国内で人口減や高齢化、円高が急速に進む一方で、新興国市場の急速な成長が注目されている。こうした新しい事態に直面して、多くの企業が「国外で事業を伸ばす」ことを成長戦略に位置づけているが、その道は険しい。
グローバルに事業を伸ばすに当たり世界が注目するのが中国、インド、ブラジルなどの新興国市場だ。新興国市場で事業を伸ばすべく米ゼネラル・エレクトリック(GE)、米IBM、米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)、スイス・ネスレなどの企業は大変革を進めている。
グローバルカンパニーの中でも先頭を歩むIBMは創業100周年を迎え、「グローバルに統合された事業体」を自称する。人材や技術などの経営資源の活用を国単位では考えず、国境を越えて自在に共同利用することで、事業のスピードが向上しコストも抑えられる。経理・人事などの事務管理部門、ソフト開発やコールセンターなどは世界共有だから、新興市場を攻める際も顧客へのソリューション(解決法)提供に経営資源を集中活用できる。背景にあるのは、自社が誕生した国への貢献よりも、自社の成長を優先しようという考え方だ。
グローバル企業は市場の多様性も忘れない。ネスレはきめ細かなローカル(地域)適応に競争優位の源泉を求める。食の世界は多様なだけに、世界最大の食品メーカーであるネスレでも市場占有率は1.7%にすぎない。いわば国ごとにライバル企業が異なるだけに、ローカル適応が重要になる。水だけで70以上ものブランドを持つのもそのためだ。商品が多様ならば社員も多様で、28万人の社員の国籍は150を数える。
多様な新興国を消費市場として本格的に開拓するには、現地をよく知る人材の活用が不可欠だ。それこそが、市場で求められる機能や価格に関する情報から技術に遡って商品開発を進める「リバースイノベーション(技術革新)」の成功の秘訣である。
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しかしどんなに多様な人材を採用しようとも、組織、マネジメントが彼らの活躍を促すように変わらなければ、遅かれ早かれ企業を去ってしまう。それぞれの市場で優秀な社員に事業創造のリーダーシップを発揮してもらうには、人材の多様性を最大に生かすマネジメントが必要となる。ネスレの経営陣が9国籍にまたがるように、スイスの会社だからスイス人中心という発想はない。ここにもまた、国という概念にこだわらないグローバル企業の姿がある。
P&Gがグローバル化を目指して変革を開始したのは1999年。ネスレが商品の品ぞろえでは個別市場対応を重視しながらも、それを支える業務の国際標準化を開始したのは2000年だ。これに対し、日本企業のグローバル化対応は10年以上遅れている。そもそも日本企業の多くは、主力市場を母国とし、国外で製造・販売、業務の一部を展開するインターナショナルカンパニー(国際企業)にとどまっている。日本中心、日本人による意思決定の発想は依然として強い。だが、そこから抜け出さなければ、グローバルな成長は難しい。
グローバル企業は経営資源を有効に活用しつつ、国境を越えて迅速に事業展開するためにマトリックス組織に移行している。組織を縦(地域)と横(事業)の2軸からまとめるマトリックス組織では縦と横の軸がぶつかる。そのため、縦の1軸で組織をまとめることの多い日本企業以上に対立が生じる。売りたい商品を巡り事業担当者と地域担当者の意見が異なることは珍しくない。事業と地域の間に生じる対立を速やかに解決するスキルがなければ、マトリックス組織は運営できない。これまで対立の顕在化を回避しようとする傾向が強かった日本企業にとっては難題だ。
つまりグローバルな事業成長には、組織構造を変えるだけとか、多様な社員を増やすだけでは不十分なのだ。また、グローバル化のために英語を社内公用語とすることが議論される場合も多い。しかし言葉の問題以上に、対立の背景にある文化の違いを理解し、社員が対立の効果的な解決スキルを持たなければ、どれほど語学が堪能でも無意味だ。
そもそもグローバル企業では、文化的多様性に基づく対立への効果的対処はマネジャー教育の必須項目だ。要は、日本人の発想だけで物事を解決しないことだ。グローバルな問題はグローバルなチームで解決する。グローバル企業では、問題解決のプロセスも日本企業と異なる。
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日本企業で事業のグローバル化をダイナミックに進める味の素、花王、日本たばこ産業(JT)、日産自動車、資生堂などに共通するのも、経営トップがリーダーシップを発揮して戦略、組織、意思決定のプロセス、人事制度など全面的な大変革を推進していることだ。花王はグローバルマトリックス組織の導入でP&Gを追い上げている。尾崎元規社長が深く関与して、対立を創造的に解決できる多様な国籍からなる人材育成を進めている。グローバル人材育成は経営トップ自身が直接関わるべき最重要事項だ。
そもそもグローバル化とは組織内外での多様性への効果的な対処にほかならない。その点では、多様な人種が暮らす欧米人は日本人より豊富な経験を有する。そうならば、グローバルな事業の成長は日本人以外に任せた方がよいかもしれない。世界第3位のたばこメーカーとなったJTの成功の鍵も、ジュネーブにあるJTインターナショナルにグローバルな事業展開のリーダーシップ発揮を任せたことにある。東京の本社はガバナンス(統治)に徹している。
中国で2桁成長を遂げるなどグローバルな事業成長に資生堂が成功しているのも、P&G出身のフィッシャー専務のリーダーシップによるところが大きい。資生堂ブランドを冠しない多様な「製品ブランド」を活用して大市場を押さえようとするユニークな試みが奏功している。
日産でもゴーン社長の成果はグローバルな成長にある。10年の段階で国外販売が86%に達する一方、国内生産の割合は25%にすぎない。こうした事業を支えるのが、優秀な人材の発見、育成、ローテーションをグローバルに統合した人事制度だ。日産では、取締役の半分、執行役員の25%はもはや日本人ではない。
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最適なグローバル化を巡りどの企業にも有効な正解はない。先行するグローバル企業と同じことをするだけでは、勝ち目はない。深く考えないといけないのは、日本に生まれた企業という事実をどうとらえるかだ。国を越えるのか、国にこだわるのか。自社のアイデンティティー、使命は何なのか。そもそも「日本企業」であるとは何を意味するのか。企業の哲学が問われる。
グローバル化の解が国の概念を超えることだけにあるわけではない。コマツが日本でのものづくりにこだわりながら、中国での資金回収の難しさや盗難防止を契機に、全地球測位システム(GPS)を活用した大型建設機械の世界的な管理システムを開発したのはその好例だ。グローバル化対応を技術革新につなげたアントレプレナーシップ(起業家精神)がそこにある。
グローバル化の最適解がどうあろうとも、本社機能を含めた全社的変革なくして事業成長はない。日本の経営幹部は相当な覚悟で、日本語による日本人だけの安住の地から全社員を脱却させないといけない。その道は険しいからこそ、強いリーダーシップが必要となる。すべては、グローバル化しか生きる道はないと大変革に踏み切るリーダーの決断に帰結する。
2012年1月31日 日本経済新聞「経済教室」に掲載