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取引婚をした彼女は執着神主の穢れなき溺愛を知る
 見た瞬間に息を飲み、優維は麦茶の入った紙コップを取り落とした。
 サングラスをかけたその男は夏にも関わらず黒のスーツをまとっている。

「大丈夫ですか?」
 お茶をもらおうとしていた美穂子は優維の目線を追ってこの場に不似合いな男を見つけた。
 家族連れが猫を見てきゃっきゃとはしゃぐ後ろを、不穏な空気を漂わせながら歩いてくる。

「旦那さんを呼んできますね」
 美穂子はすぐに社務所へ走って行く。
 止める暇などなかった。

 いや、止めてどうするというのか。ひとりで対応などできそうもない。
 だが、千景に対応を頼るなんて、また彼に迷惑をかけてしまう。

 男はずかずかと歩いて優維の前に来ると、サングラスを取った。
 借金取りの男——金融会社社長の杜澤勝弘だった。
 鋭い目に射すくめられ、優維は思わず一歩を下がる。

 落ち着いて、と必死に自分に言い聞かせる。彼はまだなにもしていない。怖いからといって悪者にしてはいけない。
 そう思うのに、どうしても足はすくんでしまう。まるで猫の前の鼠だ。

「息子から聞きましたけどねえ、結婚したそうで、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お祝いのために来たとは思えない。なにが目的なのだろう。
 異変を感じた来場者の一部が優維たちを見てざわめく。ざわめきに誘われるようにしてほかの来場者たちもふたりに注目し始める。
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