記事のポイント
- ウォレス線はアジアとオーストラリアを縦断しており、その両側では動物種の分布が全く異なります。
- 研究者たちは150年以上前からこのことを知っていましたが、この違いに関する論文を発表したのはつい最近のことでした。
- 一部の動物種が気候の変化に適応できないのは、大陸の衝突が原因かもしれません。
ウォレス線とは
インドネシアのボルネオ島とスラウェシ島、バリ島とロンボク島の間にある、ウォレス線。“見えない線”とも呼ばれますが、その両側に生息する動物種の違いからすると、架空の線ではないと言えます。イギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスにちなんで命名されたこの線は、確かに動物分布の境界線として機能しているようです。
その境界線の両側にはそれぞれ全く異なる種類の動物が生息しており、地球上の動物相を6つに分類した動物地理区上の区分では、ウォレス線より西側を「東洋区」、東側を「オーストラリア区」と分けられています。
150年以上もの間、科学者たちは「なぜこのような境界線が存在するのか?」「地理的に近接した2つの地域で、動物の個体数がこれほどまでに異なるのはなぜなのか?」を説明できませんでした。
例えば、なぜコアラはオーストラリアに生息しているのに、フィリピンには生息していないのか? あるいは、なぜパプアニューギニアとオーストラリアにはカンガルーがいるのに、マレーシアにはいないのか? また、アジアとオーストラリアの両方で見ることができる楽しい名前の鳥クーカブラ(ワライセミ)のように、その傾向に逆らう動物もいるのはなぜか? これまで、そんな謎に包まれていました。
新しい論文で
その謎が明らかに
ですが、その答えがついに見つかったかもしれません。科学学術雑誌『Science』誌に発表された新しい論文によれば、「数千万年前、プレートテクトニクスの変動が地球の気候に劇的な変動をもたらし、ウォレス線として知られる境界線を生み出した」とされています。「プレートテクトニクス」とは、1960年代後半以降に発展した地球科学の学説。地球の表面がプレートと呼ばれるいくつもの部分に分かれていて、そのプレートが独立して運動することでさまざまな地質現象が起こると考える理論になります。
オーストラリア国立大学とチューリッヒ工科大学の生物学者が言うところには、「ウォレス線は数百万年前にオーストラリアが南極大陸から離れ、北へと漂流し、アジアにぶつかったためにできた」とのこと。
「この衝突によって、現在インドネシアとして知られている火山島が誕生しました」
オーストラリア国立大学のアレックス・スキールズは、プレスリリースでこう語っています。「このインドネシア諸島の誕生が、アジアに生息する動物たちがニューギニアやオーストラリア北部に到達するための足がかりをつくった」というのです。その逆もまた然りです。
ですが調査結果は、アジアからオーストラリアに移動した動物のほうが、オーストラリアからアジアに移動した動物よりもはるかに多いことを示しています。そのため研究者たちは、「ウォレス線の長年の疑問に対する答えは、単に地球が移動したことだけでなく、気候の変化に由来する」と考えているのです。
研究チームは、「オーストラリアが南極大陸から離れたとき、地球規模で劇的な寒冷化と乾燥を引き起こし、各地で大量絶滅に至った」と推測しています。スキールズは次のように説明します。
「オーストラリアが南極大陸から離れたとき、南極大陸を取り囲む深海の海域が広がり、それが現在で言う『南極環流(南極大陸を取り巻くように流れる海流)』の場所となっています。この海流は地球の気候全体を劇的に変化させ、かなり寒い気候になりました」
最新の説によれば、「地球規模で寒冷化が進む中、どういうわけかインドネシアは比較的温暖で湿潤な熱帯の気候を保っていた。その環境にうまく適応していたアジアの動物たちは適応力に優れており、アジアからオーストラリアへも簡単に移動して住み着くことができた」とされています。これに対しスキールズは、次のようにさらなる推測を述べています。
「ですが、オーストラリアの動物たちはそうではありませんでした。彼らは時代とともに、より涼しく、より乾燥した気候の中で進化を遂げてきたのです。そのため、アジアから移動してきた動物数に比べて、熱帯の島々で定住することに成功した動物数が少ないというわけです」
それは、今日の分布でも変わっていません。「インドネシアのボルネオ島に行けば、有袋類の哺乳類を見ることはできません。ですが、隣のスラウェシ島に行けば見ることができます。一方のオーストラリアには、クマやトラ、サイといったアジア特有の哺乳類がいません」とのこと。
さらに、「数百万年にわたる気候の歴史は、現代世界の変化する環境に適応できる種を予測するのに役立ちます」と、スキールズは力強く主張しています。
source / POPULAR MECHANICS
Translation & Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です