何が何だか、座っている暇が無く忙しい。
授業の準備が追いついていない訳ではないが、シンプルになんだか拘束されて自分の作業が出来ないような忙しさがある。
禁じ手発動
あまりに時間がないものだから、課外の補習の演習の授業の解説を、生徒に問題を解答させている間に、自分もよーいドン!と解いて解説を考えるという荒技に出る。
正課の授業ではないし、別に解説の義務のないものをサービスで解説を作るので、こういう荒技に出たわけだけど、時間制限の中で問題を解くのは心臓によくない。受験勉強で時間と戦って問題を解いている生徒はとてもエラいな、本当。
義務のある仕事ならば、こういうやっつけはしないけど、サービスでやろうかな……と思うと、時間が無いとこういうやっつけ仕事になる。やっつけ仕事ならやらないほうがマシという説もあるのだが……まあ、その当たりが貧乏性といいますか……。
仕事が回っていない感じはしないのだが、追い詰められている感じがある。困ったな……原因が分からん。
単元づくりは走りながら
新しい単元を始める時は、ゴールのイメージを何となく持っているものの、生徒の様子を見て微妙にやることを作り替えている。いやぁ……逆向き設計的な発想からするとダメなんだけど、時間の無い中で生徒の力に少しでも刺激を与えられることをやろうとすると、扱いたい題材を投げてみて、生徒の反応を見てから考えたいと思ってしまうのだ。
中途半端にコンテンツ、教科書の教材配列に縛られているのもよくないと思う。
毎回、ゼロから素材を組み立てているならこういうことにならないのだろうけど、学年として横の授業に足並みを揃えつつ、そして自分が来年以降授業を持たないことを考えて授業をすると……中途半端なことになる。
もしかすると、観点別評価が軌道に乗り始めて、評価の方が何のコンテンツを教えるのかということよりも、何ができるようになるのかということが重視されるようになるならば、少しは改善されるかなあと淡い期待を持っているところだ。
自分が小さくなっている
色々なことを考えて、授業や単元に思い切りがなくなっている。つまらない仕事をしているなぁと思うのである。
もっと自由にやっていいはずだし、そのくらいの説明責任を負えるくらいの立場はあるはずなのだけど、どうも保守的になっていていかんなと思う。