このページに辿り着いて「これ」を読み始めたということは、あなたか、あなたのごく親しい方が、生命科学分野の大学院への進学を考えているのでしょう。その意欲と好奇心、素晴らしいと思います。遺伝研の大学院に入学して、きちんと勉学に励めば博士号を授与されて、科学者としてのスタート地点に立つことになります。ですが、科学者になっただけでは、ほとんど意味がありません。科学者として、何ができるか。それが問題です。ここで貴方は、過去の偉大な科学者の名前を思い出すかもしれません。
アインシュタイン、ニュートン、パスツール、メンデル、など永遠に残る科学的発見をして、人類の歴史に残る偉人達です。日本にも、湯川秀樹、江崎玲於奈、あるいは、生命科学では、利根川進、山中伸弥、大隅良典、本庶佑などの名だたるノーベル賞受賞者がいます。科学者になりたいと一度でも思ったことがあれば、彼等の様な業績を挙げられたらなあ、、、と思ったことがあるはずです。それは、野球少年が大谷選手に、サッカー少年がメッシやロナウドにあこがれるのと全く同じであり、ごく当たりまえのことです。そして、同時に、真剣に野球やサッカーの道に進もうと思う彼らと、同じ悩みも感じるはずです。自分には、果たしてその才能が有るのだろうか、と。
大谷選手の身体的な才能がとびぬけており、普通の人では、あのようなパフォーマンスを上げる可能性が限りなく低いことは、容易に解ります。で、その道を進むのをあきらめる人が多いのは、仕方のないことでしょう。それと同じように、大きな科学的な業績は、とてつもない天才的に頭の良い人にのみ可能となる、と思いがちです。でも、それはちょっと違うのです。
確かに、未知の素粒子の発見とか、フェルマーの最終定理の証明とかであれば、正真正銘の天才以外には無理と断言しても良いと思います。しかし、ここで敢えて主張したいのは、「こと、生命科学に関しては、天才でなくても重要な科学的発見はできるし、発見の楽しさを味わえる」ということです。もちろん、「恐竜の化石を発見した!」なんていう、単に、宝くじに当たったような発見ではありません。ちゃんと、科学の歴史に残るような重要な発見が、です。 なんで、そんなことが可能かというと、生命現象には、とんでもないバラエティがあるからです。つまり、面白い問題、重要な問題が、無数に、ありとあらゆるところに存在するのです。それこそ、生命科学者の数よりもたくさんあります。分子>原子 >素粒子、という感じに究極の存在に集約されていく物理学とは対照的です。生命現象のほとんどは、現在でも、機械では代替えすることができません。つまり、我々はそれを十分には「解っていない」のです。ただ、当たり前のように目の前で起きているため、多くの人は、それらを不思議と感じたり、 謎を解いてみようとは思ったりはしないだけなのです。実にもったいない。そしてそれらの問題は、誰かに、気づいてさえもらえば、天才的な頭など無くても重要な科学的な発見となるのです。
そんなうまい話は信じられない、とおっしゃる方もいると思うので、いくつか、例をあげてみましょう。まずは、カール・フォン・フリッシュによるミツバチのダンスの発見。 ご存知のように、ミツバチは花の蜜を集めて生きています。一匹の働きバチがおいしい蜜のありかを発見すると、すぐに、大量の仲間がそこに殺到する。この事実は、養蜂家にとっては常識だし、当時でも、ちょっと昆虫に詳しい人であれば、普通に知っていることでした。でも、それらの人たちのほとんどは、「不思議だなあ」で済ましてしまっていたのです。残念ながら。ところがフリッシュだけは、考えたのです。どうやって、最初のハチは、仲間に蜜のありかを教えたんだろう?と。
ハチは言葉をしゃべれません。だから、可能性としては、何らかのボディランゲージだろうとあたりを付けました。これは、誰が考えても、そうなると思います。そこで、フリッシュは、最初に餌に来たハチにしるしをつけて、それが巣に帰った後に、どんな動きをするかを観察したのです。ものすごくシンプルな、問題意識さえ持てば、誰にでも思いつきそうな実験です。でも、実際、それで十分だったのです。フリッシュはこの方法で、 餌を見つけたハチが、巣で八の字歩きを繰り返すのを発見しました(図1A)。詳しく調べると、八の字の向きが餌の方向を、歩く長さが、距離を示していたのです(図1B)。 周囲のハチは、その八の字歩きの後ろについて歩くことで、餌の位置 と距離を知る、という見事な情報伝達システムです。この昆虫の 「会話」を明らかにした素晴らしい発見は、フリッシュにノーベル賞をもたらしたほど、生物学にとって画期的なものでした。でも、考えてみてください。確かに目の付け所は素晴らしいが、その推論や実験はシンプルで、誰にでもできそうに思いませんか。逆にそれまで誰もやらなかったのが不思議になるくらいに。
まあ、昔はそんなことも可能だったが、今では無理なんじゃないの?という声が聞こえてきそうなので、最近の例もひとつ紹介しましょう。PNASという非常にハイレベルな科学専門誌で発表された論文の内容です。ハネカクシはこんな姿をしています(図2A)。 どうでしょう。少し変わった点があります。それは、翅が異常に小さいということです。もちろん、こんなに小さな翅では飛べないのではないかと心配になります。でも、大丈夫です。外から見えるのは前翅で、その下にはもっと大きな後翅が畳んで隠されています(図2B)。飛ぶときにはその後翅を大きく展開するのです。だから、その名も「ハネカクシ」。
しかし、ここでちょっと考えてみてください。その畳まれた翅を誰がどうやって展開するのでしょうか?しかも、展開した状態で羽ばたいて飛行するということは、飛行中に振り回しても、元の畳んだ状態には戻らないということです。そして、飛行をやめた時には、誰の助けも借りずに再び小さく折りたたまれる必要があります。そんな特殊な折り畳み方が本当にあるのでしょうか?少し想像しにくいですが、実際にその方法が存在しているのです。ハネカクシの小さな前翅の下に。
ここまで考えると、ハネカクシを捕まえて後翅を広げ、その折り方を調べてみたくなるのが人情というものですよね。それを実際に行ったのが、東京大学の斎藤博士です。彼は生物学者ではなく、工学者です。その折り方の特徴についてはここでは詳しく説明しませんが(彼自身の解説はこちら)、その折り方は宇宙空間で展開される太陽光パネルなどに応用できるとのことで、大きな注目を集めています。
興味深いというか、不思議なのは、ハネカクシの翅にそのような性質があることは、おそらく世界中の何百万人、いや何千万人も知っていたはずです(名前が「ハネカクシ」なのですから)。にもかかわらず、誰も後翅の折り方を本格的に研究しようとしなかったということです。この点からも、面白い現象を目にしても、そこからさらに一歩踏み出す人がほとんどいないことが分かります。本当にもったいない話です。
最後は、私自身の経験です。私は、ある水族館(池袋のサンシャイン水族館)でタテジマキンチャクダイという名の縞模様の熱帯魚を見つけました。そこには2匹のタテキン(タテジマキンチャクダイの愛称)がいて、10 cmくらいの若い魚には縞が10数本(図3A)、25 cmの成長した魚には25本くらいの縞がありました(図3B)。縞の間隔はどちらも7~8 mmで同じで、成長しても安定して保たれていることが分かりました。しかし、これは考えてみると、とても謎です。魚の体自体は均等に大きくなるのですから、当然、模様も拡大されて縞の間隔が広くなるはずです。それなのに、模様の間隔だけは広がらず、本数が増えているのです。一体どうやって?
そこで、若魚の方をじっくり観察すると、縞に乱れがあり、分岐がたくさん見られました。一方、成魚には分岐がほとんどありません。ということは、「こんな風に変化していくのではないか……?」と考えました(図4)。分岐がジッパーのように移動して縞の本数が増え、同時に間隔を一定に保つ。もしこれが本当だったら、超面白いに決まっています。模様は固定しているのではなく、「生きている」ということになるのですから。こんなことを思いついてしまったら、試さないでいられるわけがありません。私は、自腹で大きな海水水槽とタテキンを購入し、自宅で観察を始めました。そして半年後、予想通りに模様が変化するのを確認したのです。この発見をした当時、わたしが味わった、全身に光が満ち溢れるような喜びを想像してみてください。世界中の誰も気が付いていない重要な発見が、今、自分の目の前にだけ存在しているのです。大げさに言えば(いや、もうすでに大げさすぎる気もしますが)、創造の神と触れ合ったような気さえしました。
まあ、上記は、いわゆる自慢話なので、話半分で読んでいただいて構いません。ただ、ぜひ考えてみてください。わたしの「発見」、それに、ミツバチやハネカクシの発見も、そんなに難しいことではありませんよね。縞模様の生きものは動物館や水族館、博物館など、あらゆる場所で見ることができますし、タテジマキンチャクダイと同じような模様変化をする動物はたくさん存在します。それ等をよく見れば、縞の数が体の大きさに比例して増えていることや、小さい個体には縞の分岐が多いことがすぐに分かります。それらを並べて観察すれば、「ジッパー移動」というアイデアを思いつかない方がむしろ難しいと思いませんか?
でも、なぜかほとんどの人はそれに気が付きません。私が実験を始める前、魚類を専門とする大学教授数人に「模様がジッパーのように移動しているかもしれません」と尋ねたことがありました。でも、全員から「そんなことが起きるはずがない」という答えが返ってきました。専門分野以外の内容であれば、科学者も一般の人と同じように気が付かないものだということを、改めて感じさせられました。
科学的発見には何が必要なのでしょうか。上記のように、発見のプロセスの一つ一つはシンプルなので、いわゆる「複雑なことを理解する頭の良さ」ではないことは確かです。ミツバチのダンス、ハネカクシ、そしてタテキンについて考えてみても、発見に最も必要だったのは、好奇心と、「不思議だね」で終わらせず、もう一歩考えてみる想像力だと思います。さらにもう一つ加えるならば、自然界にはたくさんの重要な現象が、あなたの発見を待っているという期待感を持つことではないでしょうか。
実際に、面白い問題は無数にあります。ハネカクシの翅に宇宙で使える技術が潜んでいたり、タテキンの模様に生物模様に共通する原理が見えたりするのですから。ちなみに、生物の種の数は100万種以上と言われています。厳しい生存競争を生き残っているのですから、それぞれが何かしらの必殺技を隠し持っているに違いありません。それに対する生物学者の数は、おそらく100万人にも満たないでしょう。しかも、その多くは既存の問題に忙殺されていて、新しい問題を探す余裕がほとんどありません。どうでしょう、なんだか自分が未発見の宝の山に取り囲まれているようで、ワクワクしてきませんか?
科学者になるということは、それらの宝を掘りだすことを仕事とする、ということです。頭は良いに越したことはありませんが、上記の様に、好奇心と想像力がより重要です。ですから、もしあなたがそれらを持っていると考えるなら、やってみる価値は十分にあると思うのです。我々、遺伝学研究所のスタッフは、全力で皆さんのワクワクを実現させるお手伝いをさせていただきます。是非、大学院への入学を検討してみてください。
国立遺伝学研究所 所長 近藤 滋
このページに辿り着いて「これ」を読み始めたということは、あなたか、あなたのごく親しい方が、生命科学分野の大学院への進学を考えているのでしょう。その意欲と好奇心、素晴らしいと思います。遺伝研の大学院に入学して、きちんと勉学に励めば博士号を授与されて、科学者としてのスタート地点に立つことになります。ですが、科学者になっただけでは、ほとんど意味がありません。科学者として、何ができるか。それが問題です。ここで貴方は、過去の偉大な科学者の名前を思い出すかもしれません。
アインシュタイン、ニュートン、パスツール、メンデル、など永遠に残る科学的発見をして、人類の歴史に残る偉人達です。日本にも、湯川秀樹、江崎玲於奈、あるいは、生命科学では、利根川進、山中伸弥、大隅良典、本庶佑などの名だたるノーベル賞受賞者がいます。科学者になりたいと一度でも思ったことがあれば、彼等の様な業績を挙げれたらなあ、、、と思ったことがあるはずです。それは、野球少年が大谷選手に、サッカー少年がメッシやロナウドにあこがれるのと全く同じであり、ごく当たりまえのことです。そして、同時に、真剣に野球やサッカーの道に進もうと思う彼らと、同じ悩みも感じるはずです。自分には、果たしてその才能が有るのだろうか、と。
大谷選手の身体的な才能がとびぬけており、普通の人では、あのようなパフォーマンスを上げる可能性が限りなく低いことは、容易に解ります。で、その道を進むのをあきらめる人が多いのは、仕方のないことでしょう。それと同じように、大きな科学的な業績は、とてつもない天才的に頭の良い人にのみ可能となる、と思いがちです。でも、それはちょっと違うのです。
確かに、未知の素粒子の発見とか、フェルマーの最終定理の証明とかであれば、正真正銘の天才以外には無理と断言しても良いと思います。しかし、ここで敢えて主張したいのは、「こと、生命科学に関しては、天才でなくても重要な科学的発見はできるし、発見の楽しさを味わえる」ということです。もちろん、「恐竜の化石を発見した!」なんていう、単に、宝くじに当たったような発見ではありません。ちゃんと、科学の歴史に残るような重要な発見が、です。 なんで、そんなことが可能かというと、生命現象には、とんでもないバラエティがあるからです。つまり、面白い問題、重要な問題が、無数に、ありとあらゆるところに存在するのです。それこそ、生命科学者の数よりもたくさんあります。分子>原子 >素粒子、という感じに究極の存在に集約されていく物理学とは対照的です。生命現象のほとんどは、現在でも、機械では代替えすることができません。つまり、我々はそれを十分には「解っていない」のです。ただ、当たり前のように目の前で起きているため、多くの人は、それらを不思議と感じたり、 謎を解いてみようとは思ったりはしないだけなのです。実にもったいない。そしてそれらの問題は、誰かに、気づいてさえもらえば、天才的な頭など無くても重要な科学的な発見となるのです。
そんなうまい話は信じられない、とおっしゃる方もいると思うので、いくつか、例をあげてみましょう。まずは、カール・フォン・フリッシュによるミツバチのダンスの発見。 ご存知のように、ミツバチは花の蜜を集めて生きています。一匹の働きバチがおいしい蜜のありかを発見すると、すぐに、大量の仲間がそこに殺到する。この事実は、養蜂家にとっては常識だし、当時でも、ちょっと昆虫に詳しい人であれば、普通に知っていることでした。でも、それらの人たちのほとんどは、「不思議だなあ」で済ましてしまっていたのです。残念ながら。ところがフリッシュだけは、考えたのです。どうやって、最初のハチは、仲間に蜜のありかを教えたんだろう?と。
ハチは言葉をしゃべれません。だから、可能性としては、何らかのボディランゲージだろうとあたりを付けました。これは、誰が考えても、そうなると思います。そこで、フリッシュは、最初に餌に来たハチにしるしをつけて、それが巣に帰った後に、どんな動きをするかを観察したのです。ものすごくシンプルな、問題意識さえ持てば、誰にでも思いつきそうな実験です。でも、実際、それで十分だったのです。フリッシュはこの方法で、 餌を見つけたハチが、巣で八の字歩きを繰り返すのを発見しました(図1A)。詳しく調べると、八の字の向きが餌の方向を、歩く長さが、距離を示していたのです(図1B)。 周囲のハチは、その八の字歩きの後ろについて歩くことで、餌の位置 と距離を知る、という見事な情報伝達システムです。この昆虫の 「会話」を明らかにした素晴らしい発見は、フリッシュにノーベル賞をもたらしたほど、生物学にとって画期的なものでした。でも、考えてみてください。確かに目の付け所は素晴らしいが、その推論や実験はシンプルで、誰にでもできそうに思いませんか。逆にそれまで誰もやらなかったのが不思議になるくらいに。
まあ、昔はそんなことも可能だったが、今では無理なんじゃないの?という声が聞こえてきそうなので、最近の例もひとつ紹介しましょう。PNASという非常にハイレベルな科学専門誌で発表された論文の内容です。ハネカクシはこんな姿をしています(図2A)。 どうでしょう。少し変わった点があります。それは、翅が異常に小さいということです。もちろん、こんなに小さな翅では飛べないのではないかと心配になります。でも、大丈夫です。外から見えるのは前翅で、その下にはもっと大きな後翅が畳んで隠されています(図2B)。飛ぶときにはその後翅を大きく展開するのです。だから、その名も「ハネカクシ」。
しかし、ここでちょっと考えてみてください。その畳まれた翅を誰がどうやって展開するのでしょうか?しかも、展開した状態で羽ばたいて飛行するということは、飛行中に振り回しても、元の畳んだ状態には戻らないということです。そして、飛行をやめた時には、誰の助けも借りずに再び小さく折りたたまれる必要があります。そんな特殊な折り畳み方が本当にあるのでしょうか?少し想像しにくいですが、実際にその方法が存在しているのです。ハネカクシの小さな前翅の下に。
ここまで考えると、ハネカクシを捕まえて後翅を広げ、その折り方を調べてみたくなるのが人情というものですよね。それを実際に行ったのが、東京大学の斎藤博士です。彼は生物学者ではなく、工学者です。その折り方の特徴についてはここでは詳しく説明しませんが(彼自身の解説はこちら)、その折り方は宇宙空間で展開される太陽光パネルなどに応用できるとのことで、大きな注目を集めています。
興味深いというか、不思議なのは、ハネカクシの翅にそのような性質があることは、おそらく世界中の何百万人、いや何千万人も知っていたはずです(名前が「ハネカクシ」なのですから)。にもかかわらず、誰も後翅の折り方を本格的に研究しようとしなかったということです。この点からも、面白い現象を目にしても、そこからさらに一歩踏み出す人がほとんどいないことが分かります。本当にもったいない話です。
最後は、私自身の経験です。私は、ある水族館(池袋のサンシャイン水族館)でタテジマキンチャクダイという名の縞模様の熱帯魚を見つけました。そこには2匹のタテキン(タテジマキンチャクダイの愛称)がいて、10 cmくらいの若い魚には縞が10数本(図3A)、25 cmの成長した魚には25本くらいの縞がありました(図3B)。縞の間隔はどちらも7~8 mmで同じで、成長しても安定して保たれていることが分かりました。しかし、これは考えてみると、とても謎です。魚の体自体は均等に大きくなるのですから、当然、模様も拡大されて縞の間隔が広くなるはずです。それなのに、模様の間隔だけは広がらず、本数が増えているのです。一体どうやって?
そこで、若魚の方をじっくり観察すると、縞に乱れがあり、分岐がたくさん見られました。一方、成魚には分岐がほとんどありません。ということは、「こんな風に変化していくのではないか……?」と考えました(図4)。分岐がジッパーのように移動して縞の本数が増え、同時に間隔を一定に保つ。もしこれが本当だったら、超面白いに決まっています。模様は固定しているのではなく、「生きている」ということになるのですから。こんなことを思いついてしまったら、試さないでいられるわけがありません。私は、自腹で大きな海水水槽とタテキンを購入し、自宅で観察を始めました。そして半年後、予想通りに模様が変化するのを確認したのです。この発見をした当時、わたしが味わった、全身に光が満ち溢れるような喜びを想像してみてください。世界中の誰も気が付いていない重要な発見が、今、自分の目の前にだけ存在しているのです。大げさに言えば(いや、もうすでに大げさすぎる気もしますが)、創造の神と触れ合ったような気さえしました。
まあ、上記は、いわゆる自慢話なので、話半分で読んでいただいて構いません。ただ、ぜひ考えてみてください。わたしの「発見」、それに、ミツバチやハネカクシの発見も、そんなに難しいことではありませんよね。縞模様の生きものは動物館や水族館、博物館など、あらゆる場所で見ることができますし、タテジマキンチャクダイと同じような模様変化をする動物はたくさん存在します。それ等をよく見れば、縞の数が体の大きさに比例して増えていることや、小さい個体には縞の分岐が多いことがすぐに分かります。それらを並べて観察すれば、「ジッパー移動」というアイデアを思いつかない方がむしろ難しいと思いませんか?
でも、なぜかほとんどの人はそれに気が付きません。私が実験を始める前、魚類を専門とする大学教授数人に「模様がジッパーのように移動しているかもしれません」と尋ねたことがありました。でも、全員から「そんなことが起きるはずがない」という答えが返ってきました。専門分野以外の内容であれば、科学者も一般の人と同じように気が付かないものだということを、改めて感じさせられました。
科学的発見には何が必要なのでしょうか。上記のように、発見のプロセスの一つ一つはシンプルなので、いわゆる「複雑なことを理解する頭の良さ」ではないことは確かです。ミツバチのダンス、ハネカクシ、そしてタテキンについて考えてみても、発見に最も必要だったのは、好奇心と、「不思議だね」で終わらせず、もう一歩考えてみる想像力だと思います。さらにもう一つ加えるならば、自然界にはたくさんの重要な現象が、あなたの発見を待っているという期待感を持つことではないでしょうか。
実際に、面白い問題は無数にあります。ハネカクシの翅に宇宙で使える技術が潜んでいたり、タテキンの模様に生物模様に共通する原理が見えたりするのですから。ちなみに、生物の種の数は100万種以上と言われています。厳しい生存競争を生き残っているのですから、それぞれが何かしらの必殺技を隠し持っているに違いありません。それに対する生物学者の数は、おそらく100万人にも満たないでしょう。しかも、その多くは既存の問題に忙殺されていて、新しい問題を探す余裕がほとんどありません。どうでしょう、なんだか自分が未発見の宝の山に取り囲まれているようで、ワクワクしてきませんか?
科学者になるということは、それらの宝を掘りだすことを仕事とする、ということです。頭は良いに越したことはありませんが、上記の様に、好奇心と想像力がより重要です。ですから、もしあなたがそれらを持っていると考えるなら、やってみる価値は十分にあると思うのです。我々、遺伝学研究所のスタッフは、全力で皆さんのワクワクを実現させるお手伝いをさせていただきます。是非、大学院への入学を検討してみてください。
国立遺伝学研究所 所長 近藤 滋