自公が高校無償化を打ち出し、維新に擦り寄るポーズを見せながら、タマキンに揺さぶりを掛けていますね。 この【無償化】と言う言葉にとても【違和感】を感じます。 無償化に回す予算があるのならば、国民が普通に働けば稼げる(生活出来る)ような政策を作り、【国民が自立できる社会】にするべきではないのでしょうか? 最低でも、この30年の欧米先進国のように、通貨の供給量を現在の倍にして欲しいものです。財務真理教徒は、『インフレや貯蓄に回り意味がない』と不安を煽ったりするでしょうが、一時的なインフレや、消費に回らない貯蓄はあるでしょうが、安定的に一定の供給が続けば、市場原理の《神の見えざる手》により、いずれインフレも収まり、消費に回るでしょう。 1970年代には、『石油は無くなる』、80年代には『大気汚染』、90年代には『ダイオキシン騒動』等がありましたが、今でも石油は枯渇していませんし、大気汚染やダイオキシンにしても、当時言われたような大量の死人は出ていません。人間は不安視された未来を《創意工夫》により乗り切って現在に至っています。 【無償化】は、それ(施し)を与える組織(政治屋・官僚)に対する【奴隷化】に繋がります。
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自公が高校無償化を打ち出し、維新に擦り寄るポーズを見せながら、タマキンに揺さぶりを掛けていますね。
この【無償化】と言う言葉にとても【違和感】を感じます。
無償化に回す予算があるのならば、国民が普通に働けば稼げる(生活出来る)ような政策を作り、【国民が自立できる社会】にするべきではないのでしょうか?
最低でも、この30年の欧米先進国のように、通貨の供給量を現在の倍にして欲しいものです。財務真理教徒は、『インフレや貯蓄に回り意味がない』と不安を煽ったりするでしょうが、一時的なインフレや、消費に回らない貯蓄はあるでしょうが、安定的に一定の供給が続けば、市場原理の《神の見えざる手》により、いずれインフレも収まり、消費に回るでしょう。
1970年代には、『石油は無くなる』、80年代には『大気汚染』、90年代には『ダイオキシン騒動』等がありましたが、今でも石油は枯渇していませんし、大気汚染やダイオキシンにしても、当時言われたような大量の死人は出ていません。人間は不安視された未来を《創意工夫》により乗り切って現在に至っています。
【無償化】は、それ(施し)を与える組織(政治屋・官僚)に対する【奴隷化】に繋がります。