東京地裁の林俊之裁判長は3月20日、シリア人4人から出ていた難民認定を求める訴えを、いずれも退けた。
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裁判の原告の一人、ヨセフ・ジュディさんはシリア北部ハサケ県で1984年に生まれた。少数民族として、アサド政権から差別的な境遇に置かれてきたクルド人で、部族長の家系で育った。2012年1月ごろから、シリアで強まった反政権デモに積極的に加わるようになった。参加者をガイドしたり、ビラを配ったりもした。
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この年の4月か5月、地域の中心都市カーミシュリーで行われたデモで、治安部隊がデモ参加者に発砲し、幼い女の子を連れた両親が射殺されるのを目の当たりにした。「アサド政権を倒して、シリアを自由な国にしなければならない」と強く感じるようになった。
ところが7月15日ごろ、治安部隊員らがジュディさんが不在の間に自宅を訪れて母親を殴り、ジュディさんの居所を尋ねた。それを目撃した知人から話を聞かされ、危険を感じて身を隠した。
弟は英国で難民認定
ジュディさんは6人きょうだいの上から3番目。反体制運動に加わった弟も、すでに難民としてイギリスに渡っていた。独力で別の国に行くのは難しいため、自分もブローカーを頼ってイギリスを目指そうとした。
シリアだけでなく中東やアフリカで、外国への土地勘もない人がブローカーに頼るのは、ごく一般的なことだ。
8月20日、同じブローカーを頼ったほかのシリア人2人とともに、ダマスカス空港を立った。ドバイで乗り換え、8月21日に成田空港に着いた。ブローカーの指示で飛行機を乗り継いだが、着いた先はイギリスではなく、フランスだった。
たどり着いた先は日本
このとき、ブローカーはジュディさんのパスポートを持ったまま姿を消した。フランスでの難民申請を希望しなかったジュディさんは、その前の乗り継ぎ地、成田に戻ることになった。8月31日に成田に着き、3人で難民認定を申請した。
最初から日本を目指してきたというよりも、生き延びるために細いつてをたぐってシリアを逃れ、たどり着いた結果が日本だったのだ。
しかし、日本の入管当局は「人道配慮による在留特別許可」は与えたものの、難民とは認めなかった。在留特別許可により収容や追放は免れたものの、1年ごとの更新が必要だ。
入管で難民と認められず提訴
3人と同様に難民と認められなかったシリア南部出身の男性と計4人で2015年3月、処分の無効確認などを求めて、東京地裁に提訴した。その判決が出たのだ。
判決で林裁判長は、ジュディさんが、影響力のある部族長の家系であることや、反政府デモに参加していたことは認めたが、逮捕状や判決文など、反政府活動により政府から迫害を受けたとする「客観的な証拠」がないなどとして、ジュディさんらの請求を退けた。
これは、難民条約を極めて狭く解釈したうえ、シリアの政情に対する認識の欠如がにじみ出た判決といえるだろう。
というのも、40年以上にわたりアサド政権の独裁が続くシリアでは逮捕状に基づかない拘束や拷問、さらには処刑すらも日常的に行われており、人権団体や国連が警鐘を鳴らしている。逮捕状や判決文などを出せという方が、無理があるのだ。
「世界中のシリア難民が難民ではなくなる判決」
判決を受けて会見したジュディさんは「日本の政府と裁判所には敬意を払っている」としたうえで「この判決に従えば、世界中のシリア難民が、難民と認定されないことになる。シリアの状況はどんどん悪くなっている。化学兵器すらも使用された。そこから逃げてきた私の状況を、全く理解してもらえなかったのではないか」と嘆き、控訴する意向を示した。
仲間はすでに出て行った
実は4人の原告のうち、ジュディさんと一緒に日本にたどり着いた2人は、難民認定に後ろ向きな日本での定住を諦め、すでに日本を離れた。欧州で難民認定を受けた家族に合流するためだ。このため、2人に対する判決は「棄却」ではなく「訴えの利益がなくなったための却下」だった。
日本生まれの末娘の将来
一方でジュディさんには、日本を離れられない事情がある。
まず、パスポートを失っているため、難民認定を受けてパスポート代わりとなる「難民旅行許可書」を手にしない限り、国と国の間を移動することができない。
そして、子どもたちの存在だ。
ジュディさんには3人の子がいる。一番下の娘は9ヶ月。日本で生まれた。
ジュディさんは「私にとって一番重要なのは、子どもたちの将来。シリアに出生を届け出ることもできない状況で、娘の国籍はどこなのか。パスポートがなく、この国を離れることもできない。私は日本で生きていくしかない」と話す。
ジュディさんはさいたま市浦和区でカフェを経営し、なんとか生計を立てている。
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日本の難民認定、昨年は20人だけ
シリア人で日本で2017年12月までに難民申請したのは約80人。うち認められたのは12人だった。
この日の判決は、シリアが内戦に転落して以降、難民認定を受けられなかったシリア人に対する初めての司法判断だった。
法務省によると、2017年に日本で難民と認定されたのは、ぜんぶで20人。年間で数千〜数十万人を認定するG7諸国と比べても、桁違いの少なさだ。
原告弁護団の渡邉彰悟弁護士は「日本の難民認定を巡る行政は国際的に見て異常に厳しい。それを司法が何ら是正できないことに、怒りを感じる」と話した。
BuzzFeed Newsではこれまでもシリアに関する記事を報じています。
- がれきの中演奏を続けたシリアの「戦場のピアニスト」を日本に。一人の若者が立ち上がった
- 「この世の地獄」と呼ばれるシリア。戦争はなぜ止まらないのか
- シリアで相次ぐ子どもたちの死。「言葉がない」ユニセフが白紙の声明で抗議
- 戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
- 「日曜まで生きていたい」シリアの少女がTwitterで発信した願い
などもご覧ください。