日本中に増えつつある「リトル・◯◯」=外国人街
竹ノ塚(リトル・マニラ)、西葛西(リトル・インディア)、高田馬場(リトル・ヤンゴン)、大和市のいちょう団地(ベトナム、ラオス、カンボジア人コミュニティ)など、日本で暮らす外国人のコミュニティを取材し、彼らの暮らしに迫ったルポ『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社・刊)の著者・室橋裕和さん。
タイに10年暮らし、タイと周辺国を取材してきた室橋さんは、2015年に帰国後、アジア専門のライター・編集者として、さまざまなメディアを通じて情報を発信しています。
今回は室橋さんに、各地の取材で印象的だったこと、日本での外国人の暮らしぶり、今後ますます外国人が増えていくであろう社会で、ともに暮らしていくことについて聞きました。
──本を読ませていただきまして、すごく面白かったです。
室橋裕和さん(以下・室橋):ありがとうございます。おかげさまで、十数社のメディアで紹介してもらいました。
──どんな反響が多かったですか?
室橋:この街に住んでいるけれど、外国の人たちがいるなんて知らなかった、という人も多いですね。基本的には好意的な反響がほぼすべてなので、ありがたいなとは思います。
著名人、例えば麻木久仁子さんがレビューしてくれたり、作家の白石あづささんがインタビューしてくれたり、あとは日経新聞や『エコノミスト』などの経済誌も取り上げてくれましたね。
──なぜ、それほど反響があると思いますか?
室橋:外国人が増えているというご時世もあるでしょうし、彼らが労働力として隣にいて、生活圏の中に入ってきているからでしょう。例えば、コンビニで一緒に働いているという人たちもいるかもしれません。
だから、コンビニでも居酒屋でも街を歩いていても、出会う外国人にみんな興味を持っているんだと思います。それは「ウェルカム」の意味もあれば、そうではない人もいるだろうし、いろんな意味で関心があるということなのかと思います。
──今回取り上げた街や、国は、どういうふうに選んだんですか?
室橋:首都圏の主だった街で、僕が長年親しんできたアジアに限定しました。本当は日本にはブラジル人も多いし、神楽坂ならフランス人、横浜だったらギリシャ人が多く住んでいたことがあるのですが、まずは自分と共通するものが多く、また知識もあるアジアについて取り上げることにしたんです。
──首都圏には、アジアの人々のコミュニティが結構ありますよね。そもそも、この企画自体、本になる前にウェブで連載されていたと思いますが、こういう記事を書こうと思ったきっかけは何ですか?
室橋:タイに10年ほど住んでいたのですが、2015年に日本に帰ってきました。日本に外国人コミュニティがたくさんあることは話には聞いていて、知ってはいたんです。でも、実際に見てみると、これだけの規模で、これだけ多くの外国人が住んでいるとわかり、さらに、ここ何年かで特に増えている点が面白いと感じました。
──確かに、ここ数年でそういう街が急激に増えた印象がありますね。
室橋:自分もタイに住んでいたときは「外国人」でした。スクンビット(バンコク中心部の日本人が多く住む地域)あたりの外国人コミュニティの中に属していて、その中で守られて生活しながら、タイ人と交流し、働く人間だったんです。
それで、日本にいる外国人は、どう暮らしているのかと気になりました。タイは差別もなく……本当は差別はたぶんあるのでしょうが、基本的には楽です。外国人にはすごく暮らしやすいと思います。
──そうですね。特にバンコクは日本人も多いですが、欧米やアフリカや中東や、いろんな国の人がたくさんいて、みんなが暮らしやすそうな気がします。
室橋:だから、日本にいる外国人たちは、タイにいた我々のように快適に暮らせているんだろうかと疑問を抱いたのがきっかけです。
帰ってきてしばらくは日本が怖かった
▲ミャンマー料理店や雑貨店、食材店が多数入居する高田馬場駅前のタックイレブンビル
──取材を重ねていくうちに、気づいたことや、特に印象的だったことはありますか?
室橋:それぞれ街の成り立ちが面白いです。例えばインド人コミュニティのある西葛西は、あるひとりのカリスマ的な貿易商が、インド人の生活基盤を整えて街を作り上げていきました。神奈川県大和市のいちょう団地は、市内にインドシナ難民の定住促進センターが開設されたことから、ベトナム、ラオス、カンボジアの人々が多く住むようになりました。
──それぞれの街に外国人コミュティが成り立つまでの経緯があるんですね。
室橋:高田馬場にあるミャンマー人コミュニティ、リトル・ヤンゴンも、もとは近くにミャンマーのお寺があったことから、反政府運動をしていた人たちが難民として逃げてきたときに、このあたりに多く住むようになりました。高田馬場駅前にあるタックイレブンビルには、ミャンマー料理のレストランや雑貨店、食材店もあり、完全に東南アジアの雰囲気があります。
──有名なミャンマー料理店「ノングインレイ」の入っているビルですよね。実は私まだ行ったことないんです。上の行き方がわからなくて。
室橋:普通に1階の裏にあるエレベーターで行けますよ。
──そうなんですね。今度行ってみます。
室橋:あのビルには、実は食材店が8階、9階、10階にあり、なぜか上に行くほど安くなるシステムになっています。そういう適当さも含めて、懐かしいアジアの空気がそこにはありました。やっぱり落ち着くんですよ。雑多で、ごちゃごちゃっとしていて、アジアの言葉が行き交っている中にいると、なんだか気楽になれます。特に帰国してしばらくは日本が怖かったから。
──それは私もわかります。帰国直後の満員電車とか、混んでいる駅とか、殺伐としていて、立ちすくんでしまいそうな恐怖感がありました。
室橋:日本人はイライラしている人も多いし、攻撃的で、すぐケンカする人もいるので、帰国した直後はちょっと怖いと思っていました。でも、日本に来る外国人、特にアジアの人も、たぶん同じことを思っているでしょう。だから、こういう街に入り浸るようになったのかもしれないですね。気楽だったから。
▲ミャンマー食材店の商品棚(撮影:室橋裕和)
──では、取材をしていて大変だったとか、難しかったことはありますか?
室橋:アポが取りにくい(笑)。みんな基本的に日本人より取材に対してはオープンで、すぐにOKしてくれるし、実際に会うとなんでも話してくれるんですが、会うまでがちょっと大変ですね。取材に行っても、「ああ、ごめん忘れてた」とか、「あれ、今日だっけ?」と言われて出直すことも多いので、時間はかかりますね。でも、それはあくまでもこっちの都合だから……。
──まあ、仕方のないことですよね。
室橋:あと、みんな頻繁に母国に帰っていますね。特にインタビュー対象となるような人は、日本語もわかって、成功している人が多いので、帰国のタイミングと重なってしまうこともありました。でも、大変なことといったらそのくらいです。
──私も社長が帰国していて取材できなかったお店がありました。
室橋:コミュニティの中心になる人を探すには、あちこち出入りして顔見知りになって、いろんなものを食べ歩いて、「実はこんな人がいるよ」と紹介してもらったり、「こんなところがあるんだよ」という感じで教えてもらいます。それは大変ではありますが、ロールプレイングゲーム的な面白さはありました。
──では、本を書き上げるまでの時間はけっこうかかったんですね。
室橋:時間はかかりましたね。取材を始めたのは、もう4~5年前。本になるって決まったのが去年で、それから、また取材をやり直しました。
シーク教徒のお寺で出されるカレーはおいしい
──日本で食べられる、特にインパクトのあった料理や、好きな料理はありますか?
室橋:茗荷谷にあるシーク教徒のお寺・グルドワーラーの「ランガル」(儀式の後に振る舞われる食事)ですね。全世界のシーク教徒のお寺がそうなんですが、訪れる人には必ずご飯を出しましょう、そのための台所もお寺の中に造りましょう、というのが宗教上の決まりごとなんです。
▲グルドワーラーの「ランガル」(撮影:室橋裕和)
──信者以外にも開かれているんですね。
室橋:そのお寺でいただいた普通のカレーが、やさしい味ですごくおいしい。僕はバンコクのシーク教のお寺や、シーク教総本山のインドのアムリトサルでも食べたことがあるので、懐かしさもありました。コミュニティを象徴する料理だと思います。
──なぜ料理がコミュニティを象徴すると感じるのですか? やっぱり料理、食べものは、コミュニティにとって重要だと思いますか?
室橋:そうですね。コミュニティができると、いろんな機能ができてきます。必ず出てくるのが食材店、レストラン、それから送金、スマホやインターネットといった通信関連。あとは宗教施設が必ずできます。
──本の中で「心のインフラ」と表現されていましたが、外国人にとって宗教施設は重要なものですよね。
室橋:そうです。あとコミュニティには、通訳や翻訳、その国に詳しい日本人の行政書士が進出してきます。それから、支援するNPO、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、インターネットなどのメディアも立ち上がったりします。そうやって、どんどん発展していって、そのコミュニティを機能させるお店の中で働く人が現れてくる、そういう街の成り立ちを見ていくのが、すごく面白かったです。
──その街へその国の人が来るきっかけは、いろいろですが、ひとつの街に政治や経済、文化などの話が含まれていて、外国に興味を持つという意味では、入口としてすごく読みやすい、いい本だと思いました。
室橋:「読みやすさ」には、まず絶対的にこだわりました。それは普段の原稿からもそうですが、とにかく読みやすく楽しく、と。そうでないと誰も手に取ってくれないし、自分らはサービス業であり芸人でもあるわけだから、とにかく堅苦しい文章とか、「上から目線」を絶対やりたくないというのが、私の20数年前からの考えです。
──そういうこだわりは文章に表れていますね。やさしい人柄が伝わってきます。
室橋:あとは、とっつきやすさも大事にしています。「外国人」というだけで、ただ平和に歩いているだけでも「怖い」と感じる日本人も少なくはないでしょう。それは我々には理解できない感覚ですが、そういう人たちにも外国人を知る入口となり得る食の話題は、意識的に入れています。
──「食べてみたい」という気持ちは、知るきっかけとしては大きいですよね。
室橋:そうです。これだけ外国人が急激に増えた社会では、違和感を持ってしまう人だっていると思います。それでも、特に日本人は食に対する好奇心は旺盛だから、外国の料理を食べてみたいという人はいるのではないでしょうか。
例えば、高田馬場にはミャンマー料理店が多いので、地方や各民族の料理などもたくさんありますし、西川口には中国人が集まっているため、全然見たこともないような中国料理だってあります。この前行ったときには、カエル料理の専門店ができてました。
──カエル料理の専門店!?
室橋:カエル鍋の専門店です。下がカエルで、上が牛肉の、2段になった麻辣味の鍋。カエルは思ったより骨っぽくなくて、ちゃんと肉がついており、おいしいです。すごく評判のお店で満員でした。
──それは今度行ってみたいです! こうした「食べてみたい」「どんな料理かな?」っていうところから、その国の人や生活や文化にも興味が湧くということですよね。
室橋:そうですね。そういう入口として料理を紹介して、興味を持ってもらえたら面白いなと思いました。あとは、少しでも柔らかい話題を取り入れていこうと思っていて。
不謹慎かもしれないと思いましたが、難民問題がクローズアップされているクルド人のところでは、ちょっと恋バナ的な話を入れてみたり、柔らかい、ある意味で下世話な話を入れることによって、同じ人間なんだっていうことを伝えたかったんです。
御殿場の中国人の話のところでも、中国人と日本人が合コンをやるかも? なんて盛り上がった話を入れたほうが親近感が生まれると思って、なるべくそういうエピソードを入れるようにしました。
──すごく人間味があって、そこに本当に自分と同じ生身の人間が暮らしているんだということがリアルに伝わりました。
室橋:だから、肝心なところには触れていないかもしれません。日本の政策をどう思うかとか、今の労働環境はどうであるかとか、移民問題の核心とか、ニュースの話題になるようなことは、むしろあまり興味がありませんでした。そういうことは他のジャーナリストがいくらでもやってるから、それはたぶん僕の仕事ではない気がしていて。
2000年問題とインドのIT技術の発展が重なって西葛西が栄えた
▲西葛西のリトル・インディアの父、チャンドラニさん(撮影:室橋裕和)
──本当に、この本は読んでいるだけで旅行気分が味わえるので、地図を見ながら読んだら、より面白いかなと思いました。
室橋:もちろん演出はすごく気にしていて、文章の書き方や物事の描写、空気感は常に旅をしているようでありたいと意識しています。だから、ガイド的な読み方をしてもらうのも大歓迎。この本を持って街をうろうろしてくれたら、それはすごくありがたいし、うれしいです。
──私も知っているようで、意外と知らないところや、行ったことないところが結構あって、パキスタン人の多い埼玉県八潮市や、池袋のバングラデシュのお祭りには行ってみたいなと思いました。それから、西葛西のインド人にIT系の方が多いのは、2000年問題と関係していたりというところも意外で、興味深い話でした。
室橋:あらかじめ調べていたので知ってはいたものの、実際に現地に行ってみると、ドラマを観ているような面白さがありました。偶然に偶然が重なって、2000年問題とインドのIT技術の発展がちょうど重なって街が栄えた。でも、実は西葛西に東西線の駅がなかった頃からインド人のコミュニティはあったんです。
──それにしても、なぜ西葛西だったのでしょう。
室橋:それは40年前に貿易商として来日した「西葛西リトル・インディアの父」チャンドラニさんが、紅茶の倉庫を作るために場所を探して移住したのが西葛西だったからです。ちょうど葛西臨海公園の工事などと一緒に、あの辺が開発されるタイミングでした。東京の発展とインドの発展、いろんなものが重なっていて、物語としてはすごく面白かったです。
──本の中に、インターネットやSNSがとても重要だという話が出てきます。それがなかった時代と、ある時代では、いろいろなことが違うと思うのですが、やっぱりなくてはならないものだと思いますか?
室橋:もちろん。絶対になくてはならないと思います。
──便利さはもちろんだと思いますが、特に何が良いんでしょう?
室橋:情報交換がリアルタイムでしやすいですよね。例えば、「もう日本を去るので家具いりませんか?」などと、売買をよくやっています。それから、「この部屋に続けて外国人に住んでもらっていいって大家さんが言ってるけど、誰か入らない?」といった情報交換もとても重要です。外国人は不動産を借りるのが難しいからです。
──なるほど。
室橋:あとは掲示板。昔ならmixiでのコミュニティがありましたが、今はFacebookで、例えば「足立区に住んでるタイ人集まれ」とか、「パトゥムタニ県出身者集まれ」といったコミュニティがあります。
──まさに県人会的な集まりですね。
室橋:けっこう頻繁に集まって、みんなでご飯を食べたりしてるようです。
──ネットで知り合って実際に会いましょうっていう、オフ会みたいなものですかね。
室橋:そういうことが頻繁に行われているから、孤独ではないんですね。寂しさはだいぶ薄れていると思います。それと、故郷に残した家族とも連絡しやすい。画面越しとはいえ、いつでも会えるし、話ができます。
──確かに、国際電話に何万円もかかった時代とは違いますね。
室橋:特に彼らは、日本人よりも家族や母親への思いが強いように感じます。毎日家族と会いたい、電話したい、話したい、という気持ちがあるから、ネットがあると全然違うんでしょうね。
モンゴル人はFacebookが好き
──ネットがあるおかげでお金を気にせず連絡できるというのは、本当に外国を近くに感じますね。
室橋:ネットといえば、モンゴル人は特定の場所を必要とせず、 Facebookがコミュニティになっているという面白さもあります。街を作らずFacebook内でかなり完結しちゃっているんですね。
──そういうのも遊牧民ならではの特性のようで面白いですね。では、今回この本を出したことをふまえて、次に書きたいことは何ですか?
室橋:『日本の異国』では、いくつかの街を取り上げたんですが、雑多な印象もあり、それがいいという意見もある一方で、何かひとつにフォーカスしたほうが良かったんじゃないかという話もありました。次は、例えばひとつの事象か、誰かひとりの人物か、どこかひとつの街か、何かに特化した、フォーカスしたものを考えています。
──最後に、竹ノ塚(リトル・マニラ)、西葛西(リトル・インディア)、高田馬場(リトル・ヤンゴン)などの外国人街にある飲食店で、室橋さんオススメのお店をひとつずつ教えていただけますか。
室橋:竹ノ塚にはフィリピン人のコミュニティがあるのですが、レストランというよりも本場ならではの食材店が面白いです。西葛西は、チャンドラニさんが経営するインド料理店「スパイスマジック・カルカッタ」、高田馬場は、ミャンマーの麺料理が10種類以上ある「ババ ミャンマー ヌードル」がオススメですね。
──ありがとうございました! 次回作も楽しみにしています。
・・・
日本にいながらにして、いろんな外国の食べ物が味わえる。
なんてラッキーなことなのでしょうか。もし今回のインタビューに出てきた街や料理で気になるものがあったら、ぜひ『日本の異国』を読んで、実際に街へ足を運んで、料理を食べてみてもらえたらうれしいです。
書いた人:西野風代
ライター&編集者&夜遊び探検家。東京生まれ。週刊誌記者、女性誌編集を経て、タイに移住。雑誌やウェブのライター、フリーペーパー編集長、コーディネーターとして活動後、現在は東京を拠点に、旅やカルチャーなどの記事を執筆。