
大乗法杖 ︒鞭分別 心﹂ (
吹)
て︑ ﹁
大 乗 ﹂ に當 た る 言葉 を 鉄 い て い る︒
﹃心 王 經 ﹄の諸 本 に つ い て (
伊
183
《圖 表2》
﹃心 王經 ﹄の諸 本 に つ い て (
伊
吹)
184
2 . 上 に引 いた ﹁
出貧瞋城﹂
︑ また は ﹁
出貧 瞋 癡 城 ﹂ の箇 所 の註 繹
でも︑ ﹁
貧 瞋 癡 ︒ 名 三空 山 ﹂ (
) の よう に ﹁
無 ﹂ と な って いる箇 所 が︑附
瞋 癡 城 ﹂ に作 る附 註 本 獨 特 の テキ ス ト が前 提 に あ る こ と が 分
濁 反其 無 ﹂ (
註本 で は ︑ いず れ も ﹁
源 ﹂ とな って いる ︒ 恐 ら く︑ そ の理 由
) と 言 わ れ て おり ︑ ﹁
出貧
は︑ ﹁
反 無 ﹂ と いう 言 葉 が 餘 り に老 荘 思 想 的 な色 彩 の強 い も の
ら か に な っ た ︒ し か し ︑ 我 々 の 知 り う る ﹃心 王 經 ﹄ の テ キ ス
以 上 に よ っ て ︑ ﹃心 王 經 ﹄ の 現 存 諸 本 の閒 の 關 係 は 略 ば 明
諸 文 獻 の引 用 と 現 存 諸 本 の 關 係
に止 ま れば ︑ こ の事 實 は ︑附 註 本 が他 本 よ り か な り時 代 が降
ト は ︑ こ れ で蓋 き る わ け で は な い ︒ 他 の文 獻 に 引 用 さ れ た 断
四
り更 に遲 れ ると 考 え る べき で あ ろう ︒
恵 辯 の註 繹 の成 立 は ︑ 諸 本 の中 で 最 も 成 立 の新 し い附 註 本 よ
キ ス ト に 對 し て註 繹 を 施 し た と 見 做 す べ き で あ ろ う ︒從 っ て ︑
は な いが ︑常 識 的 に考 え れば ︑ や は り︑ 既 に存 在 し て い たテ
に テ キ スト に 改變 を加 え たと いう可 能 性 を否 定 で き るわ け で
こう し た 事實 が あ る か ら と言 っ て︑恵 辯 が註 繹 を 施 し た際
かる︒
) と す る箇 所
であ る から ︑ そ れ を憚 った の であ ろう ︒
2 . 漢 文 原 典 で︑ ﹁
出貧瞋城︒學無貧瞋道﹂ (
の ﹁
出貧 瞋 城 ﹂と いう 一句 が附 註 本 で は ﹁
出 貧 瞋 癡 城 ﹂と な っ
て い る︒ こ こ に は ﹁
三 毒 ﹂ を列 舉 す る こと で文 章 を整 え よう
と す る 意 圖 を窺 いう る︒
) と す る箇 所 を ︑ 附
3 . 漢文 原 本 が︑ ﹁
其 頭 陀者 ︒從 正 月 十 五 日 ︒ 至 三 月 十 五 ︒從 八 月
十 五 ︒ 至 十 月十 五 ︒ 二時 頭 陀 ﹂ (
註本は︑ ﹁
其 頭 陀 者 ︒從 正 月 十 五 日 ︒ 至 三 月 十 五 日 ︒從 八月 十
五 日 ︒ 至 十 月十 五 日︒ 二時 頭 陀 ﹂ に 改 め て い る︒
ソグ ド 語譯 のテ キ ス ト は︑ いず れ か と 言 え ば ︑ 附 註本 よ り も
る こ と を 示 唆 す る も の と な ろ う ︒ し か し ︑ こ の よ う に︑ そ の
片 的 な テ キ スト が ︑多 數 知 ら れ て い るか ら であ る ︒ いま ︑そ
漢 文 原 典 に 近 い ︒ も し ︑ テ キ ス ト の變 化 が 自 然 發 生 的 な も の
中 に意 圖 的 な改 變 が含 ま れ て い る の であ れ ば ︑ 必 ず し も そ の
② 7 世 紀末 〜8 世紀 初頭 に成 立 し た文 獻 (
3箇所)
b .李 善 ﹃文選 注 ﹄ (
2箇所)
a. 慧 均 ﹃大乗 四論 玄義 ﹄ (
7箇所)
① 7 世 紀 初 頭 〜中 葉 に成 立 し た文 獻 (
9箇所)
れ ら を列 舉・
す れ ば ︑ 以 下 の通 り で あ る ︒
よ う に見 る必 要 はな い こと と な る ︒
こ こ で 注 目 す べ き は ︑ 恵 辯 の註 繹 に は ︑ こ の 附 註 本 の テ キ
スト を 前 提 と し て い る點 が 存 す る と いう こと であ る︒
) と 註 し て お り︑ ﹁
返源 ﹂ と す
1 . 上 に引 いた ﹁
何 有 智 者 ︒ 不 反 斯 無 ﹂ の箇 所 で ﹁
智人反照︒凝
神 守 一︒ 故 言 斯 源 也 ﹂ (
吹)
る 附 註 本 の テキ スト が前 提 に な って いる こ とが 知 られ る︒
﹃心 王 經 ﹄の諸 本 に つい て (
伊
185
吹)
のみは ﹁
波若洲﹂ に作 る (ソグド語譯 は︑ いず れか不 明)︒
は︑上記 の附註本 二種 でも同様 であるが︑天津藝 術博物 館本
﹃心 王 經 ﹄の諸 本 に つ い て (
伊
a. (
傳)弘忍 ﹃
修 心要論﹄ (
1箇所)
現 存 諸 本 の成 立 時 期
を 傳 え る天津 藝 術博 物 館 本 と ほ と ん ど完 全 に 一致 す る と いう
先 ず ︑ ﹃文 選 注 ﹄ の文 章 が ﹃心 王經 ﹄ の最 も古 いテ キ スト
推 定 を す る こと が 可 能 と な る︒
と に よ って︑ ﹃心 王經 ﹄ の成 立 や 流 布 に つい て︑ あ る 程 度 の
こ の よう に ︑他 の文 獻 の引 用 と 現 存 諸 本 を 比 較 對 照 す る こ
五
符 合 す るも の であ る ︒
る が ︑ こう し た傾 向 は︑ 正 し く ︑ 先 に考 え た 諸 本 聞 の關 係 と
代 の降 る引 用 は ︑附 註 本 の テキ スト に 近 いと いう 傾 向 が 窺 え
あ る天 津藝 術 博 物 館 本 や ソ グド 語 譯 と比 較 的 よ く 一致 し︑時
以 上 の諸點 か ら︑ 初 期 の引 用 文 は︑經 文 の み の テキ スト で
b .撰 者 未 詳 ﹃
導 凡趣 聖 心 決 ﹄ (
1 箇所 )
(
3 箇所 )
c.義 寂 ﹃菩薩 戒 義 疏 ﹄ 巻 下 末 (
1箇 所)
③ 8 世 紀 後 半 以降 に成 立 し た文 獻
a. 荊 漢 湛然 ﹃止観 輔 行 傳 弘 決 ﹄ 巻 四之 三 (
1箇所)
b. 同 上 ﹃止観 輔 行 捜 要 記 ﹄ 巻 四 (
1箇 所)
c. 圭 峯宗 密 ﹃
華 嚴 經 行 願 品疏 鈔 ﹄巻 一 (
1箇所)
④ 成 立 時 期 不 明 の文 獻 (
2 箇 所 ︑8 世 紀中 葉 以降 の成 立 か ? )
a. ﹃天 竺 國菩 提 達 摩 輝 師 論 ﹄ (
1箇所)
b . ﹃輝策 問答 ﹄ (
1 箇 所)
こ れ ら の引 用 文 を 今 日 傳 え ら れ て い る 經 文 と 比 較 し て み る
と ︑ そ の閒 に 多 く の 相 違 を 認 め る こ と が で き る が ︑ そ の ほ と
ん ど は ︑著 者 が取 意 によ って︑ あ る い は記 憶 によ って 引 用 を
は︑ 現 存 諸 本 と の關 係 を 窺 う 資 料 と な り う る ︒
行 った め に生 じ たも の と見 做 せ る ︒ ただ ︑ 次 の諸 點 に つ い て
こと は︑ こ のテ キ スト が ﹃文 選 注 ﹄ の著 さ れ た7 世 紀 中 葉 前
後 に流 布 し て いた ﹃心王 經 ﹄ の形 態 を 傳 え る も の で あ る こと
) と す る箇 所 は︑ 天
を 示 す も のと い え る が ︑ こ のよ う に︑ 7 世 紀 中 葉 の時 點 で
1 . ﹃大 乗 四 論 玄 義 ﹄ が ﹁
得 斯妙法﹂ (
る が︑ 北 京 圖書 館 本 新 一五 六九 號 や 三 井 文 庫 本 と い った︑ こ
が︑少 な く と も そ れ をあ ま り遡 ら な い頃 で あ る と は 言 いう る
玄 義 ﹄ であ る か ら︑ そ の成 立 がそ れを 降 る こと は あ り え な い
﹃心 王 經 ﹄ の引 用 で最 も 古 い の は︑ 7 世 紀 初 頭 の ﹃大 乗 四論
ば ︑そ の成 立 は ︑そ れ か ら あ まり 隔 た ら な い頃 と考 え ら れ る︒
津 藝 術 博 物 館 本 や ソグ ド 語 譯 な ど でも 同 様 な 本 文 と な って い
)
﹃心 王 經 ﹄ の テ キ スト に 大 き な 相 違 が 見 ら れ な か った と す れ
(
の部 分 を 存 す る附 註 本 で は ﹁
得 斯 要 法 ﹂ と な って い る︒
2. ﹃
文 選注﹄ が ﹁
飲雜毒 酒﹂ ﹁
云 何 得 悟 ﹂ と す る箇 所
は︑ 天 津 藝 術 博 物 館 本 で も同 様 の本文 と な って い る が︑ 上 記
) と す る箇 所
の附 註 本 二種 は︑ そ れ ぞ れ ﹁
飲離毒酒﹂ ﹁
云何 悟 ﹂ に作 る︒
3 . ﹃天 竺 國 菩 提 達 摩 輝 師 論 ﹄ が ﹁
般若洲﹂ (
186
はず であ り ︑ 6 世 紀 の末 頃 と 見 て大 過 な い であ ろ う ︒
﹃心 王 經 ﹄ のテ キ スト は︑ そ の後 ︑ ソグ ド 語 譯 が 底 本 と し
い った わ け であ る が︑ ソ グ ド語 譯 の謙 譯 時 期 が8 世 紀 前 半 と
た よ う な テ キ ス ト を經 て︑ 附註 本 の よう な も の へと展 開 し て
推 定 でき る こと は︑(
こ3
の)
推 測 と 整 合 性 を持 つ︒
だ と す れ ば ︑ 附 註 本 が 註 繹 の對 象 と し た ﹃心 王經 ﹄ の テキ
スト は︑8 世紀 前 半 か ら 中 葉 に か け て流 布 し た も のと 見 る べ
き であ り ︑ 恵 辯 が註 繹 を 著 した 時 期 も ︑ ほぼ ︑ そ の頃 と 考 え
る こ と が で き る︒ 從 って︑ 註 繹 者 ︑恵 辯 は 明 ら か に 輝 宗 が確
立 を見 た後 の人 であ る か ら︑彼
(4
を)
輝 宗 系 の人 と 見 た 私 見 は支
れ る ﹃天 竺 國 菩 提 達 摩 禪 師 論 ﹄ の當 該部 分 の成 立 も ︑ そ れ以
持 し て よ い こと にな ろ う︒ また ︑ 附註 本 と共 通 す る 點 の見 ら
降 と考 え てよ い こと にな る︒
む すび
以 上 ︑現 存 す る數 種 の テ キ スト と 諸文 獻 に 見 ら れ る引 用 と
に基 づ い て ﹃心 王 經 ﹄ のテ キ ス ト の變 遷 を 辿 っ てき た ︒ そ の
結 果 ︑ 次 に掲 げ る よう な 諸 點 を明 ら か にす る こと が で き た︒
1.附註本 の中 では︑三井文庫本が最も古 い形態 を傳 え︑北京圖
書館本新 一五六九號が これ に纏ぎ︑ スタイ ンニ四七四號 やペ
リオ 二〇五 二號 のテキスト は比較的新 し い︒
吹)
2 .附註本 が註繹 の對象と した ﹃心王經﹄ のテキストは︑經文 の
﹃心 王 經 ﹄の諸 本 に つ い て (
伊
み の天 津 藝 術 博 物 館 本 や ソ グ ド 語譯 と比 較 す ると 本 文 に 展 開
が見 ら れ るた め ︑恵 辯 の註 繹 が 著 さ れ た の は︑ ﹃
心 王 經 ﹄ の流
布 の歴 史 の中 でも ︑ 比 較 的後 期 に属 す ると考 え ら れ る ︒
3 .7 世 紀 中 葉 の ﹃文 選 注 ﹄ の引 用 が 天津 藝 術博 物 館 本 に 非 常 に
の成 立 を 少 し遡 る 6 世 紀末 頃 ︑ ソグ ド語 譯 の時 期 は8 世 紀 前
近 い こと か ら判 断 し て ︑ ﹃心 王 經 ﹄ の成 立 は ﹃
大乗 四論玄義﹄
と が でき る︒
半 ︑ 附 註 本 の成 立 は8 世 紀 の前 半 か ら中 葉 あ た り と考 え る こ
以 上 に よ っ て ︑ ﹃心 王 經 ﹄ や ﹃心 王 經 註 ﹄ の諸 本 の 關 係 は
ほば 明 ら か に な った か ら ︑ そ れ を 基 礎 と し て ︑ そ れ ら の テ キ
スト を定 め る 必要 が あ る が ︑ そ れ に つ いて は︑紙 幅 の關 係 も
あ り ︑別 の機會 を期 す る こ と にし た い︒
一輯 )
﹄ 集 髄 書 評 之 二 ︑﹁
暉 文 化 研 究 所 紀 要﹂二 一
二︑ 一九 九 七 年 )
拙稿 ﹁
佛 爲 心 王 菩 薩 説 頭 陀 經 ﹂(
方廣 鋸 主 編 ﹃
藏 外 佛 教文 獻 (
第
1 方 廣 錫 ﹃藏 外 佛 教 文 獻 第 一輯 ﹄(
宗 教 文 化 出 版社 ︑ 一九 九 五 年 )
2
澤 大學 輝 研 究 所 年 報 ﹂ 四 ︑ 一九 九 三年 )
3 拙稿 ﹁
﹃心 王 經 ﹄に つ い て︱ ソ グ ド語 譯 さ れた 輝 宗 系 僞經 ﹂(﹁
駒
一︑ 一九 九 三 年 )
4 拙 稿 ﹁﹃
心 王經 註 ﹄の成 立 に つ い て﹂(﹁
印 度 學佛 教 學 研 究 ﹂四 二‑
(
東洋大学助教授)
︿
キ ー ワー ド ﹀ ﹃心 王 經 ﹄︑ ﹃
頭 陀 經 ﹄︑﹃心 王經 註 ﹄︑僞 經 ︑ ソグ ド 語
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