その1「最初に好きになった二人組は」 (1/7)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
又吉:保育所で読んだ絵本のなかで好きなのは、ものすごく有名ですけれど、『ぐりとぐら』でした。ぐりとぐらがいちばん最初に好きになった二人組で、後々にコンビをやっていくことに関係しているんじゃないかと思っています。一人より二人のほうが楽しそうに見えたり、大きな卵でかすてらを作った後、その卵の殻にタイヤをつけて一緒に乗っているところが結構好きで。あそこに至るまでを体感したくて、何度も読み返していた記憶がありますね。
『いやいやえん』も好きでした。保育園が舞台のいくつかのお話が載っていますが、こぐまが転入してくる話とか、みんなで積み木で船を作って乗っているうちに本当に海に出ているような感覚になる話がすごく好きで。こないだ岸政彦さんとお会いしたんですけれど、岸さんの『図書室』という小説を読んだ時に「すごくこの感覚分かるな」と思ったのは、『いやいやえん』の保育園のみんなが船に乗ってわいわいしているあの感覚と共通しているからやと思って。人間が持っている普遍的な感覚なのかなと思いました。
あとは『おしいれのぼうけん』。保育園で悪いことをした子が押し入れに閉じ込められる話ですが、あの暗闇がすごく重要なんじゃないかと思っていて。閉じ込められた恐怖感と、あの真っ暗な中にいる状態で、先生におどされたりして......むちゃくちゃな先生なんですけれど、この世のものではない何か怖いものがそこにいるかのように浮かんでくるっていうのが実は重要なんだなと。
――重要といいますのは。
又吉:それが物語と考えるとか作るとかいうことに繋がっていくのかなと思ったんです。それでいうと『いやいやえん』も近いものがありますね。そういう話が子どもの頃は好きでしたね。あとはきつねの、手袋の話。
――『てぶくろをかいに』でしょうか。
又吉:それかもしれません。自分では憶えていなかったんですけれど、奈良で講演会みたいなものをした時に、いちばん前に座っていた60~70代の方が「すみません」と手を挙げるので「どうされました?」と訊いたら、「私は大阪の寝屋川市の、又吉くんが通っていた保育所で保母をやっていました。その時から直樹くんは印象的で、読んでいた本を憶えています」と言われたのでマイクを渡したら演説が始まって。「まず『ぐりとぐら』が大好きで『いやいやえん』も好きで...」というなかで、その絵本だけ憶えていなかったんですけれど、「読み聞かせると他の子はうんうん聞いているけれど、直樹くんは必ず物語が終わった後に質問をしてきました。そのお話も終わった後に私のところに来て"もしハサミで手袋切ったらどうなんの"とか"もしこうなったらどうなってたの"と質問をしてきました」と言われて、僕よりも拍手をもらっていました(笑)。僕もそれは嬉しかったんですけれど。
――そんな再会があったのですね。さて、小学生になってからの読書はいかがでしたか。
又吉:僕はほとんど教科書でしか読んでいなくて。他の本を知らなかっただけなんですけれど、1年生の時は教科書に出てくるのがただの例文のような文章でしかなくて、それで1回面白くないなと思っちゃったんですね。それで物語から離れてしまいました。2年生くらいから、「こうなったらいい」とか「こうするのは悪い」といったことが書かれているものが出てきたんですが、それが合わなかった。なんでこんな分かり切ったものを書いてんねやろと思いました。
何年生の時だっかかな、教科書に「沢田さんのほくろ」というのが載っていて、それがすごく好きでした。沢田さんという女子がいて、おでこに大きなほくろがあってみんなに「大仏」とからかわれている。それを気にして前髪で隠したりしているんですけれど、最後に強く生きていこうと決めるんです。それでおでこを出すようにしていたんですけれど、また男子に「大仏」って言われるんですよ。沢田さんは大仏の真似をして「大仏でけっこうよ」みたいなことを言うんですが、その目からは涙が流れている。
――つらい...。
又吉:すごい話なんです。なんやこれと思って、それがめちゃくちゃ好きで、結構ハマったというか。それで図書室で本を読む時間でも、教科書を読んだりしていましたね。それまではその時間は本読まんで漫画の『はだしのゲン』ばっかり読んでいたんですけれど。
――作文や読書感想文は好きでしたか。
又吉:書くのは割と好きでしたけど、読書感想文はほとんど書いてないです。書き始めたのは5、6年生の時じゃないですかね。そんときはまだ本が好きだと自覚する前だったので、なんとなくラクしたいなというのがあったので、『火垂るの墓』はジブリ映画で観て内容を知っているので書けるなと思い、一応確認するために本屋さんに行って妹の節子が表紙の新潮文庫を「これやなー」と思って開いたら、めちゃくちゃ文章が難しい。ああいう文章の小説を読むのがはじめてだったんです。
闇市のくだりだったかな、売っているものをモノの単語を5~6個並べてから読点打ってあるんです。どう読むんやろと思いましたが、「あ、これはもしかして闇市のどこで何を売っているか分からんこととか、隣の店との境界線がないとか、そういう闇市の状況をやろうとしているのかな」と思った時に、なんか、いっこ扉が開いたというか。すごく三次元的に感じたんですよね。それまで読むというのは言葉で説明されたものを頭で再現するものだと思っていましたが、こんなふうに絵を描くみたいな文章の書き方もあるんやっていう。文章自体が絵になっている。それで面白いかもと思って、もう1回冒頭に戻って読み返したらなんとなく分かってきて、それを3回くらい繰り返してリズムと言葉に慣れたら、一応ちゃんと読めたな、という。
――投げ出さずに繰り返し読む姿勢が素晴らしい。粘り強い性格だったんですね。
又吉:親がクリスチャンだったので、保育所の頃から教会学校に通っていたんですよ。朝の10時くらいから子ども向けの時間があって、配られたプリントに「マタイ伝」の何章とかが書かれてあるんですが、いくつか文字が抜けていて、それを全部埋めていくと「よくできました」みたいなのがあって。みんなは真面目にやらないんですけれど、僕はゲーム的なものが好きだから、言葉も知らんのに「マタイ伝」のそのあたりを探して埋めていたんです。で、すごく褒められました。もしかしたら、それで難しい言葉に向かっていくというのが養われたかもしれないですね。
――今振り返ると、どういう子だったと思いますか。又吉さんのエッセイで少年時代のことを拝読すると、大人しいけれど、中心的な存在だったりして、いろんな面があったんだなあと。
又吉:保育所の時なんかは人見知りで大人しいけれど、内弁慶で仲のいい友達や家族の前では全然違っていました。どこに行っても相手や環境の雰囲気に合わせようとしてしまうところはありました。
小学校に入ってからもそんな元気でもないんですけれど、子どもって身体的に躁状態になる時ってあるじゃないですか。とにかく走りたいとか叫びたいみたいなのがあって、そういうパワーが抑えられない自分がいる一方、大人や知らない人とは関わりたくないっていう自分がいて、テンション的にはわりと矛盾していました。そこを言ったり来たりしているうちに、そういうタイプの人間はどうしとくのが普通なんやろうって考えるようになりました。それで1回、「こうなんかな」と、元気のいい自分を作っていたことがあって、作ってみたもののやっぱり違うなってとなって、そのへんから訳分からなかったです。
小学2年生までは元気よく立ち振る舞っていたんです。その頃、風邪が流行って学級閉鎖になりそうになって、僕はクラスの中の立ち位置を考えて「ここで僕が学校を休むとみんながっかりするやろうな」「今までの僕の元気そうやったのが嘘になってしまう」と使命感を持ち、前日体調崩してたんですけれど、朝復活したんで学校に行ったんです。みんなすっごい休んでて、僕だけ元気やから先生が「又吉くんだけは元気やなー」と言ってみんなが笑うという一幕がありました。その後で、先生が母親からの連絡帳に「前日嘔吐を繰り返したので体調崩した場合はすぐ帰らせてください」と書いてあるのを読んで、たぶんびびったんです。心配そうな顔で「無理してたんやな」って言われたんです。僕はその先生のことめっちゃ好きで今でも感謝してるんですけれど、先生のその言葉で「あ、俺嘘ついてる状態になってる」と思って。そのへんから「1回、元気な子というのはやめよう」となり、3年生くらいから元気をやめてだんだん今の感じになってきたんかなーと思います。
――大人しいけれど、気弱ではないですよね。みんなに注意されても、右利きなのにサッカーボールを左足で蹴ることをやめなかったりして。
又吉:びびりで気にしいではあるんですけれど、弱気ではないんですよね。むしろサッカーでいうとファイタータイプというか。まあ、サッカーはそういうスポーツですから弱気だったら難しいですけれど。
わりと一貫してないんですよね。親以外の大人と喋るのが苦手で、友達の親とかが来たら一言も声を返したくない意識があったのに、大人を笑わせたいという感情もありましたし。大人は、僕に対して雑な人のほうが話しやすかった。優しい人が怖かったです。