【全文公開】対談「羽生結弦×栗原秀文」最終回~北京五輪エキシビション舞台裏/下編

冬季オリンピック(五輪)男子2連覇のプロフィギュアスケーター羽生結弦さん(29)が、長く“専属”支援を受けてきた味の素(株)「ビクトリープロジェクト(VP)」の栗原秀文チームリーダー(48)と対談しました。

2022年北京五輪で前人未到だったクワッドアクセル(4回転半ジャンプ=4A)に挑み、世界初の認定をつかむまでの舞台裏を振り返る特別企画。未公開部分も含めた「全文」を3週に分け、余すことなくお届けしています。

最終回の(下)編は「きっかけ」。あの北京五輪エキシビションにつながった2人の関係性は、その4文字で互いに一致しました。(質問以外は敬称略)

フィギュア

羽生結弦をサポートして感じたこと

―本当に「洗脳」された、かもしれないくらい、高度なところで波長が合っていたんだなと、おふたりの話を聞いていて感じました。最終的に、どのような化学反応が起きたのか。精神面の成長も含めて、お願いします

羽生それこそ最初「面倒くせえな」って、たぶん思われたと思うんですけど(笑い)。フィギュアスケートという競技への食事の考え方も含めて、もうめちゃくちゃ勉強させてもらいましたし、反対に、羽生のロード(負荷)や体組成計とその活動を掛け合わせて、調子とコンディションみたいな面では、かなり研究にもなったんだろうなと思います。1人のアスリートとして、やっぱりオリンピックを既に取っている人間だったので、19歳とはいえ。19歳の羽生結弦という金メダリストの体組成の数値と活動量と、どのくらいのカロリーを消費しているのか、を。計算した数式と、実際に体感として出てきた強度とが、合っているのか。食べているものと、計算で出したものが合っているのかどうか、みたいなものを、僕をベースに研究したんだろうな、とは、やっぱり思いますね。フィギュアに関しては。

栗原さんとの対談で思いを語る羽生さん(撮影・横山健太)

栗原さんとの対談で思いを語る羽生さん(撮影・横山健太)

栗原やっぱり1個体1個体、おひとりおひとり、違うんですよね。育ってきた環境も家庭も違うし、食べてきた量も違うし、イコール、胃と腸を動かしてる量も違うし。だから、同じ競技だとしても違いは当然あるわけだし、ましてや違う競技となれば体格差もあるので、全然、違います。

羽生水泳選手の量で作ったら大変なことになりますよね。

栗原やっぱり1対1で見させてもらえたからこそ得られたスキルが、あるんです。「ここで何グラム入れたら、結弦君は何て言うんだろう」みたいな感度は本当に高まった。そういう意味では、やっぱり水泳選手もそうですけど、選手を我々はサポートさせていただいているとはいえ、逆にサポートされて、勉強させていただいている。その感覚を、本当に結弦君のサポートをする中で感じていましたね。あとは、先ほどのお話の通り。具体的なサイエンスに近い領域で、ちゃんとコンプリートして、健康な状態にして、氷の上に送り出してあげる。「行ってきます」「行ってらっしゃい」。そこまで、やらせていただく。僕の仕事はそこまで。ちゃんと健康で送り出せば、心も体も健康であれば、もう氷の上で自由に戦いを繰り広げてもらうだけです。それを見ることが僕にとって、本当に幸せだったというか…。本当にうれしかった。当然、勝ったり負けたりいろいろありますけど、健康だからこそ、戦って敗れたとしても戻ってこられるし、死ぬわけじゃねえし、みたいな。尻たたいて「次だね!」と繰り返せたのは、常に健康を目指していたから、って思いますね。結弦君のサポートをしていて、すごく感じてたこと。そこが今でも僕らのベースになっています。

羽生やっぱり競泳だったら、日本の全メンバー(のサポートを)やらなきゃいけないみたいなところもあると思いますし。個別対応しつつも、結構な数の選手がいらっしゃるので。いろいろ考えることたくさんあったと思うんですけど、僕の時って(フィギュア界では)試合に行く時って、基本的に僕だけだったので。考え方とか、待っている時間の緊張感とか、また競泳とかとは違ったものだったろうな、って思いますね。「送り出した~」「やることやった~」「あとは待つしかねえ!」。そんな感じだったんだと思います(笑い)。

「きっかけになってくださった方」

―ずばり、羽生さんにとって栗原さんは、どのような存在ですか

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。