メルケル氏のむなしい勝利 独総選挙
ジェニー・ヒルBBCベルリン特派員
ドイツの連邦議会選が終わった日の夜、与党・キリスト教民主同盟(CDU)の党本部に到着したアンゲラ・メルケル氏は疲れ切って、緊張した様子だった。
車から降りると、まずカメラに、次に集まった支持者たちに顔を向け、笑顔を作った。
メルケル首相はこの選挙に勝利するだろうとは分かっていた。しかしメルケル氏が、そしてCDUが願っていたような勝利ではなかった。メルケル政権の下では、保守派にとって最悪の選挙結果となった。約100万人の難民に国の門戸を開いたメルケル氏の決定に対する、審判が出たのかもしれない。
党員たちを前に、メルケル氏は過去4年間が困難なものだったと認めた上で、それでもCDUは目標だった第1政党の座は確保したと呼びかけた。
歓声は少しむなしく響いた。選挙の本当の勝者は「ドイツのための選択肢」(AfD)だったのだから。
街の向こう側では、選挙結果が明らかになるなか、青と白の風船に包まれた部屋で反移民、反EUを掲げる政党の党員たちが歓声を上げていた。初めてブンデスターク、つまり連邦議会で議席を得るだけでなく、メルケル氏率いる保守派のCDUと最大のライバル政党、社会民主党(SPD)に続く第3政党となったのだ。
AfDの共同党首の一人、アレクサンドル・ガウラント氏は自ら議席を得た。勝ち誇った顔で、熱狂する大勢の人たちに向け、AfDがメルケル氏を追い詰めると語った。
「自分たちの国と民族を取り戻す」。第2次世界大戦後のドイツでは異例のスローガンだ。
しかしAfDのあからさまに排外的な選挙運動と、メルケル氏の集会をたびたび台無しにしたやじも、ほぼ例を見ないものだった。勝利を祝うパーティーとなった会場の外では、多くの人にとって衝撃的だった政治的出来事に抗議する反AfDのデモに、警察官たちが目を光らせていた。
ドイツ政治の混沌とした一日が終わった。投票日と同じ日に年に一度のベルリン・マラソンが開催された首都ベルリンにとってもそうだった。
この国の心臓部は分裂の危機と不満を抱えている。マラソン走者たちがゴールする様を見守る観衆の中で、右翼国家主義者たちの台頭に恐怖を覚えているという、ある男性に取材した。
「彼らはヒトラー政権下のナチス党のようだ」と彼は話す。「私は1939年生まれで、戦争孤児でした。私は廃墟の中で育ちましたが、再びこんな状態だ。彼らは犯罪者です。私は常にCDUに投票してきたし、アンゲラ・メルケルに(首相を)やってほしいと思っている」
メルケル氏は今、連立の相手を探さなければならない。AfDが招かれることはない。しかし、メルケル氏は自身の政党内の意見も含めて国民を説得する必要がある。自分が適任者であると。
長く熾烈(しれつ)な選挙戦だった。メルケル氏は選挙に勝ったかもしれないが、勝利の実感は薄いだろう。
この選挙は二つの理由から歴史に残ることになる。メルケル氏は4期目を手にしたが、同氏が戦った総選挙の中で最悪の結果となった。そして右翼国家主義者たちは国政の意思決定者に加わることになった。
他の欧州諸国の政治では当たり前だとみられていても、戦後ドイツでは考え難いこともあった。これからはもう、そうではない。