帽子を焦がしたレーシングシャシー ブガッティ・タイプ57 S コルシカ(1) バラバラからの再生
公開 : 2025.02.15 17:45
レーシングシャシーに載ったコルシカの美しいオープンボディ 無敵感を覚えさせる加速力 購入直後にエンジンブロー 丁寧なレストアを経てコンクール・デレガンスで表彰 英編集部が逸話に迫る
もくじ
ー帽子を焦がしたレーシングシャシー
ーモンレリー・サーキットでエンジンブロー
ーオーナーへ無敵感を覚えさせるほどの加速力
ー妻よりブガッティと過ごす時間の方が長かった
ー目標は当時の姿へ可能な限り戻すこと
帽子を焦がしたレーシングシャシー
低く切り取られたカットアウェイ・ドアを開き、ブガッティ・タイプ57 S コルシカのシートへ身体を滑り込ませる。コンクール・デレガンスで表彰された麗しきピアノ・ブラックのボディに、アイボリー・レザーのインテリアが好対照だ。
正面では、時速120マイル(約193km/h)まで振られたスピードメーターが輝く。1937年3月には、ロンドンのカーディーラー、ジャック・バークレー・ショールームで、ロバート・ロプナー氏を魅了したに違いない。
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彼は、このブガッティの初代オーナー。真新しいタイプ57 G レーシングシャシーには、英国のコーチビルダー、コルシカ・コーチワークス社製の4シーター・ツアラーボディが架装されている。
当時31歳だったロバートは、約420kmを一気に北上しようと決めていた。故郷のグレートブリテン島中部、ノース・ヨークシャー州まで自走するつもりだった。
ル・マン・マシンとして戦ったベントレー・スピードシックスなどを所有した彼は、スコットランドへ伸びる幹線道路、グレートノース・ロードで速さを試したかったようだ。ロンドンへ馴染むように被っていた山高帽を、助手席へ置いて。
だが程なくして、焼けるような匂いが鼻を突いた。レーシングカー仕様のアンダーシールドは、フロアを熱くした。転げ落ちた帽子から、煙が登っていたという。
ノース・ヨークシャー州までの道で、ロバートはタイプ57 Sの性能へ感動。自宅へ着くやいなや地図を広げ、妻のドロシー・ロプナー氏と南フランスへの旅行を計画したといわれる。
モンレリー・サーキットでエンジンブロー
約束の5月。ロプナー夫妻は欧州大陸を南下。フランス・パリで妻が買い物に興じている間、ロバートはモンレリー・サーキットへ足を伸ばした。事前連絡は一切していなかったが、その場でテスト走行の許可が出たという。
スーツ姿の彼は、オーバルコースを160km/hで2周し、タイプ57 Sの調子を確かめた。フロントスクリーンを倒した2度目の走行では、約180km/hへ到達。ところが、直後にエンジンブロー。ピットへ戻りボンネットを開くと、溶けたピストンが飛び出ていた。
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これに対する、妻の反応は記録にない。だが、ブガッティはすぐに引き取り、フルリビルドを実施したことは明らかだ。
1938年に、夫妻は再びフランスを南下。風光明媚なコート・ダジュールを周遊している。第二次大戦直前の地中海の景色は、2025年以上にドラマチックに映ったのではないだろうか。
それから約80年後の2020年。筆者はグレートブリテン島中部のスタッフォードシャー州のガレージで、ロプナー夫妻が嗜んだタイプ57 Sへお目にかかった。直列8気筒エンジンとステアリング・ラックが、バラされた状態で作業台に載っていた。
しかし、当時所有していたビル・ターンブル氏は、仕上げる前にこの世を去ってしまった。頼れる職人へ依頼し、素晴らしい姿へ蘇らせたのは、彼の上司だったバンフォード卿。当時の姿が想像できないほどの、変貌ぶりといえる。