日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェー・オスロでありました。被爆者らの代表団が現地を訪れ、授賞式に参加したり、関連イベントで被爆証言をしたりしました。歴史的な受賞を、タイムラインで詳報します。
13日8:00
被団協代表団が帰国 機内で受賞祝うアナウンス
ノーベル平和賞の授賞式のため、ノルウェー・オスロを訪れていた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表団が13日朝、羽田空港に着いた。機内では受賞を祝うアナウンスが流れ、乗客たちから拍手が送られた。
早朝、羽田空港に近づくスカンジナビア航空機内でアナウンスが流れた。「ノーベル平和賞受賞の日本原水爆被害者団体協議会のみなさま、おめでとうございます。生涯をかけて行ってきた貴重な活動に深く感謝し、核兵器も戦争もない平和な世界が1日も早く訪れるよう、心から祈ります」
機内はしばらくの間、乗客たちの温かい拍手に包まれた。
代表委員の田中熙巳さん(92)は「たまたま乗っていた乗客に心を寄せて、頑張ってと励ましてくれた。これはうれしいですよ」と笑顔だった。
12日4:00(オスロ11日20:00)
国営放送で被爆体験語る
ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の被爆者らが、ノルウェー国営放送のトークショーに出演した。原爆投下直後の体験や戦後の苦悩、若者に託す希望など、約1時間にわたり話した。
放送局のスタジオで観客に見守られながら、司会者のインタビューに答えた。現地時間11日午後3時ごろから収録が行われ、テレビとインターネットで同8時から放送された。
長崎で被爆した田中熙巳さん(92)と広島で被爆した児玉三智子さん(86)が自身の体験を証言。児玉さんは、原爆投下直後に父におぶわれて自宅へ帰る途中、自分と同じ年頃の少女から目で助けを求められた記憶について話した。「今でも私の目に突き刺さって悲しい。生涯忘れられない」と語った。
核兵器廃絶をめざす若者の存在もテーマに。長崎で被爆体験を語り継いでいる林田光弘さん(32)が、代表して出演した。活動の中で「自分たちの思いが世界に伝わっているのかと不安になる時がある」と吐露。だが、今回オスロで現地の人から温かい声援を受け、「人と人との信頼関係の中でこそ平和をつくれると再認識した」と話した。
番組の随所で、平和や愛を感じさせる音楽や踊りが披露されたほか、原爆を投下した米軍のB29爆撃機や上空から撮影されたキノコ雲、焼け野原などの映像が流れた。また、欧米を中心とした様々な国の人びとに、核兵器をめぐる世界情勢や未来への希望について尋ねた映像もちりばめられていた。
11日23:00(オスロ11日15:00)
高校生平和大使、オスロ平和研究所長と面会
核廃絶などの運動に取り組み、ノーベル平和賞の授賞式にも参加した「高校生平和大使」が現地時間11日、オスロ国際平和研究所を訪れ、ヘンリック・ウーダル所長に面会した。
高校生4人が英語で自分たちの署名活動などについて紹介。「微力だけど無力じゃない」をモットーに活動していることなどを伝え、折り鶴を手渡した。
ウーダル所長は「思うようにいかないこともあるかもしれないが、みなさんが被爆者の思いを背負って発信を続けることが大切」と話し、「誰かひとりが話し始めないと、人から人に伝えて続ける行動にはつながらない」と活動をたたえた。
11日19:00(オスロ11日11:00)
ノルウェー首相と面会 田中さん「日本政府が後ろ向き、恥ずかしい」
ノーベル平和賞授賞式でメダルを授与された日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員3人が、ノルウェーのストーレ首相と面会し、記者会見に応じた。
ノルウェーは、米英など核保有国が加盟する北大西洋条約機構(NATO)のメンバー。「核の傘」に守られている国だ。ストーレ首相は「NATOメンバーなので核兵器禁止条約に署名、批准できない」としながらも、条約がめざす目的の「強い支持者」だと話した。核保有国が核軍縮の交渉から離れていることを嘆き、交渉に戻るようノルウェー政府としても働きかけていきたいと話した。
式で演説した田中熙巳さん(92)は面会で首相と話し、「国を挙げて核兵器をなくさなきゃいけないという強い決意を思っていることに、強く励まされた」として、オスロに来てから「最大の喜び」と感動をあらわにした。
「日本に帰ってから『NATO国だけどこんなに核兵器廃絶のために努力していこうとしている』と伝えたい」と強調。「日本政府が核兵器廃絶に後ろ向きなのは恥ずかしいという気持ちになった」と話した。
11日19:00(オスロ11日11:00)
IAEA事務局長が演説、被団協の授賞をたたえる
国際原子力機関(IAEA)トップのグロッシ事務局長(63)が11日、オスロで開かれた「ノーベル平和賞フォーラム」で演説し、日本被団協の受賞をたたえた。
アルゼンチン出身のグロッシ氏は冒頭、40年前の出来事に言及。国連の核軍縮・不拡散プログラムで日本を訪れ、ある病院で被爆女性と会ったという。
「何を覚えていますか。何が起きたのですか。何を感じましたか」
矢継ぎ早にそう質問する「世間知らずな若い外交官」だった。女性は何かを言おうとしていたように見えたが、言葉が出てこなかった。
「私はいまでも、涙があふれ、私を見ていた彼女の目を覚えている」。それが一つの原動力となり、「核の番人」といわれるIAEAのトップにまでなった。「被爆者のみなさまの経験から刺激を得て行動し、そのことを話す日がくるとは夢にも思わなかった」
その上でグロッシ氏は受賞について「過去を明らかにし、光を当てること」と表現。「必要な措置を講じなければ、将来どのようなことが起こりうるのか。受賞は、そのことについて強いメッセージを送っている」と語った。
11日03:00(オスロ10日19:00)
核廃絶へ、一歩一歩
きょうからまた、「ノーモア・ヒバクシャ」へ一歩一歩――。日本被団協にノーベル平和賞が授与された直後の10日夜、市民ら数百人がオスロ中心部で「たいまつ行列」を行った。被爆者も参加し、長く、遠い道のりながらも、核廃絶に向けて歩を進める決意を新たにした。
このパレードは毎年行われており、誰でも参加が可能。子どもたちも加わって、たいまつで暖をとりながら「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と訴えた。
これまでに日本被団協を支えてきた被爆者ら131人の写真を、7枚のパネルにして歩く日本人の姿も。元日本被団協事務局員で「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」事務局の栗原淑江さん(77)は「この人たちがあってこそ、受賞につながった。平和賞の受賞を一緒にお祝いしたい」と力を込めた。
10日23:30(オスロ10日15:30)
被爆者ら招き祝賀会、在ノルウェー日本大使館
日本原水爆被害者協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞を受け、在ノルウェー日本大使館は10日、オスロ市内で祝賀レセプションを開催した。別の予定がある代表委員3人以外の日本被団協の代表団らが参加した。
杉山明大使が、岩屋毅外務相のあいさつを代読。「日本政府は核兵器不拡散条約の維持・強化のため、現実的かつ実践的な取り組みを進めてきた」として、「今後も被団協を始めとする被爆者とも連携しつつ、被爆の実相の理解促進を一層強化したい」と述べた。
日本被団協の浜住治郎事務局次長は「先ほどの授賞式の興奮がまだ残っている。受賞が現実だと実感した」と話した。
10日22:05(オスロ10日14:05)
授賞式が終了 核保有国の出欠は
オスロ市庁舎で開かれたノー…
- 【視点】
12月10日は平和の価値を感じる日に、どのような形で被爆体験を残すことができるのかを考える日になると思う。
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